暗黙のルールは口付けを交わす時は、目を閉じるのが暗黙のルールだと思っていた。けれど、それはこの恋人のせいで俺の中のルールからは姿を消してしまったのだ。
「観音坂さん」
「んぅ……ふ、」
呼ばれた声に視線を合わせると、頰に添えられる手がほんの少しだけ上を向かせて口付けられる。触れる前に目を瞑った彼に倣って自分も静かに瞼を下ろした。小さく息を吐いたあとにその目をゆっくりと開けば、間近に見える男の整った表情が視界に飛び込んでくる。
長い睫毛が震えるのを見るのが好きだ。ぼんやりと見える表情の微弱な変化すらも逃したくないくらいに愛おしくて、舌を絡めとられて離れていくたびに角度を変えることを数回繰り返すうち、漏れる水音が鼓膜に届いて頭へ直接響くことに背筋を震わせながらも目を閉じることができないでいる。
「んっ……ん、ふ……ぅん……」
頰に触れていた方の手が自分のネクタイに引っ掛けられて結び目をとかれたことがわかる。しゅる、といった微かな音がそれを物語っていた。それとは違う逆の手が後頭部というより首に近いところを支えているため、後ろに引くことはできない。
唇を離す直前に軽く舌を吸うのは彼の癖のようなもので、それを合図に瞼を閉じて離れていった舌と唇を追いかけているかのようにわざとらしく目を開けば二人の間に繋がるのは細い糸だけ。
それはさっきまでの口付けを表しているようでなぜか気恥ずかしい。は、っと息を吐いてから呼吸を整えようとしたが、顎に手をかけながら親指を唇に這わせてくる入間さんに呼ばれて、その声の甘さに身体が跳ねた。
「観音坂さん」
「な、っんですか……」
「毎回あまりにも熱心に見られてしまうと、さすがに照れてしまいますよ」
「は……」
「ずっと見られてるの、私が気付かないとでも思いましたか?」
口元には笑み。しかもその表情は完全におもしろがっていた。今までずっと、食い入るように見ていたことは、彼には筒抜けだったということだ。いきなりの展開に頭が追いついていない。その事実を理解した頃には、顔だけでなく体までもが茹で上がっていた。
「そんなに私の顔が好きなんですか?」
ぐっと距離を縮めて顔を近づけてくる入間さんは完全にからかっている。意地の悪い男だと思うと同時にその表情が少しだけ嬉しそうなのを読み取って恥ずかしくなる。
「はっ……あ、ちょっ、と……近い……」
「そんなに好きなら、穴が開くほど見てくださっても結構ですよ?ほら」
「っ……!も、やめ……っ、くそ……!」
ぐいぐい推してくるのに耐えきれずその楽しそうな唇を奪ってやった。勢いをつけた体を難なく受け止めて、支えられた体のさまざまな場所を撫でていく不埒な手が快感を煽る。不本意だが、この男に勝てる気はこれっぽっちもしなかった。
「ん……っふ、んっ、ん……」
「……かわいいな」
俺みたいな男を捕まえて可愛いなんて言うのは、これまでもこの先も絶対入間さんだけだろう。もうどうにでもなれと、この先に待っているはずの行為に没頭することでこの恥ずかしい記憶を抹消することにした。
翌日、逆に忘れられなくなったことを後悔することになるのは目に見えていたけれど。