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    3/17のイベントの新刊予定。
    途中まではアップする予定です。

    キョンシーになったニキを拾ったマヨイが、一緒に暮らしつつよろず屋をしたり、ニキを人間に戻すために頑張ったりする話。

    #ニキマヨ

    ニキマヨ キョンシーパロ『阿瑠果堂奇譚』 邑を囲う城壁の西といえば、まともなものならば近づかない。
     日当たりも悪くいつも湿っていて、ここに居着く者はそこしか選ぶことができない者か後ろ暗いことをしている者だけだ。
     まだ日は高いはずなのに、どこか陰気な雰囲気が漂い、近寄るものを拒んでいた。
    (……思えば……最初から嫌な予感しかしませんでした……)
     依頼文を握りしめたマヨイは、目の前の光景を前に立ち尽くしていた。
     年の頃は10を半ば過ぎた頃。
      紫色の長い髪を緩く三つ編みにまとめた色白の青年は流れるような艶を含んだ目元と口元の黒子が特徴的な美丈夫だった。
     髪より濃い紫の飾り気のない長袍と白い褲を履いた姿はどこにでもいる普通の民と思えた。
     それもそのはず、彼はれっきとしたこの町の一員で、通りに古びた店を開け、よろず屋の仕事を一人でこなしている。

     正直なところ、この依頼は最初からきな臭かった。
     寄る辺がない身分といえど、平時なら仕事は選んでいた。
     しかし、ここのところ寄せられる依頼は厄介そうなものが多く、その中ではマシに思えたのだ。
     実入が多かったというのもある。
     今になってわかる。
     マシな依頼な割に依頼者の身元は知れず、さらに多額の前金を用意するなんてどう考えても黒だったのだと。

    (……しかし、引き受けてしまったものは仕方ありません。
     素早くお片づけを……ひぃいッ)
     通りに一歩踏み込んだ瞬間、さまざまな視線がマヨイを射る。
     さほど広くもない通りの空を覆うように無計画に積み上げた歪な木造建築は今にも崩れ落ちそうだった。
     表通りではみたことのないようなものを売り物として掲げる店や朝っぱらから春を売る店に混じって、何の肉だかわからないような屋台が並ぶ。
     いつ掲げられたのかわからない赤提灯の房は千切れ、紙は破れ見るも無惨になっており、招福を願い貼られた紙も剥がれかけている。
     その軒に屯する死んだ目をしている人間か嫌にギラついた目で、彼らは一同に一度マヨイを見ると興味なさそうに目を逸らす。
     己を害しそうとも己の利になりそうとも思われなかった、無関心に胸を撫で下ろす。
     元々人に関心を持たれるのは得意ではなかったが、こんな場所ではなおさらだった。
    (……このあたりだと思うのですが……それにしても聞きしに勝る荒廃ぶり……まさかこんな短期間でここまで雰囲気が変わるだなんて……)
     依頼文の地図を頼りに通りを歩き、いつかの記憶との違いに驚く。
     この邑の西門付近は元々治安が悪かったとはいえ、これほどではなかったはずだ。
     貧しくも人が住む場所であったと記憶している。
     しかし、いまは元々の場所に大量の異分子が混ぜられ濁り、それが落ち着くこともないままさらに注がれ濁る。
     そんな状況に思えた。
    (……隣り邑の領主が代わられ、意にそぐわない方が大勢流れたと聴きます。
     その影響でしょうか……)
     つい癖でそんな検証をしたマヨイは、もう一度地図に目を落とし立ち止まった。
    「……お目当ての場所はこちらのようですね」
      岩肌に面した廃墟と見紛うばかりの建物は3階建で、何かの拍子に崩れ落ちてしまうような危ういバランスの上に成り立っている。
     汚水と廃油が道に水溜りをつくり嫌な匂いがする。
     怒鳴り声の混じる生活音が聞こえるところを見るにこれでも今も現役の建物であるらしかった。
     崩れ落ちそうな建物の土台に人が一人通れるかどうかの高さの扉がある。
     マヨイの用件はその先にあった。

    『地下室に勝手に住み着いた人間が勝手に出ていったようだから、その片付けをして欲しい』

     入ってきた依頼は要約するとこんな感じだ。
     外から見るに窓らしい窓もなく、中の暗さは想像がつく。
    (……ここを片付けですか……)
     すでに気乗りはしていなかったが、マヨイは渋々地下に続く戸に手をかけ、仕事に取り組むことにした。
     元々鍵をかける習慣はないようですんなりと空き、だからこそ住みつかれたのだろうと予想ができた。
    (……さっさとすませて、帰りましょう)
     地下室といえば聞こえがいいが岩窟に近く、元々倉庫のようにして使っていたのだろう。
     天井の高さもマヨイが漸く立てるほどしかない。
     室内は暗く、入り口からでは中の様子はよくわからなかった。
     手提灯籠に火をつけ、恐る恐る中に足を踏み入れる。
    (……湿った……カビのような匂いに混ざり、生き物……それも人特有の匂いが……本当にここで誰かが居たんですね。
     数週間は居着いていたと聞きます。
     ……こんな光すら差さぬ場所で、正常な精神は保てるのでしょうか……?)
     室内は生暖かく、手元のわずかな灯りだけが一寸先のみを照らす。
     雑多に置かれたもののシルエットのみが光の中でぼんやりとわかった。
    (……中のモノは好きに処分しても良いと言われましたが……どうしたものでしょうね……)
     何せこの暗闇だ。
     全体量の把握すら難しくもう少し光量のある灯りを持ってこればよかったと思った時だった。
    (……何かッ!?……いるッ!!!)
     生き物の気配を確かに感じた。
     目を凝らしその何かを見つけようとした矢先、灯籠の灯りの先に落ち窪んだ眼孔の中に赤く光る一対の瞳が見えた。
    「ひぃいッ!!」
     小さくあげた声が押し倒されることでかき消される。
     地面に身体をぶつけた衝撃で目を閉じたマヨイが次に目を開けた時には、自分の上に男の影と身体の上で馬乗りになった男の重みを感じた。
     手元にあった灯籠は転がり、その唯一の灯りをもってぼんやりと男の顔が見える。
    (……キョ、キョンシー!?!)
     第一印象はまさしくそれだった。
     長い髪がマヨイに向かって垂れ下がり、その奥には長く伸びた犬歯。
     そして、特徴的な赤い目が焦点の合わないままマヨイを見ている。
     キョンシーは人の肉を喰らうと聞く。
     咄嗟に身体を捻り、その束縛から逃げようとしたがそれよりも早く覆い被さられ、乱暴に襟元を乱された。
    「やめッ!!」
     首元の皮膚に歯が当たる感触がした瞬間、マヨイはぎゅっと目を閉じ死を覚悟した。
    (喰われるッ!!)
     すぐに訪れるであろう、その犬歯が皮膚を食い破る衝撃。
     しかし、予想した痛みは来ず、突然男は動きを止め顔を上げる。
    「……あれ、僕なんでこんなとこにいるんすか?」
     予想よりも軽い響きの声色だった。
     恐る恐る目を開けたマヨイが見たのは、すでに薄水色に変わった男の目であり、生気を感じさせる表情に先程まであったような異常性は見受けられなかった。
     不思議そうにマヨイを見つめた後、もう一度首元に顔を近づけくんくんと鼻を鳴らす。
     そして、もう一度顔を上げた。
    「おに〜さん、いい匂いするっすね」
     そして、にこっと邪気のない笑みを浮かべる。
    「このまま僕を連れて行ってくれないっすか」
     あっけらかんとそう言い放つと暗闇の中でマヨイを真っ直ぐに見つめた。
    「は、はぃいい?!」
     確かに残っているものは好きにして良いとは言われたが、そこに人が入っているとは思わない。
     状況を忘れて、奇妙な声を上げるマヨイを目の前の男は楽しそうに見つめていた。


    「マヨちゃ〜ん!ご飯できたっすよ〜!!」
     包子を蒸す良い香りと快活なニキの声は2階の寝所で寝汚く起きようとしないマヨイの元に届く。
     いまだ意識が覚醒しているわけではなかったが、それでも重い瞼をようやく持ち上げた。
     そろそろ寝所から出なければ、まずいことになる。
     ここのところのお決まりで、そうわかっていても緩慢な動作はなかなか早くならない。
     理屈でなんとかできないほど、マヨイは朝に弱かった。
    (……しっかりとしなくてはぁ……これではまたすぐに……)
     ぐらりと上体を起こした目に寝所の壁にかけられた鏡が飛び込んできた。
     寝ぼけたマヨイの顔が写っている。
     濃い紫色の長い髪。ギザギザの歯に口元の黒子。
     精悍な表情を浮かべていればなかなかの様になるのだが、いまは全てが緩んでいる。
     寝巻きを脱ぎ、下履きを履いた後のろのろと上着に袖を通そうとしていると階下から勢いよく駆け上がってくる足音が聞こえた。
    「何やってるんすか〜。
     早くしないと、せっかくのご飯が冷めちゃうっすよ〜!」
     ニキと呼ぶ男は勢いのままそう言うと、マヨイの前に立ち一向に留まらない盘扣を上から留めていく。
     慣れた手つきにマヨイはされるがままだ。
     そのまま流れるようにマヨイの長い髪を三つ編みに編んでいく。
     鏡の中の自分がニキによって整えられていく中、ぼんやりとマヨイは明日こそはと思う。
     すでに2週間近くはこの調子なのだが。

     あの日、岩窟で見つけた男に記憶はなく、素性がわかる所持品もなかった。
     刑部に突き出そうかと考えたがマヨイに異様なまでの関心を示し、離れたがらない。
     仕方なく家にあげたところ、そのままこの家に居座ってしまった。
     片付けの依頼人は当然のように消えており、彼という男の素性は杳としてしれない。
     しかし名前すらないのは都合が悪く、困ったマヨイがニキという名前をつけたところ、本人もその名前を気に入ったようだった。
     挙句マヨイのことは愛称をつけて呼び、従僕のようにマヨイの世話をしだした。
     そんなことはしなくても良いと最初こそ止めたのだが、ニキの押しの強さに負け、いまではもう好きにさせていた。
    「ほらほら、しゃんとして欲しいっす〜!」
     マヨイの長い髪を三つ編みにし紐で結ぶと濡れた手巾で顔を拭く。
     さらには背中を押して食卓まで運び、椅子に座らせると蒸し立ての包子を皿に乗せた。
     マヨイには一つ、ニキには三つ。
     朝が早いニキが作ったものなのだろう。
     本人に記憶はなくとも、ニキの作る料理は美味かった。
    「今日のも自信作っすよ!」
     ニキは得意げにそう言うと、包子を目の前で二つに割って見せる。
     白い皮の間から餡の入った中身が見え、白い湯気があがった。
     その奥ににこやかに自分をみつめるニキがいた。
    (……いいものなんですねぇ。
     こうして誰かと過ごすということは……)
     物心ついた頃からずっと一人で生きてきたマヨイにとって、あたたかな食卓というのは初めての経験だった。
     ただたわいもないやりとりをするということが、こんなにも胸の中を暖かくするだなんて。
     ニキと暮らすようになるまで知らなかった。
     そして、同時に思う。
     このぬくもりの恩恵を受けるべき別の人がいるのではないかと。
    (……ニキさんのこの明るさは生まれつきのもの。
     キョンシーになる前もきっとこうして……)
     日の当たるところで、多くの人に囲まれて笑うニキの姿が容易に想像できる。
     自分と相入れないということも。
    (……こんな生活、一時的なものだと思わないといけませんね。
     慣れてしまわないように……)
     慣れてしまえば取り上げられた時があまりにも惨めだ。
     そうでなくても、こんな奇妙な生活いつ終わるともしれないのに。
     マヨイは浮かんだ思いを断ち切るように小さく首を横に振ると、出された包子に口をつけた。
    「……美味しい」
     小さく呟いたマヨイの声を聞き逃さず、ニキは目を細めて笑った。
     それを見るとさっきあれだけ心に決めたはずなのにマヨイも釣られて微笑んでしまう。
     そんな自分自身の行動を内心苦々しく思うと改めて思い直した。
    (……ニキさんはたぶんまだ本当に死んではいません。
     彼を元に戻して記憶を戻して差し上げなければ……)
     きっとそうしてあげなければ彼自身もその周りも浮かばれない。
     そう思うのに、未だ方法が分からぬことを言い訳にこの居心地の良い関係に甘んじていた。

     
    「……で、今日のご予定は?」
     いつのまにか自分の包子を平らげたニキはにこやかにそう尋ねた。
     薄灰色の長髪を一つに束ね肩口に流す姿は粗野ながらもどこか品がある。
     水色の瞳も切長の目尻も涼やかだ。
     身体には適度に肉がついていたが、決して労働階級のものではなく、すらりと長い指の皮は柔らかく何かに従事することによるタコなどはなかった。
     初めて会った時のような赤い目は普段はなく、どちらかといえば人好きのする笑みを浮かべる姿は好青年にしか見えない。
     念の為に貼られた額のお札を除けば。
     その札はマヨイが家主の蔵書を紐解き、見様見真似で描いたものだ。
     幸い暴走しないところをみるに、今の所効いているらしい。
    「マヨちゃん!聞いてるっすか?」
     覗き込まれハッと我にかえる。
     マヨイは急いで依頼文を取り出すとニキに手渡した。
    「本日はこちらの依頼を。
     その後は店番をしつつ、ニキさんを元に戻す方法について調べる予定です」
     ニキは神妙な顔で覗き込むと端まで読んでパッと顔を上げた。
    「お向かいの茶問屋の飼い猫の捜索っすか!
     あの猫ちゃんどこかに行っちゃったんすね……まだ小さかったのに……」
    「……大した報酬をいただけるわけではないのですが、いつも良くしていただいているので……」
    「僕もっすよ!
     何かと話しかけてもらえて、この間なんてチマキ差し入れしてもらったっす!」
    (……私が長年かけてようやく築いた人脈が……こうもあっさりと……!!
     記憶すらないはずなのに……!!)
     いつの間にの感情とこの間のチマキの出所を知った衝撃でマヨイは言葉に詰まる。
    「……白猫で耳の先だけがわずかに茶色……」
     マヨイの気持ちをよそにニキはもう一度と依頼文を読み直し、猫の特徴を口にする。
    「……にゃんこも早く帰りたいっすよね。
     張り切って探すっすよ!!」
     やる気を出しているニキにマヨイの口元は知らない間にほころんでいた。


     マヨイの住む住居兼家屋のこの『阿瑠果堂』は間口こそ狭いものの奥に長い二階建ての建物だった。
     一階には古書と古物が並ぶ店舗とその奥にキッチンと居間があり、二階に寝所と倉庫がある作りだ。
     建物はそれなりに古く、赤い枠窓は凝った作りのものだった。
     この建物も古物もマヨイのものではなく、家主の持ち主で、旅にでている間マヨイが頼まれて管理しているにすぎない。
     元を辿ればマヨイもその家主に拾われているので、古物たちと立場は同じなのかもしれなかった。
     家主は年単位で帰ってこず、また細かい質でもなかったので、割と好き勝手にさせて貰っている。
     それでも守らなくてはならない約束が一つあり、それがこのよろず屋の仕事だった。
     人の縁を大切にする家主らしい生業で、看板や宣伝もなく依頼料は現物支給も有りのゆるいもので、主に近所の雑用を受けもっていた。
     先日の依頼のようなものはほとんど来ない。
     それが良いのか悪いのか分からなかったが、おかげで人付き合いが苦手なマヨイも一帯に溶け込むことができていた。

     木組の格子模様があしらわれた店舗の扉を閉めると、しばらく留守にしますの看板をかける。
     店の客は週に一人来ればいい方だから、さほど気にすることはない。
     マヨイが思うに取り扱っているものが、突飛すぎるから再訪する人がいないのだと思う。
     もっとも、買い付けはすべて家主であり、それで良いといっているのだから気にすることではない。
    「よし!やるっすよ!!」
     当人より気合を入れたニキは軽く準備運動をしている。
     よろず屋の仕事を手伝い始めたのは最近なのだが、マヨイよりも道に入っている。
     にゃんこ〜にゃんこ〜と呼びかけながら捜索モードに入っているニキに独り言のように呼びかける。
    「……まだ小さい猫ですし、それほど遠くには行っていないと思うのですが……」
     見ると向かいの茶問屋の周辺でも猫を探す人の姿が見えた。
     人の目線で探す人数は事足りていると思ったニキはマヨイに目配せした。
    「……ちょっと僕、上から見てくるっすよ」
     そう言うとニキは垂直に飛び上がり、2階の屋根の上に音もなく着地した。
     キョンシーのもつ超常的な能力の一つで最初こそ驚きはしたが、もはや驚く人はいなかった。
     そのまま、着地音もたてずに移動していく。
     マヨイもその後を懸命に追った。
    「そ、そちらは風上ですし、あまり遠くには行かない方が……」
    「大丈夫っすよ!」
     よく晴れた空の下、ニキは大きく跳躍し、先を進んでいく。
     長いしっぽ髪が風に載って揺れている。
     その姿を見ながらマヨイは気が気ではなかった。
    (……あ、あまり離れると……ッ、ニキさんの発作が……ッ!!)
     マヨイの心配をよそに、ニキは鼻歌を歌いながら移動を続け、ふと動きを止める。
    「……あっ、ご主人、三つ向こうの曲がり角曲がった先、木の上に何かいるっす!!」
     ニキは言うより早く跳躍していく。
     障害物がない分ニキの方が早く、マヨイが着いた時にはニキは木の上にいて、白い毛玉のようなものを抱えていた。
    「見つけたっす!!」
     満面の笑みでそう言うとマヨイのほうに空いてる手を振っている。
    「よかったです……ッ!……はぁ……はぁ……」
     息を切らしつつ、ニキの元へ辿り着いたマヨイはひとまず安堵した。
     しかし、次の瞬間。
     ---ぐらり。
     ニキの半身が傾いた。
    「ニキさん!」
     落下こそしなかったものの、どうみても様子がおかしい。
     足元まで駆け寄ったマヨイが見上げるとニキは表情を無くし、目の色も薄水色から緩やかに赤く変わりはじめていた。
    「飛び降りてください!!」
     マヨイが両手を広げる。
     ニキは弱々しく頷くと、マヨイに向かって飛び降りた。
    「……ッ!!!」
     マヨイの両腕に人と子猫分の重力がかかり、その衝撃に眉をひそめる。
    「ニキさん……大丈夫です。
     深呼吸してください」
     マヨイの胸元に顔を埋めたニキは言われるがまま何度も息を吸った。
     10繰り返す頃には身体の緊張もほぐれていった。
    「……またおかしくなるとこだったっすね」
    「だから、あまり遠くに行ってはいけないと……とにかく間に合ったので、よかったです」
    「……ありがとう、マヨちゃん」
     未だマヨイの腕の中でニキはそう呟いた。
    「……もう少しこうしていて……落ち着いたら猫を渡して、一度家に帰りましょうね」
     マヨイは優しくそう言うとニキの背中をぽんぽんと叩いた。
     素直に頷くニキが可愛く思え、マヨイは安堵の笑みをもらした。

     ニキと暮らし始めて気づいたことがある。
     どうやら自我を保てるのはマヨイの側だけであり、マヨイの匂いが届かない距離にいると自我のないキョンシーに戻ってしまう。
     気づいたのは初日、家に着いてきたニキを屋外に追い出した時で、狂化したのを見た瞬間慌てて家の中に入れた。
     条件を探る実験もしてみたのだが、自分が自分でなくなってしまう感覚はニキ自身も怖いらしく、最近はもうべったりくっつかれていることをマヨイも受け入れていた。
     なぜそうなるのかは未だわからない。
     ニキに聞いても『分かんないっすけど、マヨちゃんと僕が運命ってことじゃないっすか?』と気の抜けたような返事しかもらえなかった。
     背中側からマヨイを抱きしめ、そのままずるずると引きずられるように歩くニキの体温を感じながらマヨイは思った。
    (よりにもよって私なんかのそばにいなければならないなんてぇ……不幸な偶然すぎますぅう)
     何故よりにもよって自分なのだろう。
     自分だったらこんな陰気臭い男、近寄りたくもないと思うからこそ、ニキの境遇は居た堪れない。
     本来のニキであればもっと自由に選ぶことができたはずだ。
     こんな不幸な『運命』でマヨイに縛られているような状況、どう考えてもニキのためにならない。
     猫を無事に返し、お礼にもらった茶葉でお茶をいれた。
     狭い居間の中にふわりとお茶の良い香りがする。
     景色を切り取るように開いた丸窓には枠飾りがはまり、昼間の日差しを受け短い陰を落としていた。
     ニキを背負ったまま、マヨイは居間の椅子に座ると家主の残した本の中から妖についてまとめられたものを紐解いた。
     もう何度読んだかわからないキョンシーの部分の記述を再度熟読する。
     ニキはそんなマヨイを後ろから眺めると心配そうに口を開いた。
    「マヨちゃん……そんなに棍詰めて調べてくれなくてもいいっすよ?
     僕、次は気をつけるんで……」
    「ですが……」
     こんな生活、ニキさんは嫌じゃないですか?
     そう尋ねたい気持ちをぐっと飲み込む。
    「もしも人間に戻れるのなら、その方がいいじゃないですか」
     
    キョンシーとは死者が呪術によって動く怪物だ。
     つまり死んでいることが第一の条件であり、本の記述ではその身体は冷たいとある。
     対してニキの身体は温かく、脈拍すら感じた。
     本来、人は陰の気を持つ肉体と陽の気をもつ魂魄が互い合わさり、均衡を保つことで生きており、なんらかのきっかけで魂魄のみが離れてしまうことが死だ。
     この場合、何らかの理由でニキの魂魄が不安定になっており、離れそうになるたびキョンシーに戻ってしまうのではないかとマヨイは予想していた。
     魂魄を安定させることができれば……それは人間に戻ると同義なのではないか?
     そう思うのだが、未だにその方法はわからなかった。
    (……やはり、記憶なんでしょうか……?)
     記憶をなくしていることが不安定にさせているのではないか?
     その考えはかなり初期のころからあった。
     あるいは記憶を取り戻せば、こうなった原因がわかり元に戻るきっかけを手に入れることができるのかもしれない。
     だから、ニキには記憶を取り戻して欲しいと思うのに、そのことを考えるとマヨイの中で言いようもないモヤモヤとした気持ちが生まれた。
     背中に感じるニキの体温を思うと余計にだ。
    (……きっと自分が何者なのかがわかれば、本来の大切な人の存在も思い出してしまうんでしょうね……)
     明るい彼の性格には、同じように明るい人の存在が似合う。
     たぶんこんな生活なんて霞んでしまうのだろう。
     ページをめくる手が止まった。
    「マヨちゃんはなんでそんなに僕に優しくしてくれるんすか?」
    「……別に優しくなんか……ありませんよ」
     不意に話しかけられ、マヨイはニキの方を向いた。
     同じように本を見ているものだとばかり思っていたが、ニキの目はマヨイを捉えていた。
    「誰にでもそうなんすか?」
    「他に仲の良い方はいませんので……それはわかりません」
     淡々と尋ねるニキの口調は、どこか緊張をしておりマヨイにもそれにつられた。
     ページをおさえる指にニキのものが重ねられる。
    「……やっぱ……僕と……早く離れたい……から?」
    「え……ッ、いや、それはニキさんが……ッ!!」
     マヨイがなんと言葉にするべきか考えあぐねている間にニキによってかぷっと首筋を噛まれた。
    「……夜の分、前借りしてもいいっすか?」
     噛まれ、濡れた首の皮膚にニキの息があたり、鳥肌がたつ。
     かっと赤くなる衝動のままマヨイはニキを振り落とし立ち上がった。
    「だ、ダメですッ!!
     ま、まだこんなにッ!!
     こんな……ッ!日も高いうちに……ッ!!!」
     床に尻餅をついているニキに対して窓の外を指差した。
     眩しいくらいの昼下がりだ。
     慌てるマヨイを目を丸くして見たニキはすぐに吹き出した。
    「物足りないけど、我慢するっす〜。」
     力なくそう言うと立ち上がり店の奥から何かを持って帰ってくる。
     それは古い二胡だった。
    「これ、見つけたっすけど、弾いてみてもいいっすか?」
    「……構いませんけど。
     よく見つけましたね、そんなもの……」
    「この間掃除してたら出てきたっす。
     見た瞬間、弾ける気がして……」
     ニキはマヨイの隣に座ると二胡を構えた。
     楽器の心得がないマヨイから見ても堂にはいっている。
    「マヨちゃん、いつも僕のために頑張ってくれてるんで、何かお礼ができないか考えたっす」
     弦に弓を当てると伸びやかな音がなる。
     一度音が鳴ってしまえば、身体が覚えているようでニキは目を閉じるとそのまま旋律を奏で出した。
    (……綺麗な音ですね) 知らない曲だったが、自然と身体をうごしたくなるそんな曲だった。
     小さな室内は二胡の音でいっぱいになり、マヨイはその音色を噛み締めた。
    (……楽しげで自由な。
     まるで、ニキさんのよう……)
     弾く本人も表情から奏でるのが楽しいということが見て取れた。
    素人目にも好きで極めたものなのだとわかった。
     気がつくとマヨイも身体で拍をとっており、そんな様子に気づいたニキは顔を綻ばせた。
    「楽しんでくれたようでよかったっす」
    「はい。
     とても……楽しいです」
     マヨイがうなづくと、ニキは楽しげに弦を操るのだった。


    「……マヨちゃん、こっち向いてくれないんすか?」
     一つの寝台の中で、背中を向けるマヨイにニキはそう問いかけた。
     さほど広くない寝台に男二人で横になるとピッタリくっつくような形になる。
     何度繰り返してもマヨイは慣れず、ニキの問いかけにうなづくことで返した。
     外は日が落ち、月明かりだけが部屋の中を照らしていた。
     満月に近い夜で、お互いの姿がよく見える。
     ニキは残念そうに舌を鳴らすと、そのままマヨイを後ろから抱きしめた。
     二人の体温が合わさるとニキの方が少し熱い。
     だからこそ余計にマヨイはニキのことを意識してしまった。
     心臓の音が耳の奥でうるさい。
     その耳のそばでニキが囁く。
    「……今日、濃いめで欲しいっす」
     ぽそぽそと耳元でなる声がくすぐったくて、マヨイはぎゅっと目を閉じた。
    (……うぅっ!!心臓が持ちませんッ!!!)
     誰かと一緒に眠った記憶なんてない。
     それ以上のことなんて以ての外だった。
    (あの時……私があんなヘマをしなければ……ッ!!
     まだ少しばかりは……ッ、いえ、あの時はあの時ですでに刺激が強かったわけですが、今ほどでは……ッ!!)
     目をぐるぐるさせながら、混乱するマヨイにニキが畳み掛ける。
    「……どこから、触ってもいいっすか?」

     初日から一緒に眠った。
     身を寄せ合った動物のように。
     不慣れな状況にマヨイは緊張しっぱなしであったが、ニキの体質のこともあったし受け入れた。
     今思えばあの辺りが一番平和だった。
     少し匂いを嗅がれるだけだったのだし。
     状況が変わり出したのはそれから少し先。
     四六時中一緒にいるニキに、マヨイの性欲の方が先に音をあげこっそり隠れて抜いていた時だった。
     あっさりニキにバレ、挙句自慰を手伝われ精飲された。
     さらにそれがニキ曰く、すごく安定するとのことで次の日から夜はマヨイの精をもらう時間ということになってしまったのだった。

    (……ど、どこと聞かれましても……ッ!
     それではまるで私が強請っているようではありませんか!?
     あ、あくまでこれはニキさんのために……)
     マヨイが答えないうちに、ニキは脇腹のあたりを撫でる。
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