sc16受「乾杯」萩景「かんぱーい!」
柔らかい灯りの下で、肩を並べて歓喜の声を上げるグラスにはよろこびの泡が満ちている。泡がそれぞれの主の元に吸い込まれればすぐにまた満たされて、中身が完全に尽きるのはまだまだ先のようだった。
ちらりと少し離れたところで女性に囲まれて笑っている男をみる。いつだって男女が混じる飲み会では彼は女性陣に囲まれていた。特に違和感はない。
萩原研二という男は、俺の知る人間の中で人一倍女性の扱いが得意な人物だった。いや、女性と限る話でもなく、とにかく人の機敏に聡く、それに応えるだけの気概がある。そんな男だった。
ただ、そんなものは警察学校の教官に言わせれば「洞察力に優れているが女の尻を追いかけることにしか興味が無い」なんて評価になるらしい。なんとも不憫な評価だと思う。
萩原はよく笑う男だ。きっとニュートラルな顔そのものが少し微笑んでいるタイプなのだろう。大抵口角は僅かに上がっている。ふと気付くとへらっと笑っていることも多い。だけれども、女性を相手にしている時の笑顔は少し違う。ひとりひとりを愛しい人間であるかのように見て優しく笑うのだ。
目尻を僅かに和ませて、声音は柔らかく、動きも穏やかだ。
それが意識的になのか、無意識的になのかは知らない。だが、確実にオレたちとの笑顔とは一味違う。
少しだけ、羨ましいと思った。
「諸伏くんはどういう子がタイプなの?」
ぼんやりとよそ見をしていると、前からの明るい声がオレの意識を引っ張った。ぱっちりとした二重を瞬かせてこちらを見ている。そういえば目の前にも女性がいたのだった。他教場の、同じ初任科生だ。
彼女から投げられた問いをようやっと反芻して、首を傾げる。
「タイプ?」
「そうそう。諸伏くんてあんまり女の子と話してる感じないじゃん。なのに合コンなんて来てるからちょっと意外でさ」
どうせ萩原くんに連れてこられたんだろうけど。
彼女の推察は的をはずれてはいない。ここに座っている理由は「萩原に誘われたから」以外のなにものでもないのだ。
特に出会いというものを求めていない。
「あはは、そうだね萩原に誘われたから来たんだけど……好きなタイプかあ」
「どうせ私らには脈ナシだろうけどさ、教えてよ。あの諸伏くんの好きなタイプ!気になるなあ」
「あのって……」
「いつも降谷くんがギラギラして近寄らせてくれないじゃん。だから諸伏くんと本当は仲良くしたいって思ってるのにあんまり声掛けられない子は多いんだよ」
まったくもって初耳である。
仲良くしてくれる人がいるらしい、というのは存外悪い気もしなかった。
「タイプ、タイプかあ…………」
「そんな悩まなくたって、気になる子の特徴とかでもいいんだよ」
「え、うーん…………あ!」
ふと浮かんだ顔に、あれと内心首をひねったがとりあえず気づかなかったことにして、眼前の顔を見る。わくわくと答えを待っているのがありありとわかる表情だった。
「笑顔が優しいひと、かな」
*
「諸伏、この間はどうだった?仲良くなった子とかいた?」
「どうかな」
「ええー!向かいに座ってた子と仲良さげだったじゃん」
大型犬のように大きな身体を擦り寄せて、へらっと笑って萩原が言う。よくそんなところまで見ているなと感心した。
あのとき向かいに座っていた彼女と話していた時間はさほど長くはない。好きなタイプがどうのと話して、それで終わりだ。ただの世間話にもならない。そんな瑣末な時間を萩原はしっかりと記憶していたらしい。小さなことに気付いて覚えているのは彼が人付き合いが上手い理由の一つなのだろう。
「萩原はいつも通り女の子に囲まれて……ふふ」
「え、なに。なんで笑ったのいま」
「だって、女の子といるときの萩原の顔、すごい優しくて好きだなって」
なんて言っている間に、注文した一杯目が手元にやってきた。今日は珍しく萩原と二人で居酒屋にいる。理由は特に覚えていないが、成り行きだった気もする。
ジョッキの片方を萩原の方に寄せて声をかけるが反応はない。どうしたのかと顔をあげれば、なんとも言えない表情の萩原と目が合った。少し不満そうな、納得していないような、そんな顔だ。垂れた瞳は真っ直ぐにオレを見ている。
「萩原?」
「いや……悪い。なんでもない。ありがと」
フルフルと首を振ったあとはいつもの穏やかな顔の萩原だった。
「それじゃ、乾杯」
「うん、乾杯」
コツンとグラスがキスをして、直ぐに離れていく。よろこびの泡はオレたちに吸い込まれていく。
ちらりと萩原を見ると、何故か視線が絡んだ。
眉が下がる。目じりが和やかに深くシワを作る。
そうそう、この顔が好きなのだ。
「……萩原のその顔好き。すごい優しい顔。なに考えてたの?」
言うと、ハッとした萩原が口元を抑えて顔を背けた。酔うにはまだ早すぎる。なんせ一杯目だ。
「この間の合コンで会った可愛い子でも思い出してた?」
「…………諸伏のこと考えてた」