太陽に恋をする※チャンハソ未満
※王だけが相変わらずしんどい
特に何も考えずに「コーヒーが飲みたい」と思って入ったカフェで、チャン・ムヨンは後ろのポケットから出したスマホを危うく取り落とすところだった。
耳に心地の良い「ご注文は?」という声にも、にこにこ人好きのする笑みを浮かべて自分を見上げる顔にも覚えがありすぎたのだ。思わず目を見開いて、サッと胸に着けられたネームプレートの名前を読む。
──ハソン。
知らない名前だ。少なくとも、ムヨンの勤務先である高層ビルの一室で監禁されている青年の名前とは違う。けれど、これは一体どういうことだろうか。他人の空似というにはあまりにそっくりで、右顎のラインにうっすら浮かんだ黒子まで同じだ。
ムヨンはブレンドのSサイズテイクアウトのことなどすっかり頭から吹き飛ばして、再度「注文は?」と繰り返す青年のことを頭のてっぺんから眺める。
ふわりと波打つ明るい茶髪、鋭さや陰鬱さではなく好奇心の高さを感じさせる目元はすっきりとしていて隈の痕もない。適度に日焼けをしているであろう健康的な肌の色に、半袖の制服から伸びたスラリとした腕には──もちろん、注射器の跡もない。
たっぷり三十秒はレジ打ちの店員を観察し、ムヨンは「どうもこの子は、あの人とは別人のようだ」と結論づける。その頃には、当然ながらハソンという名前の青年の顔に困惑の色が浮かんでいた。
「あの……お客さん?注文決まりましたか?」
「あ、いや、その」
「さっきから俺のことめちゃくちゃ見てますけど、何か気になることでも?」
「気になるというか、つまり、そうではなく」
ムヨンは珍しくしどろもどろと言葉に詰まった。不審者と思われても仕方ない行動だったし、通報されるのは避けたい身分だ。それなのにうまく取り繕えず言葉を失っていると、ハソンは予想に反してにっこりと笑顔を見せた。
「コーヒー、あんまり飲まないですか?だったらブレンドがおすすめですよ。今日は三種類から選べるから、どれか試してみたらどうかな。ちなみに俺はこれが好きです」
そう言ってスッと指差したのは、チョコレートやナッツの香ばしさを感じるフレーバーが云々と説明書きが表示されたブレンドだった。ムヨンは花が咲くような青年の笑顔に魅入られたまま、何も考えずに「じゃあそれで」と呟く。
それは麗かな初夏の訪れを感じるとある昼下がりの、特に繁盛もしていなさそうなカフェでの出来事だった。
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あの日、テイクアウトの紙カップを受け取るなり逃げるようにカフェを飛び出したムヨンは、急いで部下に連絡をした。
あの人はちゃんと部屋にいるか、今日は逃げ出してないか──しかし、帰ってきた答えは「今日はおとなしく本を読んでますよ」というもの。信じられずに職場へと猛スピードで戻って、監視カメラの映像を自ら確かめると、ベッドに寝転がったまま本のページを捲る背中が見えた。そこまで確認して、ようやくカフェの店員は本当に別人なのだと納得する。
一瞬、会長に「彼には双子の兄弟でもいるのですか」と聞こうかと思ったが、なぜかそれはあまり良い考えではない気がしたので、今日までずっと黙っている。
しかし、双子よりもさらにそっくりな顔をしたハソンという青年が気になるあまり、今やムヨンは例のカフェの常連になっていた。
「いらっしゃいませ!今日はなんにします?」
「君のおすすめで」
「うーん、じゃあカフェミストにしようかな。牛乳大丈夫です?」
「平気だよ」
「よかった」
足繁く通ううちに、この店には店員がハソンの他にもう一人いることと、大して繁盛していないがコーヒー豆の通販でそれなりの収益があるため潰れるほどではないらしいことが分かった。
今日の店員はハソンと店長兼バリスタの二人だ。たまに店長だけの日もあるが、テーブルが二つと窓際のカウンター席が三つの狭い店なので何とか回せるらしい。ちなみに、ムヨンが訪れる時間帯はほとんど他の客と鉢合わせしたことがない。
「お待たせしました。俺も一緒にいいですか?」
「もちろん」
「へへ、ありがとうございます」
一ヶ月ほど通うと、店のことだけではなくハソン自身のことも知識が増えた。
例えば大学に通いながらアルバイトをしていて五つ歳下であること、両親はいないが祖父と叔父と妹の四人で暮らしていること、実の姉のように慕う歳の離れた従姉妹がいること。
今ではこうして休憩も兼ねて一緒にコーヒーを飲むこともある。殺伐とした仕事の日々で、こうして向かいあって何でもない会話をしながら過ごす時間は、ムヨンの職業では味わうことが難しい穏やかさを与えてくれた。
「……ムヨンさん、また俺の顔見てる」
話題の豊富なハソンが最近あった面白いことや笑い話について軽やかに話す口ぶりに聞き惚れていると、不意に悪戯っぽい色を乗せた瞳がムヨンの目を見つめる。心臓が僅かに高鳴った。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「良いですよ、でも本当に俺の顔好きですね」
「す、好きって」
「じゃあきらい?初対面であんなに長時間見つめてきたのに、俺の勘違いってこと?」
「それは……」
困った顔をする年上の男に、ハソンは「冗談です、からかいすぎました」と明るく笑う。
ハソンは当然知らない。
初めは知り合いにそっくりだという驚きがムヨンの視線を奪ったが、次の瞬間には夏の日差しのように眩い笑顔の虜になったことを。こうして店を訪れて会話を交わすことが、日々の楽しみになっていることを。ころころと変わる豊かな表情の全てを知りたいと思っていることを。そして足繁くこのカフェに通うのは、コーヒー目当てではなくハソン自身に会いたいからであることを。
それは疑いようがなく、甘酸っぱく煌めく「恋」という感情だった。
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ムヨンは「また来てください、待ってます」というハソンからの言葉に浮足だった気持ちでカフェを後にすると、そのまま会社に戻った。午後半休だとか有給休暇というやつを制度化すべきだろうかと、最近真剣に考えている。
いくつかの報告に事務的な対処をし(最近ではヤクザも真っ当な企業と同じような業務をこなすことが必要なのだ)、今日はもう帰れそうだと十九時過ぎを指す壁時計を見上げた時だ。部下からの「あの人がまた逃げようとしました」という報告が入り、思わずため息を吐いた。
急いで彼の部屋があるフロアに向かうと、すでに両脇を抱えられて連れ戻されている最中だった。ぐったりとした顔はやつれて、少し長めの黒髪は汗に濡れている。ぽろぽろと涙を流す目は赤く充血していて痛ましい。数時間前まで一緒にいた真夏の太陽のようなハソンと重ねると、いっそうその惨めさが際立った。
「そのまま会長の部屋に連れて行け」
「はい」
「……………」
ムヨンの命令を聞いた青年の目から光が消える。今日はもう嫌だと暴れる気力もないらしい。可哀想だと、理不尽だと思うがどうしてやることもできない。不幸を嘆いてやることはできるけど、ムヨンには会長を止める理由さえもなかった。
エレベーターの扉が閉まり、悲痛な表情で項垂れる青年を見送ったあと、彼の身に降りかかることを思うと気持ちが沈む。ハソンと同じ顔、同じ声──その身体を暴いて蹂躙する男がいるという事実がこれほど堪えるようになったのはつい最近だ。
全く別人なのに、二人はあまりにも似過ぎている。彼も自分が触れたらあんな風に泣いて乱れるのか、考えたくもないのに考えずにはいられない。甘く強請る声、耳を裂く悲鳴、哀れを誘う懇願──そういうものを全て、無意識でハソンに重ねてしまう。
それは晴れ渡った青空にぽつんと浮かんだ小さな雨雲のように、ムヨンの心に影を落とした。
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