告白「ユージオッ…!……っ、はぁっはぁ……はぁ……はぁ…………」
息が荒い。
びっしょりとかいた汗のせいで張り付いた服に気持ち悪さを感じる。
何度も繰り返し見るその夢。起きると大抵忘れてしまうそれを、今日に限ってはなぜだか鮮明に覚えていた。
身体が震える。
身体中の血液が機能しなくなったみたいに身体は冷え切り、体温が失われていく心地。こことはまるで違う、VR世界のようなそんな場所で俺を残してユージオが死んでしまう。そんな夢を繰り返し見るせいだろうか。ユージオが居なくなる、そんな嫌な予感が脳裏にこびり付いて離れない。
真夜中にも関わらず、俺は震える手で携帯を手にしていた。
『ふぁ…かずと……?どうしたの、こんな夜更けに』
「……っ」
眠そうな、けれどいつもと変わらないユージオの優しい声に俺はどうしようもなく安堵した。
目頭が熱くなり、じーんと鼻の奥が痺れる。ぽろりと溢れた涙は一度流してしまうともうとめどなくて。勝手に溢れ出してくるそれに俺も訳が分からなくなる。拭っても拭っても一向に止まってくれないせいで、恐らくユージオを困らせているだろう。
『和人、大丈夫?』
それでも、ユージオの声を聴くと、その一音一音に心が締め付けられて、大事にしたい、大事にしなきゃそんな感情が溢れ出す。
伝えたいことが山ほどあるはずなのに、喉につっかえて言葉にならない。
「ゆーじお……っ、悪い……」
『今からそっちに行くから、玄関の前で待ってて。あ、ちゃんと暖かい格好するんだよ』
ようやく絞り出した俺の一言に全てを察したのか、ぼんやりとしていて存外鋭い俺の幼馴染みの言葉に、俺は震える声で頷いた。
*
「和人」
「――ユージオ、悪いこんな夜更けに」
「構わないよ。それよりちゃんと暖かい格好でっていったのに」
頬と目の縁にはまだ先程の泣き跡が残っている。
一度止まったそれも、ユージオの顔を見るともうダメだった。
決壊し、溢れ出るこの感情は一体なんなのだろう。本当に俺の感情なのかそんなあやふやな気持ちとは裏腹に、次から次へと溢れ出す涙にユージオは親指の腹でそれを拭うと困ったように笑う。それから自身が巻いてきていた濃紺のマフラーを俺の首にふんわりと巻いた。
「そんな格好をしていたら風邪を引いてしまうよ」
冬が近づき、木枯らしが吹くこの季節。
朝晩の冷え込みはここ数年でも随一だった。
「……はは、俺に巻いたらお前が風邪引くだろ」
「その時は責任を持って看病してもらうからね」
「お前なぁ」
クスクスと笑うユージオに俺は眉尻を下げて笑い返した。
ほんの冗談だろうけど、仮にユージオが風邪を引いたらやっぱり俺は看病をしに行くのだろう。熱で火照った顔ととろんとした瞳に怠そうだった過去のユージオを思い浮かべて、次は何度目の看病になるだろうと思考を巡らせる。幼い頃は移るからと大人たちに止められた時もこっそり窓から忍び込んでユージオを驚かせたりしたっけ。
でも、どうして今こんな事を思い出したんだろう。
ユージオとは小さい頃からいつも一緒で、一緒にいることが当たり前で。そんな当たり前な毎日はこんなにも暖かいものだっただろうか。
そんな風に感じるのは、きっとあんな夢を見たせいだ。
ユージオは俺が少し落ち着いたのを見計らうと、少し切り出しにくそうに口を開いた。
「君から電話をくれるなんて珍しいよね」
「……はは、確かに。いつもお前から掛けてるもんな」
「そうだよ。でもそれは和人がすぐに……和人?」
ユージオの端正な顔が心配そうに覗き込む。
「ほんとうに大丈夫?」
さっきの取り乱した自身から大分落ち着きはしたけど、そうくるよな。
仮にユージオが俺にあんな電話をしてきたら、やっぱり俺も心配でたまらなかっただろう。
「悪い、でも……何でもないんだ」
「それって、僕には相談できないこと?」
「それは……」
ユージオが悲しげに「そっか」と笑った。
表情豊かでとっつきやすい、誰にでも優しくて、紳士的で、物分かりがよくて、でも時々何かを内に秘めたような暗い顔をする。
――お前にそんな顔させたいわけじゃないのに。
胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。
「ユージオ……俺は――」
ユージオには笑ってて欲しい。どんな表情も愛しくて、愛しくてたまらないんだ。
お前の笑顔を守りたくて、お前との何でもない日常が大切で、あの夢のような出来事が起こりえない事は分かっているけど、それでも、俺は――。
俺がきゅっとユージオの上着の裾を掴むと、ユージオの少し冷えた掌が俺の手を両手で包み込んだ。
「僕ね、和人が電話をくれて嬉しかったんだ」
「え……」
「不謹慎だよね、君が辛い時に。でも、誰よりも先に僕を頼ってくれた事がすごく嬉しかったんだ」
真っ直ぐな言葉。
嘘偽りなどない事は目を見ずとも分かった。
ああ、ユージオも同じなんだ。
他の誰でもないこいつに頼られることがどうしようもなく嬉しい俺みたいに、ユージオも。
「だから本当は力になってあげたいけど、でも君が言いたくない事を聞くのは少し違うし、それに――」
ユージオの言葉を遮るように俺は言葉を被せた。
「ユージオ、ありがとな」
「和人……」
「俺さ、昔から同じ夢ばかり見るんだ」
「夢?」
不思議そうに訊き返すこいつに俺は一拍置いて続けた。
「お前が……死ぬ夢」
「……っ」
ユージオが息を呑んだのが分かった。
一瞬空気が凍りつき、まるでそこに俺だけが取り残されてしまったような気持ちになる。
そりゃあそうだ。誰だって自分が死ぬなんて縁起の悪そうな夢を見てほしくないだろう。
それが親友なら尚更。
「……悪い、今のは――っ?!」
「聞かなかったことにしてくれ」と、そう続けようとした言葉は空に消え、気づくと俺はユージオの腕の中にいた。身長差なんて殆どないはずなのに、包み込んでくれる腕に無性に安心した。
肩口に額をつけたユージオがぐりりと顔を埋めるように擦りつけ、苦しげに呟く。
「キリト……」
「その、名前……」
いつも夢に見るユージオが俺を呼ぶときの名前だ。
VRMMOで俺が使っている名前でもあるけど、現実世界でユージオがそう呼んだことは一度たりともなかった。
「キリト…キリト……っ」
堰を切って溢れ出したようにその名を繰り返し呼ばれ、心臓のおくがぎゅっと締め付けられる。
この気持ちはなんだ。
痛くて、苦しくて……でもどうしようもなく愛おしい。
ユージオはここにいる。いま、俺のそばに。
いつも一緒にいるはずなのに、なぜか今日だけはユージオの存在を感じれることに言い様のない想いが募って、俺はユージオを掻き抱いた。
*
どのくらいそうして居たのだろう。
まるで自分たちじゃないみたいだ。生き別れた友と再会を喜ぶようにお互いに溢れ出した気持ちをぶつけてしまい、少しの気まずさが残る。
「僕もなんだ」
どちらともなく離れた俺たちだったが、ポツリと呟いたユージオの言葉に弾かれるように彼を見つめた。
「多分、同じ夢だと思う。ふふ、でもほんとうに不思議だよ。同じ夢にこんなに心乱されて、まるで現実みたいだ」
「ユージオ……」
「こうしてずっと、君の存在を感じていられたらいいのに……なんて、おかしいよね。僕らは昔からずっと一緒なのに」
「ユージオだけじゃないさ。それに、その夢ある意味現実かも知れないぜ」
「?」
「俺とユージオが出会ったのも、こうして一緒に過ごしているのも、ただの偶然なんかじゃないかも知れないってことだよ」
「はは……まったく君は……でも、うん、そうだね。僕らがこうして出会ったのはお導きだったのかも」
俺たちに前世があるならもしかしたら夢のような別れをしたのかも知れない。
それはどんなに過酷で辛いものだったのだろうか、今の俺にそれを知る術はない。
でも、だからこそ俺たちは今の出会いと二人で過ごせる時間を大切にしなくちゃいけない。そんな気がする。
「ユージオ、俺……お前とずっと一緒にいたいんだ。これからも色んなことを一緒にして、話して、今度こそずっとお前と一緒に。もうあんな――!」
「もう、何言ってるのさ」
「いでっ」
額に走る僅かな痛みと共にユージオの指先が俺のでこを弾いていた。
じんじんとゆるく熱を持つおでこに、俺は恨みがましくユージオを見遣ると、そこには少し怒ったようなユージオの顔があった。
「なにするんだよ、ユージオくん」
「まったく、僕が和人から離れるわけないだろ」
「あ……」
「それこそ、離してって言われたって絶対に離さないよ。離してやるもんか」
「はは、なんだよそれ」
「ふふ」
笑った瞬間の瞬きに弾かれたように二粒の水滴が散っていく。
あんなにも不安で仕方なかった想いも、苦しいまでに胸を締め付ける昂った感情も不思議と和らいでいく。
相棒とか親友とか、そんな言葉で片付けられないまでに高揚したこの気持ちに名前を付けるとしたらそれは。
「ところでさ和人、ずっと一緒にいたいって言うのはその……告白って受け取ってもいいのかな?」
「こくは……く……」
こくはく。
コクハク。
告白…………。
意味を理解するや否や弾かれたようにユージオを見返すも、彼は照れたようにどこか気恥ずかしげに首を傾げるだけで。
「いやっ、ちょっ、ちょっとまってくれ!俺は」
「違うのかい?」
「いや、だって告白って、俺は男で、お前も」
「それでも、僕はずっと和人が好きだよ」
「なっ……」
ぱくぱくと餌待ちの金魚のように口を開閉させる。
ユージオが俺を好き?恋愛として?
考えたこともなかった。
でも、嫌じゃなくて、むしろ。
顔に集まった熱がなかなか引いてくれなくて、胸が破裂しそうなくらいに高鳴って仕方ない。
ずいっとユージオに一歩近づかれると既に近かった距離がさらに縮まって、いつもより強引さを増したユージオにどうしたらいいのか分からなくなる。
「で、でもほら、お前にはアリスが!」
「アリス?もちろんアリスの事も好きだけど、彼女は友達だし。でも、和人は違う」
「ちがうって……あ……」
玄関の扉に背をぶつけ、これ以上下がれないと知る。
トン、と俺の後ろの扉に手をついたユージオは所謂壁ドンの姿勢で。
「ゆ、ユージオ君?冗談はこれくらいにして」
戯けて抜け出そうとすると、それを許さないとばかりに真剣な表情で両手に塞がれる。
「今日は逃さないよ」
ああ、やばい。
腰が、抜けたかもしれん。
ずりっと扉に預けていた背がずり落ちて、自然とユージオを見上げる姿勢となってしまう。男が男に壁ドンされるシチュエーションなんてそうそうないんだから初めてされたのなんて当たり前なんだけど、自然と頬が火照り緊張に身体が強張る。変な汗が噴き出て、心臓が痛いくらいに早鐘を打った。
確かにユージオには『好き』と言われる機会が多かったような気がしなくもない。もし、もしもそれが本当に恋愛としての意味で言っていたのだとしたら。
「ユー、ジオ……」
高揚と興奮。
俺も、もしかしたらユージオのこと。
そう思えば腑に落ちる事が沢山ある。例えば、こうされても全く嫌じゃなくて、むしろ期待してしまっている事だとか。
一度意識してしまうと、なんだか気恥ずかしくてたまらない気持ちになって、俯いた俺にユージオが息を吐く。
「こんな時にまで考え事?ねぇ和人」
一度言葉を区切るユージオに俺はゆるゆると顔を上げて視線を合わせるとユージオの顔が眼前に迫っていて変な声がでる。
俺の大好きなユージオの顔。睫毛が長くて垂れ目がちな大きな瞳とふわりとした亜麻色の髪。女の子にもすごくモテるから俺とアリスがいつもガードして。
そのユージオが俺を好き。
つまり、俺がユージオを独り占めできるってことだよな。……あ、やばい……どうしよう、アリスに抜け駆けだと怒られるかもしれないけど、それはなんだか嬉しすぎる……。
「ほんと、君って奴は……なんて顔してるんだよ」
なんて顔と言われても。
少し離れたユージオの顔にホッとしていると、訳のわからん事を呟いたユージオにスッと視線を逸らされた。
だけど俺はそんなユージオの襟元を掴んで無理やり引き寄せると、
「ユージオ、俺もお前のことが好きだ」
今度は俺からそう真っ直ぐに伝える。
じっとり汗ばむ背中と高鳴る鼓動、自然とユージオから視線が外せない。
一度自覚してしまうとこいつが好きなのだと溢れて止まらなくて、気付くと俺はそのまま引き寄せたユージオの唇を奪っていた。
「ん……」
「っ……ぁ」
きゅっと結んだ唇にユージオの寒さで少しカサついた唇が触れる。
ほんの一瞬の出来事だ。それでもひどく時間がゆっくり流れているようなそんな心地になる。
ユージオはゆっくりと目蓋を上げると、節目がちに親指で自身の唇を確かめるようになぞった。その動きに目を奪われていると、柔和な顔が気恥ずかしそうに笑った。
「急にちゅーするなんて。僕じゃなかったら許さなかったよ」
言われてからぶぁぁぁっと頬が染まるのが分かる。
そうだ、俺、ユージオとキス……。
女の子みたいに片手で唇を押さえ、腰が砕けたみたいにずるずるとずり落ちるとぺたりと座り込む。
「うわっ、大丈夫かい?!」
「大丈夫なわけ……いや、俺からしたんだけど」
「僕は嬉しかったよ」
「嬉しいって、そもそもお前が物欲しそうな顔してるからだからな」
「もっ……そんな顔してないだろ!」
「いーや、してたね」
「絶対してない!」
「絶対してたって!」
お互い譲らない問答に俺たちは二人声を出して笑い合った。
「…………ハハ」
「あはは、あー……何だかおかしいね。こんな所で二人して一体なにをやっているんだか。はい、和人」
手を差し出されてそれを掴み起き上がる。
パンパンとお尻についた砂埃を払うと俺はおずおずと口を開いた。
「あのさ、ユージオ、つまり俺たち恋人って事で良いんだよな」
「あっ……えっと、うん、そうだね、そうなるかな」
「そうか、恋人……」
「うん……」
なんだか妙な空気になって、こんな空気耐えられるかと適当に声を上げる。
「というか寒いな、ほらユージオもこんなに手が冷たいし」
「確かに、いつまでもここに居たらお互い風邪をひいてしまうね」
「全くだ、なんならこのまま泊まっていくか?」
「……ねぇ和人、僕を試してる?」
「なにが?」
「いーや、なんでもないよ。先はまだまだ長そうだなと思っただけさ」
不満そうな顔を見せるユージオに俺は首を傾げると、その手を強引に引いたのだった。