0歳
「じょ!」
「はい創一様」
要求された積み木を手渡す。が、少々違ったらしい。ぽいと放り出されて同じ方向をまた指さされた。
「こちらですね創一様」
「んま」
「おいおい創一食うなよ、木だぞ」
「歯茎がかゆいのかもしれません。先日読んだ本に確か…お持ちします」
大の男三人で乳幼児を囲み、よだれまみれになりながら積み木の城の建築を見守っている。
「創一は縦長の西洋の城が好みか」
「ばう」
「そうかそうか、俺は山城が好きだ」
「んー」
「不服だそうです」
乗せられた天守閣たる部分をボンレスハムのような腕で薙ぎ払い、崩れた箇所も含めてまたもとの通りに建て直した。
その中にバイキンマンの指人形を置いて屋根を閉じ、プレイマットの上にはいつくばりながら「これって俺か?」と横の窓から覗く撻器の肩に創一がアンパンマンの指人形を置いた。
「ああ、こちらです。六カ月から十一カ月程度で歯が生えるかその兆候があるとありますね」
「何!創一~口を見せて見ろ~」
「やん」
「おお、意思表示がはっきりしている…」
唇をぺろんと捲った撻器の指を嫌がり創一は傍で正座している丈一の膝に乗り上げた。
「しかしずり這いも早いのでは?腹部への圧迫が気になる」
「ずり這いの時期ではあるでしょうね。眠っている時だけ気を付けていましょう」
「じょ!」
「いてて」
手を伸ばされるまま身をかがめていると、小さな紅葉のような手がベストに手を掛け、襟に手を掛け、ネクタイを頼りに丈一の頬を思い切り引っ張った
「丈一、お前髪切ってよかったなあ。俺なんか寝ている間にかじられて先端がボロボロだぞ。赤ん坊てのは加減をしらないから普通に痛い。」
ぐい、ぐい、と頬を引っ張られてたまらなくなり丈一はまたプレイマットに這うような格好になった。
「じょ!」
「はは、丈一。床に這うのが似合いだと仰っていますよ」
「創一様が昼寝に入ったら表に出ろ」
「あぶぶ」
「創一が立ち会うとさ」
*
「丈一、朝顔を仕舞いたいんだけど」
「仕舞っておきますよ」
「ううん、僕がやる」
「風呂まで入られたのに。外は暴風ですよ」
いいの、と我を通し脇をすり抜ける創一に負け共に庭に出る。空は夜だというのに不自然に明るくその黒さのいくらかが雲によるものだというのがよく見えた。
「何色が咲くと思う?」
「土が酸性かアルカリ性かでしょうか」
「それはアジサイだよ。朝顔にはあまり影響がないんだ」
つんととがったつぼみは明日の朝にでも開きそうで、これなら心配にもなるだろうと植木鉢の覆いを外した。
「これでは明日のプールはキャンセルでしょう。他に何か予定があればそれを」
「特にない。宿題を進めたらビデオを見てもいい?」
「構いません」
まだふっくらとした頬に雨粒が落ちる。捲り上げたパジャマの裾が少しずつ落ちているのを見て丈一は跪きまた膝丈になるように巻き上げた。
「丈一。今日はもう帰るの?」
「いいえ、お屋形様もお留守ですのでこのままここに居ろとのお達しです」
「そう。夜更かししていい?」
「ダメです」
ずり、と創一が引きずりかけた植木鉢を代わりに持ち上げ、「どうぞ」と言われるまま創一が差す撻器の蝙蝠傘に屈みながら身を寄せた。
*
「がんばれー!見てるぞー!」
丈一には学校という物がわからなかったが、この保護者テントだけ熱気がすごいというのは理解した。
保護者の参加はまばらだと聞いていたが用意されていた保護者用テントは案外密度が高く、はみ出した黒服は車両に戻すことになった。
「こちらに手を振っていますね」
「ああしっかり見えてるぞ。しかし最近の子はアレやらないのか?帽子を紅白半々にして…」
双眼鏡を片手に創一に手を振る妃古壱の隣で「ちょっと貸してくれ」とその双眼鏡を受け取り撻器がまた手を振る。
その後ろに立つ棟耶はプログラムを凝視し、「日程が少々過密ではないか?」と苦言を漏らしている。
パン、と実弾とは比べ物にならない程軽い火薬が炸裂し、ちいさな子供たちが一斉に駆け出した。
前転や平均台、網くぐりなどは創一にとって障害でもなんでもない。他の子どもたちをぐいぐいと引き離してあっという間にトップを走る姿に賭郎一同は大いに盛り上がった。
ビデオ撮影を任された丈一はモニターと肉眼とで交互にその光景を見る。つい昨日まで人のスーツによだれを垂らしてはそしらぬ顔でついでにミルクも吐くような赤ん坊だったのに、と柄にもなくじんとした。
「お、何か拾ってるな」
「最後に借り物競争が入っているそうです。その後に縄跳びを10回」
「混ぜすぎでは?」
「過密だって言ったり混ぜすぎって言ったり将輝は忙しいな」
創一は借り物が書かれたメモの地点に至り、地面に置かれた何枚かから一枚を適当に拾い上げた。
「お、悩んでる悩んでる」
何か持たせるものはあったかな、と一同は懐や持ち込んだ一式の中をそれとなく見る。丈一も胸と尻のポケットを叩いたが、マネークリップとライターしか入っていなかった。
「ああ、こちらに来ますね」
「ゴールの近くで探せばいいのに。何かこれというものでも書いてあったかな」
ビデオのモニターにぐんぐんと迫る創一に気づき丈一はモニターから目を離す。
「丈一、来て」
「は?」
捲っていたシャツの袖を引っ張られ、妃古壱が投げて寄こした靴に足を急ぎ突っ込んでロープの向こう、競技用トラックに入る。
見た限り、同じ走順の子供たちはぬいぐるみやおしゃぶり、眼鏡、水筒などを抱えている。自走しているのは丈一だけでかなり悪目立ちした。
「あいつ、何を指定されたんだ?」
「さあ、掃除機とかでしょうか」
高さの合わない先導によたよたと付いて行き、借り物の後にはこれ、と教師に手渡された縄跳びをなぜか一緒に跳んだ。
訳を聞く間もなく当然の一位でゴールし、朝礼台に丈一と創一は並んで立った。借り物競争に突如として出現した決してかわいくはない人類に教師は怯みながらもマイクを向ける。
「蜂名くん、借りて来たものはなんですか…?」
「きれいなもの」
それを聞いてどよめかなかったのはこの学校の品格だろう、と妃古壱は思った。シンと静まり返った校庭にトランペット吹きの休日だけが続けて流れている。
「えーと、借り?借りた?のかな」
「はい。父から借りました。」
朗々とそう話す創一に困り果て、教師が丈一に「助けてくれ」の視線を飛ばした。
「…従業員です」
”借りた”の部分だけでもどうにか、と咄嗟に出たものだったが、その一言で教師の顔色は一気に回復した。
メダルを受け取った創一は促されるまでもなく朝礼台をさっさと降り、丈一に「ここで待つんだ」と校庭の地面を指さした。
「おい妃古壱撮れてるか」
「ええ、フフ、撮れております、フフッ、フフフ…」
「帰宅しましたら上映会を致しましょう」
三脚に固定されたハンディカムには、創一と並んで地べたに体育座りしている丈一がしっかりと録画されていた。
*
「創一様」
「なに、丈一」
丈一の心臓は、死の際に立った時にも中々感じなかったほどの速度で脈打っている。
スラックスの上からシャツガーターの留め具が器用に跳ね上げられ、留めを失い抜けた裾から熱を持った手が入ってくる。
「なに、ではなく、」
「ダメなの?」
「…」
丈一は創一に引きずり込まれるまま、ベッドに創一を押し倒すような恰好で静止していた。創一を押しつぶさないように手を突っ張ったのが却ってよくなかったと悔やんだ。
もう大人のそれになった創一の手がシャツの上から丈一のあばらのアーチを覆うようにして撫でる。
「僕の物になってよ、丈一」
それがどういった定義によるものなのか、考えなければならないのに頭が回らない。
滑らかな唇が自分の唇と重なり、繋がったくちとくちの間をぬるりと舌がなぞった。
「ねえ、もっと奥に行っていい?」
許可を求めるような事を言っておきながら、返事は待ってもらえなかった。