鍛錬の後のご飯は格別だと思う。それが、最高の料理人が作ったものなら尚更だ。特別だと超大盛にしてもらった麦飯を片手に油揚げをかじる。じゅわっと口に広がった出汁の味に頬が緩んだ。まだ一本しかない尾が揺れる。
「本当あんたはうまそうに食うよな」
「ネロ」
湯飲みを差し出した料理人が、呆れたように小さく笑う。受け取ったお茶を飲み干して大きく頷いた。こんなにおいしいのだから当然だ。嫌そうな顔をする方が難しい。ネロが作ればどんなものでも素晴らしい料理になるし、実際カインはこの店で苦手なものを克服したぐらいだった。
小松菜のおひたしを口に入れ、ふと気づく。
「ブラッドリーはいないのか?」
食いしん坊なくせに苦手なものが多い天狗の姿が見えなかった。いつもなら、そろそろ顔を出す頃合いのはずだ。
どこからともなくやってきて、カインと一緒にご飯を食べ、それから時々鍛錬に付き合ってくれる。この店に通う一番の理由はネロの料理だが、ブラッドリーとの食事や鍛錬もカインの楽しみにしているものだった。もしかしたら出前が長引いているのだろうか。そう考えた途端にさみしさが胸に広がっていく。
あいつは、と言いかけたネロの言葉が、豪快に開いたとの音にかき消される。聞きなれた足音に、茶碗を置いて勢いよく振り向いた。ブラッドリーと名前を呼べば、薄紅の瞳が楽しそうに細くなる。
「何だ、随分熱烈な出迎えじゃねえか。そんなに俺様に会いたかったのか?」
「ああ、会いたかった!」
いつ食べてもネロの料理のおいしさは変わらないが、やっぱり誰かと一緒の方がよりおいしいと思う。ブラッドリーとする食事は、好きだ。出前を担当している以上店にいない事の方が多いのだとわかっているが、やっぱり一緒にご飯を食べたいと思う。
正直にそう言ったのに、ブラッドリーの反応は芳しくない。ため息を吐いて頭を抱えている。具合でも悪いのかと尋ねる前に、ネロに風呂敷包みを手渡したブラッドリーがどかりと隣に腰を下ろした。包みを持ったネロが厨房に消えていく。恐らくブラッドリーの食事を用意するのだろう。
「てめえはもう少し、あしらい方を覚えろ」
小さな子供に言い聞かせるような声音にむっとした。さっきのブラッドリーの台詞が軽口だというのはわかっている。それでも気持ちに嘘はつけないし、つきたくなかったから素直に頷いただけだ。
「ブラッドリーにする必要は、ないだろ」
「あんだろ」
腕が伸びて後ろ頭をつかまえ、ぐっと力を込められて前に引っ張られる。咄嗟に前に出した手はブラッドリーの着物に着地して、唇に柔らかいものが触れた。それが何かもわからないまま、ブラッドリーの顔が離れていく。
「こういうことになる」
指先が唇をなぞり、前髪を払って、耳を撫でる。たぶん叱られているような気がするけれど、その言葉の意味はやっぱりよく分からない。
だって、嫌じゃなかった。気持ちよかった。
「必要ない、だろ」
ブラッドリーの着物をぎゅっと握りしめる。言葉に込めた意味には、気づいてくれたみたいだった。