夏バテ「おい、大丈夫か」
「あぁー…何とも言えんな」
気だるげに答えた声の主は、問う声の主に視線すら寄越さず、寝台に身を横たえていた。
普段の凛然とした姿勢は見る影もなく、額の上に手の甲を乗せ、茫洋として虚空を見るとも無しに見つめている。
それをさほど心配するでもなく、銀髪の青年は湯気の立つ銀盆をベッドサイドテーブルに置き、傍らに腰かけた。
「そら、お前は暑いからと言って冷たい水だの生野菜だの摂ってばかりいるからだ」
「ああ、反省しているとも、大いにな。我が身の不甲斐なさが情けなくて堪らん」
バツの悪そうなラーハルトの目の前に、ぐいとスプーンが差し出される。
「ならちゃんと食え。食わんことには回復せん」
強い匂いを発するそれに、ラーハルトは思わず眉をしかめた。
「まて、匂いがまずキツい。何だそれは」
「白身魚のソテーに香菜を和えた。消化はいいはずだ」
「……感謝したいところだが今は胃が受け付けん。悪いが明日いただこう」
部屋のすみに設えられた木製の箱をラーハルトが指し示す。それはアバンとポップが試験的に開発したもので、内部の温度が上がらないよう呪法を掛けた木箱の内部を二段に分け、上段にヒャドによって作られた氷を納め、下段に腐らせたくないものを入れる、家庭用の保冷庫だ。保存食や携帯食料ばかりではつまらないだろうと世話焼きのアバンから魔法の筒に入れて押し付けられたものだが、使ってみると食料を始め薬液等の保管にも役立つので彼らはすっかり頼りきっている。
「食って体力回復せんとダイの前で失態を晒す事になるぞ。普段から誇り高き竜の騎士の臣下としてどうのこうの言っているのはお前だろう」
渋るラーハルトには実のところダイを持ち出すのが一番効く。果たしてぐうの音も出なくなったらしいラーハルトは、渋々の表情で身を起こし、手を皿へ差し出した。
「自分で食う」
だがヒュンケルはその手を制し、尚も匙をラーハルトの口許へ突きつける。
「有り難く食え。体力回復が最優先だ」
黒檀の瞳が強い光を湛えてラーハルトを射抜く。何がなんでも己が手ずから食べさせたいという意思だ。
ぐ、と詰まったラーハルトは、諦めの表情とともに口を開いた。
こうなるとヒュンケルという男は梃子でも効かないし、そもそも体調管理を怠ったのは自分の責任だ。
「……うむ、確かに効きそうだ」
気怠い身の今は美味いとも不味いとも述べかね、敢えて薬効の実感を選んだ。普段ならば一も二もなく美味いと自然に口をついて出たろうに、自己管理の甘さが口惜しい。
そんなラーハルトを気遣うように、ヒュンケルが肩に手を置き、宥めるような手付きでさする。
「しかし意外だな、お前はいつもしっかりものだから夏バテなんぞにはならないと思っていたよ」
「元々暑いのは苦手なんだ。バラン様がご存命の時はそれなりに気を張っていたし、どうやらあのお方の竜闘気は――知らず知らずのうちにだが――我ら竜騎衆の基礎体力や身体能力を上げて下すってもいたらしい。バラン様のお力を感じているうちは妙に体調が良かった」
その答えにヒュンケルは好奇心を刺激されたよう、目を見開いた
「竜の騎士の力か……なるほど、神の造りたもうた存在ならばそういうこともあるのかも知れんな」
「ダイ様の前に馳せ参じた時も、似たような高揚感と安心感を感じた。お前達にもそういうことがあったのではないか。竜の騎士が偉大たる所以だ」
確かに、ダイの存在にヒュンケル達は安堵と高揚感を感じていた。幼い双肩で勇者への期待を背負い戦う彼に痛ましさを感じつつも、彼の優しさ、勇壮な竜闘気、雄大な大気と天上の灝気にも似た神秘性が仲間達にいつも勇気を与えていてくれたのだ。
物思いに耽り掛けたヒュンケルだが、ふと何の気なしに言葉が口をついて出た。
「オレが相手では気を張らんのか」
その言葉に、ラーハルトの視線が外され、枕に伏せる。
「……言っておくが、お前を蔑ろにしているわけではないぞ」
ラーハルトは他者へは寸分足りと隙を見せぬ、誇り高くも気位の高い男である。そのプライド故に意地を張りがちだが、また嘘は決して言わない性分でもあった。
ヒュンケルの唇が、柔らかく綻んで穏やかに笑みの形をとる。
「分かっているさ。ゆっくり休め」
その意地っ張りな額へ、優しく唇を落とした。