秘められた共犯「どうしてこのようなことになっているのでしょう」
街灯がポツポツと灯る人気のない道を、ヴィクターはガストと並んで歩きながら呟いた。もうじき日付も変わるかというこの時間帯は昼間とは違ってとても静かだ。隣を歩く不良生徒の「はぁ」という微かなため息を横で聞きながら、ため息をつきたいのはこちらの方だ、と言いたい気持ちを抑えてヴィクターは前を向いたまま歩き続ける。特に目的地なんかは共有していないが、おそらく駅に向かっているのだろうと推測した。
「……悪かったよ、でもこうでもしねぇと帰れそうになかったから」
申し訳なさそうにそう言いつつ、どこか納得いかないような態度でガストはヴィクターへと視線を向けることもなく歩き続ける。その足取りはどこか重たい。
「そもそも、何故貴方の父親ではなく私が呼ばれたのでしょうか」
先ほど、ヴィクターが呼び出された先は学校近くの交番。そこにはどうやら補導されたらしいガストが所在なさげに警察官と向き合って座っていた。学校にかかってきた電話を無視するか悩みつつ受けた結果、今このような状況になっている。
「……別に、たまたま学校にいたのがセンセーだったってだけだろ」
特別な理由なんてなかった。誰でもよかったとでも言いたげにガストはそう返すが、ヴィクターはその返答には到底納得できそうになかった。
「そうですか……では、まず最初に父親に連絡はされたのですか?」
「……」
ヴィクターからの言葉に、ガストは沈黙を返す。その沈黙は、ヴィクターにとってはほぼ答えを与えられているようなものだった。こういった場面で適当な嘘をついて乗り切るのは得意そうな気がするが、あえてそうしないのは、そうしたところでヴィクターには通用しないと理解しているからだろうか。
「まぁ、この際父親に連絡したかどうかは置いておくとして……それでも、普通の学校であればなかなかこんな時間に教職員は残っていませんよ」
ヴィクターはそう言ってちら、と付近の建物を見渡す。大きなビルなんかであれば、この時間帯に電気がついているフロアはちらほら目に入るが、そうではない建物、ちょうど今通り過ぎた中学校の校舎なんかは非常灯がぼんやりと灯っているだけの真っ暗な状態だ。大学ともなれば、深夜であっても学生や教職員が残っていることは珍しくはないだろうが、高校までの教育機関ではその限りではない。
「貴方は、『私が』まだ学校にいると考えて連絡してきたのでしょう?」
ヴィクターは思っていたことをガストに伝える。ガストは黙ったままだが、その言葉に若干気まずそうな顔をした。
「父親に連絡をするのが嫌で、そうなると次の候補くらいに学校が挙がるのは不思議ではないですが……貴方にとっては学校側に知られることもあまり思わしくないですよね、ガスト?」
「……何が言いたいんだ? センセー」
一方的に語られて、ガストもようやく口を開く。隠すつもりもないため息と共に吐かれた言葉は普段と違って物憂げな様子だ。
「そうですね……せめて一言、お礼くらいはあってもいいのではないかと」
ヴィクターはそう言うとガストの前に歩み出て、その足を止める。進路を塞がれたガストは渋々足を止めてヴィクターと向き合った。
「さすがに、それくらいは言えますよね?」
まるで、小さい子供を窘めるかのような言い方に、ガストは決まりが悪そうに顔を僅かに紅潮させる。
「……ありがとう、センセー」
視線は逸らされてしまったが、ガストの口から感謝の言葉を聞いたヴィクターは、どういたしまして、と言うと再びガストの隣へと位置を戻した。
「それにしても、やけに機嫌が悪そうですね。普段の貴方であれば、もう少し取り繕った話し方をしそうなものですけど」
それは、呼び出されてからのガストの様子を見て、ヴィクターが感じていたことだった。伝説の不良と恐れられ、問題児として校内でも有名になっているガストではあるが、基本的には人当たりのいい性格をしており、ヴィクターに対しても普段はもっと穏やかな話し方をしている。
「先ほど聞いた話だと、喧嘩相手をだいぶ執拗に攻撃した様子だったということですが……それと関係しているのでしょうか」
それを聞いても、ガストは口を閉ざしたまま黙々と足を進める。交番で警察官に聞いた話によると、喧嘩相手は三人組だったようだ。しかし、ガストがこうしてピンピンしているのに対して、三人組は体中に痣を作り、足取りもだいぶよろよろとしていたらしい。そのせいもあってか、ガストは喧嘩を売られた側ではあったが、なかなか信じてもらえず長い時間拘束されていたようだ。
ヴィクターがガストと知り合ってから、これまでも喧嘩をすることはよくあったが、ここまで不機嫌さを露わにしているところは見たことがなかった。喧嘩相手、または警察官によほど気に障ることでも言われたのだろうかとヴィクターは見当をつける。
「大方、仲間の誰かに危害を加えるとでも脅されたのでしょうか」
ヴィクターが発したその言葉に、ガストが横でピクッと反応する。その様子に、どうやら図星のようだとヴィクターは自分の勘が当たっていたことを認識する。
「だったら悪りィかよ……」
「そうですね、少なくとも仲間のためによくやりましたね、なんて褒めるつもりはありませんよ」
容赦なく発せられる言葉に、ガストはヴィクターとは反対側に顔をふい、と背ける。そのため、ヴィクターからはガストの表情を窺うことはできないが、きっと彼が望んだ返答ではなかったのだろうと推測することは容易かった。
「ところで、ガスト……貴方、自分の立場をちゃんと理解していますか?」
ヴィクターは再びガストに問いかける。
「さすがにそろそろ、こういった問題を起こすのはやめた方がいいと思いますよ。真面目に進級する気はありますか?」
その言葉に、隣でガストが面倒くさそうな顔をする。交番でも散々説教をされた後なのか、再びそれが再開されるのは勘弁願いたいといった表情だ。それでも、無視し続けていたら延々と隣で説教を続けそうなヴィクターにガストは渋々噤んでいた口を開いた。
「わかってるよ、でもそうは言っても喧嘩売られたら買うしかねぇし、話してわかるようなヤツらばっかじゃねぇからどうしたってこうなっちまう」
諦めの感情が強く滲み出ているガストを横目に、ふむ、とヴィクターは顎に手を添えて考える素振りを見せる。ヴィクターが在職している百万北高校は、市内、さらには日本でもトップと言われる超名門校である。そんな学校の生徒ともなれば、やはり優等生が多いわけで、このような問題と対峙するのはヴィクターにとっても初めてのことだった。
ヴィクター自身もそういった喧嘩なんかとは無縁の人生を歩んできたために、そもそも日常的に喧嘩をする者たちの思考がまず理解し難いのだが、何かいい解決策はあるだろうかと考えを巡らせる。
「前提として、貴方は好んで喧嘩がしたいというわけではないのですよね?」
「え? あぁ、別にそういうわけじゃねぇけど……」
それを聞いて、ヴィクターは考えがまとまったのか、ガストに一つの提案を口にする。
「それなら簡単なことですよ、今後喧嘩を売られたら逃げてしまいましょう」
「はぁ⁉︎」
予想していなかった、いや、言われてみれば最も無難とも考えられる対処法ではあるが、ガストの中には全く存在していなかったその考えを提示されて、ついガストは大きな声を上げてしまう。
「いや、まぁ言いたいことはわかるんだけど……さすがにそれはダサくねぇか?」
「ダサい? それは貴方の価値観での話でしょう? 北高の生徒たちであれば、面倒ごとに巻き込まれないよう自衛する姿勢の方が好まれるかと思いますが」
「えぇ、そうか……? 少なくとも、あの生徒会長サンは喧嘩を売られたら黙ってねぇと思うけど?」
淡々と告げるヴィクターに、ガストはつい思ったことを口にする。といっても北高の中でも血の気が多い者はそんなに多くはない。ヴィクターの言うように、逃げる選択肢を選ぶ者が多そうだと頭ではわかっていても、ガスト自身は実際に行動に移すことができる気がしないと唸りながら頭を掻く。
「逃げる、という表現が気に入らないのであれば、無視すると思えばいかがですか? それならそのようには感じないでしょう?」
「あ〜それなら、まぁ……? いや、でもそれができないから苦労してるんだったな……」
「まぁ、そうでしょうね」
ヴィクターはそう軽く流して、腕時計の時間を確認する。交番を出た頃には、まだその頂点を指していなかった長針が、今ではそれを通り越して文字盤の右側に伸びている。
「とりあえず、その解決法を考えるのはまた後日にするとして……この後はどうするつもりです? 真っ直ぐ家に帰れますか?」
その質問に、ガストは若干体を縮こませる。ヴィクターがこれまでに聞いている話から察するに、ガストはどうやら父親との関係があまり——いや、だいぶよくないらしい。北高への転校も、北高の同窓会会長である父親がやったことなのだと話を聞いたことがあった。そんな中で、この時間帯に家に帰ってきて、しかも補導されていたなんて知られたら、父親の怒りは相当なものになるだろうと予想できた。
ガストも、ヴィクターの問いが家への道のりや夜道を歩くことの心配、ではなく家に帰った後のことを心配してくれているということは感じ取ったようで、僅かに眉を下げて困り笑いを浮かべる。一難去ってまた一難、という状況ではあるが、二人の間を流れる空気は先ほどよりはだいぶ穏やかなものになっていた。
「いやぁ、どうすっかな〜……その辺のネカフェにでも行って時間を潰すよ」
そう言って、ガストはスマホを取り出すと、何やら画面を操作し始める。おそらく、近くのネットカフェなんかを検索しているのだろう。
「家に帰らないで、父親は心配されないのですか?」
「まぁ、家に帰らないことなんてこれまでもあったし、そこまで気にしないだろ」
「それ以前に貴方はまだ未成年、高校生ですよね? この時間帯に入店可能な店はないと思うのですが」
もっともな指摘にガストがウッと気まずそうな声を上げる。教員としても、一人の大人としてもその発言を見過ごすことはできなかった。ガストの慣れた口ぶりからして、これまでも何度かその大人びた外見を利用して上手く入店していたことはあるのだろうとヴィクターは推測するが、今はそれには言及しないでおくことにした。
「家には帰りたくないのですね?」
「……まぁ、そうだな。さすがにこんな状態で帰ったら何言われるかわかんねぇし、めちゃくちゃ面倒なことになるってことだけはわかるからな」
そう言って、ガストは自分の状態を見て苦笑する。ガストが相手から攻撃を食らうことはほとんどなかったのだが、それでも身につけている制服には一悶着あったことが目に見えてわかる汚れや皺がついている。これでは、嘘をついて誤魔化そうにもなかなか骨が折れるだろう。
困ったように笑うガストのその表情は、普段の彼から感じられる頼れるアニキといった印象とは打って変わって、行き先がわからない迷子のような頼りない表情だった。
「仕方がありませんね……ガスト、私と共犯関係を結びませんか?」
ヴィクターはそう言うと、ガストの方へと顔を向ける。驚いたガストと視線が合うと、悪戯が思いついたかのように僅かに口角を上げた。
「共犯関係……って、一体何をやらされるんだ?」
恐る恐るといった様子で思わず足を止めてガストが尋ねる。これまでに、学校でヴィクターの『実験』に何度か付き合わされた経験のあるガストは、若干ヴィクターとの間に距離を取る。
「そう身構える必要はありませんよ。お互いに今夜のことは秘密にしておきましょう、というだけの話です」
ヴィクターはそう言って話の先を続ける。
「私としても、貴方が補導されたことが学校側に知られてしまうと色々と面倒なので、誰にも知られないで済むのであれば、それに越したことはありません」
まるで教職者とは思えない発言に、ガストは呆気に取られるが、補導された件が広がらずに済む——何より、父親の耳に入らないので済むのであれば、それはガストにとっても望むことであった。
「そうは言っても、警察から学校に連絡がいくんじゃねぇの? さっきのヤツが連絡したら一発でバレちまうだろ」
「バレてしまったらその時はその時です。先ほどの警察官にも私の方から話をしておくと伝えたので、わざわざ改めて連絡を入れてくるとは思えないのですが……」
まぁ、『学校側』に話すとは一言も言ってないんですけどね、とヴィクターは白々しく続けた。
「念の為確認しておきますが、学校の他にどこかに連絡はしましたか?」
「いや、学校にしかしてねぇけど……」
「そうですか、それならよかったです」
ヴィクターは安心したように、そしてどこか嬉しそうにガストの返答を聞いて微笑んだ。
「運良く明日は日曜日で学校は休みですし、部活動等で登校する生徒や教員はいるでしょうが、わざわざ警察が連絡を入れようとは思わないはず……一日経てば連絡しようなんて考えはだいぶ薄れているのではないでしょうか」
ヴィクターにしてはどこか適当な推測をちょっと意外だと思いながら、ガストは話を聞いていた。その時はその時、と言っていたようにバレた際にはどうにかする手立ても何かしら考えてはいるのだろう。
「そして、この後のことですけど……ガスト、今日は私の家に泊まってください」
「……えぇっ⁉︎」
またしても予想していなかった提案にガストがわかりやすく動揺する。
「さすがに、こんな深夜に生徒を一人放置しておくわけにもいきませんし、家に帰すわけにもいかない……そうなると、こうするしかないでしょう?」
「いや、それは、そう?なのか? でも、いいのかよセンセーの家に泊まらせてもらって……」
どこか遠慮がちなガストの様子を、ヴィクターはどこまでも人を頼るのが下手だなと微笑ましく見つめる。
「貴方の父親に知られるとそれはそれで色々と面倒ですし、それに——貴方がしたように、私も大切な人を守りたい、助けたい、と思う気持ちはあるのですよ」
「……え?」
何を言われているのか理解するのに少しの時間を要した。先ほどは否定されたと思い込んでいた仲間を思う気持ち自体は否定されていたわけではないとわかって、ガストは少し安心した。
ヴィクターが言う大切、にどこまでの意味が込められているのかはわからないが、それでもヴィクターにとってのそういった存在に自分が含まれていることは、純粋に嬉しかった。
「ただ、生徒を保護するためと言っても、未成年を家に連れ込むというのは聞こえが悪いですから……これももちろん、秘密ですよ」
「わ、わかった……ありがとう、センセー」
ガストの返事を聞くと、ヴィクターは満足そうに笑って先ほどより少し大きな歩幅で再び歩き始める。ガストは置いていかれないよう、その背中を軽い足取りで追いかけた。