花のように水のように特別職員の証である、意匠を身に纏った人間達が大きな同族の元へと駆けて行く。
その数と厄介な性質がすでに脅威であるうえに今回は捕縛任務。
傷ついて、倒れ、血を流し、それでも立ち上がってはまた傷つき、倒れる。
その様が愉快で滑稽で喉の奥から笑いが込み上げてくる。
羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい!!!
俺も
都合のいいことに人間達は巨大な同族の攻撃に気を取られている。
よもや味方しか居ないはずの背後から襲われようなどとは考えてもいないだろう。
作戦遂行のため一時的に能力の制限が緩んでいる今なら存在に気付かれることもなく人間を殺して周り、全ての被害をあの同族…いや"人類の敵"である意思天体に擦り付けられる。
普段、激流の水が絶えず入れ替わり続けるように纏まらない思考がひとつの欲求を残してピタリと止まった。
意思あるものを、人間を殺したい。
『ほほえみ支援センター』とかいうふざけた名前の団体に収容されてから一度も人を殺さず生きたマウスやウサギを与えられてきたオクタビウスにとっては今、共に戦っているはずの職員達こそが本来の獲物。
久方振りの本物の狩りにありもしない血が沸き興奮に首の後ろ辺りの毛がぞわりと逆立つ。
『もう二度と人を殺さない』?
『人間として生きる』?
死んだ奴との約束なんざ知ったことか。
獣のように四肢を地につき駆け出した。後脚に力を込め、手近な人間の首筋を噛みちぎるため飛び掛る。
しかしその牙が届くことはなく。
ぐい、と首輪が引かれ前進を阻まれた。
「ギャッ」と短い悲鳴をあげて着地し、繋がれた縄の先を睨めばそこには女性が立っている。
薄紫色の長い睫毛に縁取られた青い瞳、頭髪の代わりに花弁の密集した花を咲かせた女性。
此度オクタビウスのバディとなったファインダー、コクシア嬢が縄を握っていた。
全身の毛を逆立て前足の爪を剥き出しにし、目の前にいる獲物へ襲いかかれないもどかしさにカカカカッとクラッキング音を発する生物。とても知性を有する人類には見えない。
そんなケダモノ相手に臆することもなくコクシア嬢は垂れ気味の目と眉をキッと上げて顔を近付けてくる。
彼女は声が出せない。だからこういう時は目で訴えてくるのだ。
猫同士で視線を合わせるのは敵対行動であり、人間に混じって生活しているオクタビウスには彼らの表情も理解できる。大きな声や物音をたてずとも「怒っているよ」という顔でじっと見つめられるのはものすごく居心地が悪い。
とはいえ誰が相手でも言う事をきくわけではない。仮に他の誰かが同じことをしたとしてきっとオクタビウスは気にせず襲いかかるだろう。自身の欲求を満たすための行為を悪いと思ったことなどなく、むしろ本能を理性で抑え込み他社と寄り添おうとする人間より生物として正しい姿だとすら考えている。
だから今、それをしない理由は本人にも分からなかった。
悪い事なんてしようと思ってない、と言わんばかりにスっと目を逸らし前足を軽く何度か舐める。逆立っていた毛もゆっくりと戻っていき興奮状態が冷めていくのが傍目にも分かる。こういうところは本当にただの猫のようだとコクシア嬢が「怒ってるよ」顔を収めれば目は逸らしたままいそいそと背中を丸めて足元に戻ってきた。
興奮が醒めると思考がまた纏まらなくなり、途端に大事な約束を反故にしようとした罪悪感が激流の底から湧いてくる。
とても嫌な気持ちだ。
コクシア嬢はオクタビウスの視界にわざとその細く嫋やかな右手を見せ、光を持たない黒い瞳が横目で追っているのを確認しつつ耳の付け根辺りに優しく触れる。
顎のラインに沿って掌を滑らせ、マズルを軽く包むように撫で上げると自然と目が合う。
コクシア嬢がこっちを向いてほしい時にする動き。絶妙に撫でられると気持ちいいポイントを押さえた上手い視線誘導だ。
実際、優しく丁寧な撫でにオクタビウスの凶暴な脳内は一瞬で
シアワセ!!!!モット ナデナデ シテ!!!!
に染まり狩りの欲求を一時的ではあるが忘れていた。
視線が交わり、次いで彼女は蕾が綻ぶようにふわりと笑みを浮かべる。
それは優しいだけの微笑ではなく、有無を言わさぬ強さもその下に隠れていた。
ここにいる誰も死なせたくない、そういう意思を感じた。
コクシア嬢の青い瞳が意思天体へと向けられる。オクタビウスの丸い瞳孔がそれを追い、ふたりは同じ景色を見据える。
この関係が世間一般で言うところの愛情や信頼でない事だけは確かだ。
物言わず風に踊り咲く花の思いも願いも、猫には分からない。
何処へでも歩ける花と、繋がれ何処へも行けない猫がこの先どんな道を歩むのか誰も知らない。
ただ、水面に触れた花弁はたしかに漣を起こしていた。