動いて揺れる「戻ったよー。」
「戻りました。」
夕暮れ時、カラリと開かれた戸の音と共にスズランとソウゲンの声が響く。市中見回りに出ていた連中が戻った事を知らせる賑やかさに、俺たちは溜まり場にしていた部屋から顔を出して彼らの帰着を迎えた。
「何事も無かったか?」
「無ければよかったんだけどねぇ」
アキラの問いかけに苦笑いで首を振ったスズランの言葉を引き継ぐようにソウゲンが一つため息をつく。
「途中、浪士に囲まれてしまったのです。恐らくは長州の残党でしょう。」
「ほとんどサクヤちゃんが片づけたからこっちも大したことなかったけど、ちょっとした騒ぎにはなっちゃったかな。」
「そうか。」
「…なぁ、サクヤは?」
「サクヤ殿は藤堂殿の元に報告に行くと言って別れたのです。小生らはかすり傷を負った隊士の処置をしてから来たのですが、まだ会っていませんか?」
疲れた疲れた、と言わんばかりに腰を降ろしたスズランとソウゲンが顔を見合わせる。
二人が言う通りならとっくに顔を見せていてもおかしくないアイツが来ない違和感に、ほぼ反射で立ち上がった。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
サクヤと共に使っている二人部屋、その障子越しに中の様子を伺う。何の物音もしない室内に疑問を持ちつつも引き手に手をかけ一気に戸を開いた。
すると自分の目に飛び込んできたのは部屋の奥、夕陽が差し切らない薄暗い部屋の隅で小さく体を丸めて座り込むサクヤの姿。物音一つ聞こえなかったのはそういうことか、と合点がいく。
「おい、サクヤ?どうした、大丈夫か?」
わざと大きめに掛けた声に反応するようにゆっくりとサクヤが顔を上げる。彼の前髪と落ちる影がその表情を隠していて、何を考えているかは相変わらず読めやしない。
そんなサクヤの前にしゃがめば、気配に敏い彼の目がこちらを睨む。
「触るな。」
声がけと共に伸ばした手はドスの効いた声に押し留められた。行き場を失った手が宙ぶらりんになる間に、サクヤは再び顔を伏せて一層頑なに縮こまっていく。
「サクヤ、」
「…問題ない。」
「問題ない、ってオメーよぉ…」
何が問題ないというんだ。表情など見えなくてもその掠れた声色が、態度が何かあったと言っている。
そのまま黙り込んでしまった姿はまるで手負いの獣だ。スズランとソウゲンの話では相手の殆どをサクヤが請け負ったと言っていたが、傷でも負ったのだろうか。こいつに限ってそんなことはない、とは思いつつも一度よぎった嫌な想像が思考を邪魔する。
そして自分は、帰ってきたというのに外回りの支度を解くこともなく、刀を抱きしめるように座るその姿を見て「はいそうですか」と返せる程薄情ではないつもりでいる。
「おいサクヤ、怪我はしてねぇだろうな?」
「…平気だ。」
「本当だよな?」
「自分に構うな、と言っている。」
これでもかと言うほど容赦なく会話を切ってくるサクヤに抑えきれないため息が出た。
らしくねぇよ、今日のお前。
そもそもな、
「俺がオメーの言う事大人しく聞くと思ってんのかよ。」
「ッ、バカ星!」
ぐしゃぐしゃとまだ解かれていないサクヤの髪を大きく掻き回す。お前に言われて俺が引くとでも思ったか、大間違いだばーか。
「何に苛ついてるのかは知らねえけど無理すんな。らしくねぇ。」
そのままサクヤの横に腰を下ろせば不機嫌そうな顔でこちらを見てきたが無視を決め込む。
「ソウゲンたちから聞いたぜ、見回りで浪士とやり合ったんだろ?どれくらいいたんだ?」
「十数名、何人殺したかは…、すまない、数えて無かった。」
「謝ることじゃねぇし、そういう事は聞いてねぇよ。」
「じゃあ何だ。」
「ちょっとした世間話ってところだな。」
「随分と血なまぐさい世間話があったものだ。」
「うるせぇ。あと相手がどこの誰だとか、規模とかは俺じゃ俺じゃなくて藤堂に言えよ。」
「もう報告してある。」
「じゃあ万事解決だな!」
「そんな単純な事ではないし、そもそもバカ星と戦術の話が出来るとは思っていない。」
「んだとテメェ…」
「事実だろう。」
俺が引っ掻き回したせいで髪紐から飛び出してしまったサクヤの髪を指に絡めながら相槌を打つ。もう先程までの剣呑な光も、近寄りがたい気配もサクヤからは感じられない。
「調子、戻ってきたじゃねぇか。」
「…そうか。」
「おう。あんまり殺気振り撒いてやるなよ、平隊士たちがビビっちまうからな。
さ、ぼちぼち飯時だろ。行こうぜ。」
「どっかの誰かがやってくれたせいで髪が酷いことになってるだろう。整えてから行く。」
「お、じゃあ俺がやってやろうか?」
「…遠慮する。」
「何だよ、こー見えてそこそこ器用だぜ。
おいこら、無視すんな!」
さっさと立ち上がってしまったサクヤに続いて部屋を出る。一瞬見えたその口元が緩く弧を描いているように見えて、釣られるように足取り軽くその背中を追った。