初恋の味◇
「よし」
エプロンの紐を背中で結び、材料をワークトップに並べる。
「マリオンちゃま~、エプロンつけれたノ~!」
「ああ、良く似合っている」
「フフ、ありがとナノ~」
子供用エプロンのサイズを改良し、ジャクリーン用のエプロンを用意した。ジャクリーンはご機嫌な様子でそれをボクに見せると、台の上によじ登る。
「それでジャクリーン。チョコは何を作りたいんだ?」
「うーん……とびっきり美味しいのが良いノ!」
「とびっきり美味しいの……分かった、じゃあ作ろうか」
「はいナノ~!」
とびっきり美味しいチョコレートと言えば、生チョコだろうか。口に入れただけで溶ける生チョコは気持ちを落ち着けるのに最適だと思うが、難点があるとすれば直接触れると指が汚れてしまうところだろう。
「マリオンちゃま?」
「ああ、いや。急に二人でチョコを作りたいっていうから驚いた」
バレンタインは毎年ノヴァやジャックとジャクリーンにプレゼントするチョコレートを用意していたし、ジャックとジャクリーンが二人でチョコレートを作ってくれていた。
今年もてっきりそうなるだろうと思っていたところ、ジャクリーンが急にボクとチョコを作りたいと言い出した。
「フフフ! ジャクリーンはキューピッドになるノ!」
「キューピッド?」
「マリオンちゃまはチョコレートあげたい相手、いないノ?」
ジャクリーンの質問に答える前に頭の中にガストが浮かんだ。
「……! ボクは、いつも通りノヴァとジャックとジャクリーンにあげたいだけだ」
「そうナノ」
「そうだ。さあ、おしゃべりはここまでにして作業を開始しないと間に合わなくなる」
「それはいけないノ! 頑張るノ!」
「ああ、がんばろう。じゃあ、ボクがチョコレートを刻むから――」
◆
その日、俺はいつものように弟分に呼び出されていた。
「ガストさん、バレンタインデーですよ! ガストさんになら箱でチョコレート届くんじゃないですかね?」
「いやー、それはどうだろうな?」
苦笑いを浮かべつつ、適当にやり過ごす。
俺宛というよりはノースセクター宛に大量にチョコレートは届く。その大部分はマリオン宛のものだ。
今年もきっと大量に届くのだろう。
手作りのチョコレートは何が入っているか分からない事もあり、俺たちの口に入る事はないが、既製品のチョコレートは美味しく頂く。
(しばらくチョコレートまみれの生活になるんだろうなぁ。まぁ、マリオンはチョコレート好きだから良いだろうけど)
弟分たちと別れ、エリオスタワーに帰ろうと歩き出した時だった。すれ違う女の子たちはみんな同じショッパーをぶら下げていることに気づいた。
(ショコラ……モカ?)
さりげなく視線を走らせてショッパーの文字を読む。聞きなれない店の名前に、そういえば近々新しいチョコレート専門店が出来るとジャクリーンが話していたのを思い出した。
(それがあれかぁ……)
ちょっとした好奇心。
スマホで店の場所を検索し、立ち寄ってみることにした。
が。
(うわぁ、分かってたけど、すっげー女の子たちばっかり)
店の前にたどり着いた俺は、若干心が挫けそうになっていた。右をみても、左をみても、正面をみても、女の子しかいないのだ。
(そうだよな、季節柄考えても女の子しかいないことは分かってただろう)
立ち寄るのはやめよう。
そう思って、体を反転させた時だった。
その店で買ったばかりのチョコを開封し、ぱくりと頬張る女の子がいた。
「ん~! これすっごい美味しい! ベリーのソースが少し酸っぱいけど、いいアクセントになってる!」
「はは、あんたって本当にショコラ大好きだね」
「だって食べるとめちゃくちゃ幸せになるんだもん」
そのやりとりを見て、頭に浮かんだのはマリオンだった。
いや、マリオンはあんな反応はしないけれど。しないけれど……!
「あー、ちょっといいかな」
気づいたら身体が勝手に動いていた。
「ひぇっ、あっ、え? どうかされたんですか?」
「今、食べてたチョコってどのチョコレートなのか教えてくれる?」
苦手な女の子に声をかけるほど、俺はそのチョコレートをマリオンに贈りたいと思っていた。
◇
「できたノ~!」
冷蔵庫で固めたチョコレートを取り出し、一口サイズに切り分ける。
「生チョコだからすぐ食べた方が良いだろう。今の時間だったらノヴァもジャックも大丈夫だろうし、ノヴァの部屋に行こうか」
「! 待ってナノ」
「ん? どうかしたのか、ジャクリーン」
よく見ればジャクリーンの前には三つのお皿があった。
「ジャクリーン、それは……」
一体誰の分なんだ? と尋ねようとした時だった。
「お、随分と甘い匂いがするな」
騒がしいのが帰ってきたようだ。
「換気は十分してる。もうすぐ匂いも消える」
「わりぃ、別に文句を言ったわけじゃないんだ。二人で何を作ってたんだ?」
「あのね、バレンタインのチョコレートを作ってたノ~!」
「ジャクリーン……!」
ジャクリーンは生チョコが載ったお皿を両手で持って、台から降りるとガストの傍へ近寄った。
「ん、なんだ?」
ジャクリーンの高さに合わせるようにガストはその場にしゃがむ。
そして――
「はい、ガストちゃま! いつもマリオンちゃまにつまらないお話してくれてありがとうナノ!」
「! ジャクリーンっ」
「これ、俺にくれるのか?」
「はいナノ!」
「そっか、ありがとな。ジャクリーン」
「どういたしましてナノ~! ジャクリーンはヴィクターちゃまとパパとジャックにあげてくるからガストちゃまはごゆっくりナノ~!」
「え」
言うが早いかジャクリーンは残りのお皿を二つ持って部屋から飛び出して行ってしまった。
「ジャクリーン、迷子にならないだろうか」
あの子は迷子になりやすいから心配だ。追いかけようか一瞬悩むが、早速ジャクリーンにもらった生チョコを口に放り込んだガストに視線をやる。
「お、美味い」
「当然だろう。ボクとジャクリーンが作ったんだから」
「そうだよな、マリオンも一緒に作ってくれたんだもんな」
ガストはふっと表情を緩める。なんだか見てはいけないものを見た気になって慌てて視線を逸らした。
「まだ食べたいか」
「え?」
「そのチョコだ」
「あ、ああ。あるなら食いたいけど……」
「……待ってろ、紅茶を淹れてくる」
「マリオン、あのさ……!」
踵を返したボクの背に、ガストが声をかけてくる。
「俺の分だけじゃなくて、マリオンも一緒に食べないか? だから、その……」
「勘違いするな。自分のを淹れるついでにオマエのを淹れてやるだけだ」
「あ、ああ! そうだよな!」
あからさまにホッとした声でガストは言う。
そんなガストから逃げるようにキッチンへと駆け込むのだった。
◆
「ほら、オマエの分」
「サンキュ」
紅茶を淹れたマリオンが戻ってきた。背中の後ろに隠したショッパーをいつ出そうか悩んでいると、追加で持ってきた生チョコを目の前にずいっと出された。
「これはオマエのために作ったわけじゃない。ジャクリーンが一緒に作ろうというから作っただけで、作り過ぎたからオマエに分けてやるんだ」
言い訳めいた台詞を口にするマリオンの頬がほんのり赤い気がした。
(もしかして照れてるとか……?)
珍しい事もあるものだ。まだジャクリーンがくれた生チョコは残っていたが、迷わずマリオンが差し出したものを口に運んだ。
「ん、美味い」
「当然だろう、同じものなんだから」
「はは、まぁそうか」
だけど、ジャクリーンがくれたものよりも、マリオンがくれたチョコの方が美味しく感じた。
これはつまり――そういう事なんだろうな。
「そういえばさっき弟分から呼び出されて出かけてたんだけどさ」
「休日にオマエがどこに出かけようが興味ない」
「その帰り道に新しくオープンしたっていうチョコレート専門店を見つけたんだよ」
俺の言葉にマリオンがぴくりと反応する。
隠していたショッパーに手を伸ばし、それを掴んで、マリオンに差し出した。
「チョコ、好きだろ?」
「……っ、こ、この季節にわざわざチョコレートを寄越すなんて」
「はは、まぁいいじゃん。マリオンが好きそうなやつ選んだんだぜ」
「……開けるぞ」
「ああ、構わないぜ」
マリオンはショッパーから箱を取り出し、蓋を開けた。そこには色とりどりのチョコレートが詰まっていた。
「よく買えたな」
「ああ、結構混んでたけどタイミングが良かったみたいですんなり買えたんだ」
「そうじゃなくて」
「ん?」
「そうじゃなくて、この時期、こういうお店は女性で賑わっているだろう。そんなところによく一人で入れたな」
「はは、それは……まぁ、マリオンが喜ぶかもなーって思ったら気づいたら並んでたというか」
「は?」
「いや、なんでもない」
慌てて言葉を切り、マリオンに向き直る。
「いつも俺の話に付き合ってくれて、ありがとな」
「……ふん」
マリオンはそっぽを向くと、チョコレートを一つ口に運んだ。そのチョコレートはマリオンみたいだなと思って、選んだチョコレートで――
「ん、甘酸っぱい」
そう呟くマリオンに、胸がときめいてしまうのだった。