むかし、本当にむかし、隣のアパートには兄がいた。
オレには上と下に一人ずつ男兄弟がいるけど、それとは違った別枠の、血の繋がらない兄が。
近所の頭がいい高校に通っていて、毎朝早くに出て遅くに帰ってくる人だった。それでいてまだガキンチョなオレと仲良くしてくれてた、優しくて綺麗な人。オレはその人と遊べることにどこか優越感を抱いていて、すごく仲がいい友達にだってその人のことを話したことは無かった。兄弟にだって言わなかった。
その人はシュウって名前らしかった。初めて会ってから数ヶ月は経っただろうなってくらいの時に、お互いの名前を教えあった。名前を聞いてから暫くは、一人の時に口の中でころがすみたいにシュウ、シュウって確かめては笑ってた。なんだか、誰も知らない秘密を教えて貰ったような気がしたから。
シュウの名前を知ったからといって何か特別な変化はなかった。それまでと同じでたまに遊んで、勉強を教えてもらって、ちょっと遠くに出かけて。そうやって一緒にすごした時間が増えていた時に、たまたま、シュウはどうしてもそこの高校に通いたかったから一人暮らしをしてるんだって教えてくれた。家族は違うところで暮らしてるんだよって。その時はなんでわざわざ遠くに来るのかよく分からなかったけれど、今となってはよくわかる。成程、彼の通っていた高校は進学に有利だし、下手な大学に引けを取らないほど色々なことが出来る。だからここに来たんだな、と思ったりして。
いつかの春の日に手紙一枚だけ寄越してシュウは居なくなったけど、シュウの存在は確かにオレの中に根付いていた。うっすら恋すらしていたあの人は、いい思い出として一緒残るんだろうな、なんて思ったし、あの人の影響で同じ高校に入って同じ制服を着ていることにどこか満足感を抱いていた。あの人の記憶は昇華され、血の繋がらない優しい兄とのくすぐったい思い出として終わるはずだった。そのはずだったんだ。
なんで今こうやって昔のことを思い出してるのかっていうと、そのオレの初恋とも言える人が、何故か全校生徒の前で赴任してきた先生として紹介されてるからなんだけど。
驚きでまともに頭が回らないオレのことを置いて、集会は進む。その人は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「こんにちは。新しく赴任してきました闇ノシュウです。昔はこの学校の生徒でもあったので君たちの先輩にもあたるかな。僕もまだまだ新米だけど、皆と一緒に成長していけたら嬉しいな。」
オレからあの人を攫っていった春が、あの人をプレゼントしてくれたような気がした。