たつおさ君が私に着せ替えた装束のネクタイを黒に替えて出かける。
支給された夏季対応のスーツは存外に通気がよく、乗って来た車を置いてそこから歩いてもそこまで熱を感じることはない。
人の出入りが無くなりあっというまに廃れたのだろう門扉が嫌な音を立て、今朝東シナ海に生まれたらしい台風の事が懸念として頭によぎる。
がらんどうとしか言いようのない日本家屋の、住人の居ない仏壇に残された香炉に長い線香を一本だけ立てる。
遺影はない。数珠もない。手を合わせたとて、どこに向ければいいのか。
君にひどいことをされたことがないから、君はひどいことをしてくれない。
君の拳しか知らないから、君の唇がわからない。
慰めるための熱すら、残して行ってはくれなかった。
参る墓もない。そこに通って、身勝手に時の流れに身を任せる事もできない。
ただ、凝り固まり積もり募るだけだった。
ずるい男だ。この肌を包む群れの象徴を、胸に収まるハンカチの数字を、君はちらりとも見やしない。
線香が切れたら逢瀬は終わり。
これを重ねて、いつか君を追いこす夏になるのだろう。