I wish 「Happy Birthday! 父さん!」
クラッカーの音に父さんはぎゅっと目を瞑る。銃を扱っていたくせに、クラッカーは違うんだと身構える癖は昔から変わってない。僕の手元から飛び出した紙テープがはらはらと床に落ちた頃、ようやく細く目を開ける。
僕が小さい頃も、目を瞑りながら父さんが鳴らしてくれるのをじっと見ていた。お誕生日おめでとうって言いながら、僕の誕生日を祝ってくれる父さん。
普段あれだけ強い父さんにも苦手とするものがあって、普段あれだけカッコいい父さんでも怖いと思うこともあるんだっていうのが不思議だった。僕だけが知ってる父さんの顔が見れるこの日が、幼い僕には特別で、待ち遠しかった。
「はい、ロナルドくんの誕生祝い特製から揚げ」
「おおっ! 山盛りじゃねぇか!」
「この歳でこの量で喜べるのもさすがだよねぇ」
ドラルクがテーブルの上に大皿いっぱいに乗せたから揚げを父さんの前に置いた。湯気が立ち上り、父さんの顔を白く染める。
ドラルクが戻ってきてからは、誕生日や記念日にはドラルクの料理が並ぶ。父さんの好きなから揚げやオムライス、あと大きな丸いケーキも当たり前に揃っていて、テーブルの上は華やかだった。
それまでは父さんと一緒に作った生煮えの料理や焦げた料理。スーパーで買った惣菜やテイクアウトの冷えた料理。ケーキも店が閉まっていたから、コンビニの二個入りのカットケーキだったことも、それすら売ってなくてプリンやゼリーだった時もある。
それでもいつもと違う食卓にわくわくしていた。いつもは行かない店に一緒に行ったり、いつもなら外には出られない時間に父さんと一緒に街を歩いているのが楽しくて、行く場所はどこだって良かった。
特別な日。歳を重ねるということがまだ良くわかっていない僕には、誕生日はいつも父さんと特別な時間を過ごす日だった。それが嬉しいと思っていた。
「俺一人じゃないからこれくらいいけるだろ。なぁ、ジョン?」
「ヌッヌ~!」
「ジョン、食べ過ぎたらケーキは食べられないよ?」
「ヌ~~!」
「今日くらいいいだろ。ケチケチすんなよ」
ドラ公はケチとかではなく、とジョンの体調管理について懇々と説明し始めるが、から揚げを前にした父さんは半分も聞こえていない。話を遮るように食おうぜと言われ、ドラ公も諦めたようだった。
全ての皿が並び終わると、いただきますと自然に声が重なる。これはドラ公が来る前からの我が家の決まり。言われたわけじゃないけれど、父さんがいつもそうしていたから僕も真似ていただけだ。
食事を前に手を合わせるのは、食材への感謝と今日生きれたことへの感謝。なんでもない日常が送れたことを思うと、自然と手を合わせていた。死と隣り合わせな仕事の父さんだったから、食事の時に今日も一日無事終わったとほっとした顔を見せていたのをずっと覚えている。
母さんの写真の前でも手を合わせていたから、何か違和感を持ったことはなかった。挨拶の一つくらいの感覚でずっと続けていた。テーブルマナーなんかはドラ公が来てから修正されたこともたくさんあったけれど、食事前の挨拶はずっと変わっていない。
「うめぇ……!」
「ヌヌー!」
サラダなどもあるが、大分ボリュームのあるラインナップ。だけど父さんは気にすることもなく次々に口の中に放り投げていく。ジョンも競うようにから揚げに食いついていた。
高校生の僕よりも若さを感じてしまう食べっぷりに、思わず頬が緩んだ。一瞬で一回り小さくなったようなから揚げの山に僕も手を伸ばす。
「あちっ」
「気をつけなさいよ。しっかり二度揚げしてるから」
「もう冷めてるかなって思っちゃったよ」
「まあ、あれを見てればねぇ」
目の前ではふはふとから揚げを頬張る一人と一匹。飲み込んでるんじゃないかというスピードに僕も続いてしまい、うっかり火傷するところだった。
出来立ての食事の並ぶ誕生日。これが当たり前になっていた。拙い料理や冷めたものは並ぶことはない。父さんの負担が減ったから幼い僕はそれを喜んだ。もちろん豪華な見た目にも喜んだけど。
料理をあらかた食べてしまうと、綺麗にデコレーションされた丸いケーキがテーブルの中央に飾られた。売り物かと思うほどの出来栄えに毎回関心してしまう。料理で人の気を引く吸血鬼の特性とはいえ、ここまで出来るのはもうドラ公の個性なのだろう。
立派な誕生日会。ただ、昔の記憶は少しずつ薄れ少なくなっているのが、少しだけ寂しいと思ってしまった。
「父さん、これ」
「ん? なんだ?」
一通り食べ終わり、テーブルの上が食後のお茶のみになった頃、僕は小さな封筒を一つ、父さんの前に差し出した。シンプルな封筒を持ち上げて、なんだと首をかしげている。
答えないでいると父さんは黙って封を開け、中を覗き見る。不思議そうに眉を寄せていた顔が、ふと動きを止めた。
「これは……」
父さんが封筒から摘み出したのは数枚の紙の束。目の前に持ち上げて、長い睫毛を揺らし何度か瞬きをした。
「肩叩き券……?」
「そ」
ペラペラと広げると父さんの手の中から、蛇腹に折られた紙が広がりテーブルに伸びていった。その紙の向こう側に僕の字が透けて見える。
「なんだい、今年は随分とシンプルなものにしたんだね」
「だってバイト代は結局父さんのお金だって言われちゃうとさ」
「あら、気にしてたの」
「うるさいな」
今年も父さんの誕生日のプレゼントを迷っていた。父さんと一緒にいたくて増やしたバイトのおかげで、資金はそれなりにあったから余計だった。
けれどある日、ドラ公が言った言葉でその迷いがさらに深みに嵌まってしまう。バイト代でしか増えない僕の貯金。それは元を正せば父さんからのお金が動いているだけだと言われたら、考えないわけにはいかなかった。
父さんが自分の誕生日のプレゼントを自分で買う。それはおかしいけれど、学生の僕には他に収入源もない。けれど何も贈らないのは嫌だった。
「肩たたき券におそうじ券、おつかい券にお悩みそうだん券……。他にもこんなに」
「懐かしいでしょ?」
「昔も同じのくれたっけな」
「覚えててくれたんだ。昔あげたのは父さん全然使ってくれなかったからさ。昔のと同じのなら、今度は使えるでしょ?」
「そうだなぁ。あの頃のはなんとなくもったいなく思っちまってな」
子供の頃に何度かこういったお手伝いカードを渡したことがある。父さんは喜んでくれた。ありがとうと何度も言われ抱きしめてくれたのを覚えている。
けれどその券が使われることはなかった。本当は嬉しくなかったのかと、幼心にショックを隠しきれなかった。嫌だったかどうかを聞くことは出来なかった。真実だと知ってしまったら、泣いてしまいそうだったから。
泣かずに済んだのは、父さんがその券を大事にしまっていているのを見てしまったから。手紙やちょっとした工作なんかと一緒にしまって、それを見返しては笑っているのを深夜に目が覚めた時に見てしまった。
大事に思っていてくれたからこそ使えなかった。使ってもらえないのは残念だったけど、嫌だったわけじゃない。幼い僕はそれだけでホッとしてしまった。
「ありがとうな」
「どういたしまして」
父さんの目尻が懐かしさにふわりと下がる。何度も見た顔だった。大事にされていると感じて、僕まで嬉しくなったあの頃を思い出す。
「それだけっていうのもあれだからさ、今度ご飯付き合ってよ。僕、行ってみたいとこあって。ほら、僕が行きたいとこならプレゼントとは違うでしょ?」
「ははっ、そうだな」
隣でドラ公の目がきゅうっと細くなっている気がする。もう何年も一緒にいるのだ。見なくても空気で感じる。
別にドラ公の食事に不満があるわけでも、口にあわないわけでも、当てつけなわけでもない。ただあの頃のような時間が欲しかっただけ。
「あと、今回は使ってよ?」
「わかってるよ」
父さんがしまってしまった拙い字で書かれたおてつだい券。もちろんあの券なんてなくてもできる限りのことはしていた。疲れて帰ってきた父さんの帽子やコートを必死にかけたり、寝てしまった父さんに布団をかけて、いつも僕にしてくれるみたいにぽんぽんと叩いてぐっすり眠れるようにおまじないをかけていた。気付いたらいつも自分が寝てしまっていたけれど。
あの頃は幼すぎて支えることも守ることも出来なかった。大好きな父さんが大変なことがわかっても、何もできない自分がもどかしかった。
今も扶養されてる高校生で、父さんを守ることもできない。けれどあの頃とは違う。体だけは父さんと変わらないほどに成長した。
守られるだけではない。守るほどの力はまだ子供に分類される僕にはないけれど、あと数年もすればちゃんと誰かを守れる大人になれる。
あともう少し。それに気付いてから時間の流れが遅くなった。早く、一分一秒でも早く。貴方の隣に立ってもおかしくないところまで。
「お誕生日おめでとう。父さん」
だから今は、昔より少しは頼れる年になった僕を感じて。ほら、貴方の息子はもうこんなにも大きくなって、なんでもできるようになってる。
あともう少し。貴方の苦しさも寂しさも、全て隣で支えられるようになるその日まで。