熱い指先が頬を撫でて、すべるように動いて項に触れる。ワインレッドの瞳が静かにカインを見つめて、ほんの少し近づいた。項を捕らえた手に力が入って引き寄せられる。あ、と思った時には瞼を閉じていた。唇に吐息が触れる——前に、鼻をつままれて目を開く。
あんなに近付いていた距離があっという間に離れて、そこにいるのはいつも通りのブラッドリーだった。
「キスしないのか?」
「あ?」
「えっ?」
ブラッドリーが驚いたように目を丸くするが、たぶんカインの方がもっとびっくりしていた。口元に手をやっても飛び出た言葉が目に見えることはない。耳には入っていたけれど。
「俺、今なんて言ったんだ?」
本当に無意識だった。あ、しないのか、と思ったら言葉がぽろっと飛び出していた。自分でも気づかないうちに泥酔していたのかとも思ったが、テーブルに置かれたボトルの中身はまだ少し残っている。ブラッドリーが連れてきてくれたバルだけあって食事がおいしくて、そっちに夢中になっていてほとんど酒は飲んでいなかった。さすがにこの量でべろべろになるほど弱くはない。
だったらどうして、という問いに答えは出なかった。だってここは、店の中だ。半個室とはいえ誰が入ってくるかもわからないのに、とそこまで考えて、何か違うなとストップをかけた。やっぱり酔ってるんだろうか。
首をひねるカインの手の甲を、とん、と叩かれる。顔を上げれば、ブラッドリーが呆れたようにため息を吐いた。
「何やってんだ」
「何って……この酒、ものすごく強かったりとかしないよな?」
「てめえで選んだモンも忘れてんのか」
「そういうわけじゃないが……」
確かにこの酒を選んだのはカインで、度数もそこまできつくなかった。これより強い酒だって飲んだことがある。その時だってそこまで泥酔したりしなかったのだから、今日だってたぶんほろ酔い程度のものだろう。いくら夜勤明けと言ったって。
小さく唸って、いつもの癖で口元に手をあてようとして、できなかった。手の甲に置かれていただけのブラッドリーの指先が、するりと絡みついて引き留める。どきりと心臓が跳ねて、何でだと思う。
「難しく考えんなよ。てめえにはシンプルな方が合ってる」
「シンプルって」
だって、そうしたらカインはブラッドリーとキスがしたかったことになってしまう。かわいがってくれてる上司なのに。そんな結論を出して困らせたくはなかった。
咎めるように、絡みついた指に軽く力が入る。
「俺は、一度も間違えんなとは教えてねえぞ」
「でも……」
「いいから、言ってみろ」
穏やかな声に背中を押されて口を開く。
「俺は、ボスと、キスしたい?」
実際に声に出してみると何だかしっくりきて、そうだったのかと納得できたような気がした。ボスとキスしたかったのかと心の中で繰り返して、ちょっと待てとまたブレーキをかける。いくらカインがスキンシップ好きだといっても、ただの上司と部下でキスなんてするわけない。まさか、と回り始めた思考が、目を閉じろとブラッドリーに言われてふっとんだ。何だか今日は思考がうまくまとまらない。
カイン、と名前を呼ばれて、瞼を下ろした。項に手を添えられて、気配が近付いてくる。触れる、と思った瞬間に頬をやさしく撫でられて、目を開いたときには繋がれていた手さえ離れていくところだった。
「明日になったらよく考えとけよ」
「今日じゃ、だめなのか?」
「そういう趣味はねえからな」
どういう意味だと聞きたかったけれど、ブラッドリーはこれ以上何も教えてはくれなさそうだった。