「……なんだこれ?」
稽古終わりに突然ひらりと渡された一枚の紙切れ。思い当たる節が無くて、訝しむように覗き込むと、そこにはやたらと豪胆で達筆な懐かしい文字が書かれていた。
「唐揚げ食い放題券……??」
「やっぱ大御所俳優様ともなるとそんじょそこらのモンじゃ喜ばねえだろって話になってよ」
「はあ……?」
懐かしい字を書いた張本人である柊の言葉に、それでも要領を得ない返事しか出来ない。突然唐揚げがどうしたというのか。
「お前、もしかして忘れてんのか?」
「何が?」
「うわマジか、十年も経ちゃ変わるもんだな」
柊との会話に横から入ってきた雄三が、嘘だろうという目でこちらを見てくる。だから、一体何が。話の流れが見えなくて、何かヒントはないのかと再び手元の紙切れを見つめてみる。唐揚げ食べ放題券。場所:Gentiana。有効期限:2019年8月15日限り有効。
「…………あ!? 今日俺誕生日か!?」
「気付くのおせえんだよアホ」
仕方のねえやつだな、と笑う柊の目尻に刻まれた皺を見ながら、そういえばそうか、とやっと事の次第を把握したのだった。
*
「今日店はやってないのか?」
「そちらのお客様の貸し切りだ」
そちら、と指された先にいるのはひらひらと手を振る柊と、呆れたようにため息を吐くレニ。その隣で既にビールを呷っている雄三に、早くお前も座れと促される。さっさと厨房に入っていく善を見送りながら、紘もようやく椅子に座った。
「まさか本当に誕生日忘れてるとはな」
「ここ数年は仕事でそれどころじゃなかったんだよ。大体今は息子の誕生日のが大事だしな」
「寮にいた頃は一週間前からそわそわしてたくせにすっかり大人になっちまってよお」
「うるさいな! あの頃だって大人だっただろ!」
「雄三、記憶にあるか?」
「いや、ねえな」
「だろうな。知らなくても分かる」
「レニまで何言ってんだ!」
先に出された酒を各々手にしながら、十年なんてプランクを感じさせない軽い応酬が続いていく。まるであの頃に戻ったように。止まった時間を取り戻すかの如く、あの時はああだっただのこうだっただの、止まらない会話に酒は進んだ。
それからほどなくして、厨房の奥から山盛りと言って過言ではない量の唐揚げを持った善が現れる。いや、食べ放題って言ったって中年のおっさんどもが食べられる量なんてたかが知れてるだろうが。半ば呆れ気味にその山を見ていると、ドン、と紘の目の前にその皿が置かれた。
「ありがたく味わえ。ったく、人の店をなんだと思ってるんだ」
「俺が頼んだわけじゃねえだろ!」
「うるせえ冷めるから早く食え」
つい癖のように善の言葉には噛み付いてしまうけれど、確かに唐揚げに罪はない。ぐっと詰る言葉を飲み込み、手元の箸を伸ばした。
「……」
からりと揚げられたそれは、懐かしい味がした。あの頃から何も変わらない、一番好きだった味。寮に入りたての頃こそ実家の唐揚げのが美味いと言って憚らなかったはずが、気付けばこの味にすっかり慣らされてしまっていた。
もう二度と食べられないと思っていた、それ。
「なぁんでそこで泣くかねお前さんは」
「もう酔っ払ってんのかあ?」
「ったく……」
もぐもぐそ咀嚼をしながら、ぼたぼたと零れる雫は真っ白なテーブルクロスを濡らしていく。馬鹿だな、と苦笑しながらも、皆の視線は温かい。懐かしい、あの時のまま。
「主演がそんなんでどうすんだよ、ほらシャキッとしろ」
「まァ泣くほど美味えのは分かる。ほら麗仁も食え」
「この時間の揚げ物は……」
「GOD座の主宰様ならこんなカロリーさっさと消費出来んだろ」
「鹿島、お前私のこと馬鹿にしてるのか」
「いいから食えって」
たった五人しかいないこのテーブルで、それでもこの騒がしささえ懐かしさを覚える。それが余計に涙腺を刺激するのだけれど、それでも食べることは止まらない。
「泣きながら食うって器用だなァおい」
「テレビで五歳児がこういう食い方してたぞ」
「やっぱりガキのままだな」
「違えねえ」
一つ、また一つと山から唐揚げが減っていく。ここにいる全員、もういい年だというのに、気付けばあっという間に皿は空になっていた。
その頃には紘の目からも涙は止まり、グラスに残っていた最後の酒を飲み干した。
「ごちそうさま」
「おう、感謝しろよ」
「柊さんなんもしてねえだろ」
「券作ったし店も貸し切った」
「貸し切りは善さんじゃねえの。ていうか料理も善さんだし、ほぼ善さんの独壇場だろ」
「鹿島、お前と私はそれ以上に何もしていない」
「た、たしかに……」
その言葉に、吹き出したのは誰だったか。年甲斐もなく馬鹿みたいな笑い声が響いて、その声に紘はほんの少しだけ、また涙が出た。