ものくうまなべ(焼き直し)はぐ、はぐ、と物を食う様は気持ちがいい。やや込み合っていた店内での「待て」の時間があった分空腹が効いているのかその手は淀みなく食べ物を口に運ぶ。
「うまいか、匠」
「ん、」
わざと口に物が入っている時に尋ねれば口をきゅっと結んで頷いて返した。
真鍋匠はよく食べる。
密葬課の課長と立会人として同じ空間に初めて並んだ時も弁当箱にやたらに卵を詰めて持参していた。
今日は立ち合いの帰りの車内で後部座席との連絡用のマイクに入るほどの大きな腹の音を鳴らしたので、速攻で知った店に進路を変えさせた。
「適当に」のオーダー且つ大皿で運ばせた定番の中華料理がどかどかと回転テーブルに載せられ、「いいぞ」と言えばすぐに匠の手が伸びた。
個室だから気兼ねするなと白米も頼ませ、その上に匠が麻婆豆腐を大量に乗せているのを愉快だと思いながら眺めている。
かつての密葬課にも大量のカロリーとエネルギーを摂取し続けなければ心身の維持ができなくなる怪物が居たが、匠もそれほどではないにせよ似たような物らしい。
そいつのような暴走は起こさないが、ただひたすらに腹が鳴るのだ。涼しい顔をしながら、険しい顔をしながら、自分の腹の音を自覚しながら、とにかくぐうぐうと腹を鳴らす。
量に関わらず継続して物を食べていればそうはならないらしいが、まさかカードを切りながら卵を食べるわけにはいかない。やっていいと言えばやるだろうが…
今日も目の前の大皿が空になるまでそうはかからなかった。どこでも食べられるようなありきたりなメニューの群れに文句も言わずただもくもくと口に運んでいる。
「お前、卵以外もよく食うよなあ」
「…私をなんだと思っているんだ。肉も魚も食べる」
そう言ってもぐ、と頬に肉団子を仕舞う。四十も過ぎた男の筈だが、飯を頬に詰めてむっとする顔がなぜこうも可愛いのだろうか。
膨らみ動く頬を観察している間にテーブルの3分の2は匠の腹に収まった。俺はそこからいくらかつまんでそれと匠を肴に酒を楽しんでいる。
俺の方はさほど腹は減っていなかったが、こうして適当な店に連れ込んでみるのは丁度良い肴を得られるので大変気分がいい。
「随分腹が減っていたんだな。この後は戻るだけなんだからもっとゆっくり食えよ」
「…」
匠はもぐ、もぐ、とするその隙間にスープを流し込む。
行儀が悪いわけではないがどこか幼さが残るその食事の様に勝手に口元が緩んだ。
燃費が悪いんだ、というのはそもそも本人の談であった。
以前からよく食う奴だとは思っていたが、ある日の閨房、まだ眠って少しも経たないうちに俺の腕の中で盛大に腹の音を立てた。
その時は「まあ運動したしな」と笑いながら適当な夜食を出したが、その後共に過ごす時間が増えるにつれその腹の音を耳にする事も増えた。
立ち会いの後、会議の後、事務仕事の受け取り、取り立ての血に塗れながら、セックスの最中やその後、なんでもないただ共に過ごしている時、そしてさっきの送迎中。
本人にとってはもう当たり前の現象で何か大きなリアクションもなかったが、とにかく良く鳴る腹にそのたびに何か食うかと聞き時には用意させ、用意し、匠がそれを平らげるまでを見守った。
一度好奇心で巨大なラーメンを出す店に連れて行ったが、麺の熱さ以外に苦しむ様子もなく涼しい顔で平らげ、それ以降匠の食べる量は様子を見るように徐々に増えていった。
素より決して貧弱だなどとは思っていなかったが、確かに脱がすと甘い顔に似合わず立派な体格をしている。その維持には多くの熱が必要になることだろう。
その顔でこの体はずるいだろ、と茶化した時のむっとした顔を思い出しながら手酌で酒を足した。
エビチリの皿も空になった。最後の一匹を口に放り込み一息ついた匠にメニューを差し出す。
「まだ食いたいだろ。なんでも頼め」
「…胡麻団子」
最早メニューも開かない。こいつ、エビチリ食いながら頭は胡麻団子でいっぱいだったんじゃないか?と苦笑した。
「いいぞ。だがそっちは包ませるから持って帰れ。俺は豆腐花にするから付き合えよ」
「わかった…ん?豆腐花は中華なのか?」
「気にするな」
口元に赤いソースが飛んでいる。俺が自分の口元を指でトンとして「ついてる」とやったのに、匠は逆の口の端を舐めた。
*
本部での息子…もとい立派な巨悪になりつつある頭領たちへの報告と物品の引き渡しを終え、遅いだの寄り道をしていたのは知ってるだのと文句を言われながら退散して来た。
立会人としての席を失った身ではあるものの愉快で業深い仔らの手駒になってやろうと嬉々としてまた踏み込んだ世界はやはり楽しく、
仕切る立場への未練が無いと嘘にはなるが勝負する立場というのもなかなか面白い事ばかりだった。
嘘喰いの子犬に「あなたとだけは当たりたくないから、こちら側の人になってくれてよかったです」と言われたのも記憶に新しい。
すっかり老人扱いされながら細かい略奪を任され退屈な日々も覚悟した。が、こうしてそれに匠を連れまわす日々はなかなか悪くない。
「ただいま、鷹さん。おみやげがあるよ」
自分が買ってきたように言うなあ、と思いながら玄関をくぐる。台所まではまだ歩くのだから言っても遠いだろうに、匠はいつも玄関で声をかける。
台所で道具を広げていた花は手土産を差し出す格好で玄関からそのままやってきた匠を見て察し、おおきなため息を吐いた。
「なんだい食べて来るなら言いな…もう下拵えしちまったよ」
差し出された包みを受け取り、三鷹花は手元でラップを切りながらじろりと二人を見る。
「ああ、悪いな。今日は来る日だったか」
「まあ構わないさ。麹に漬けてるもんだから別に明日でもいい」
両開きの冷蔵庫にぎっしりと詰めていた食材のいくらかが減り入れ替わりで調理用のボウルやタッパーが入る。
「あんたにはほら。自分でやりな」
水と茹でたものらしい卵の入ったタッパーを匠に押し付ける。匠はまだ手も洗っていないと言うのに熱心にそれをがしゃがしゃと振り始めた。
「まったく。プロの料理人を雇えばいいだろうに。」
「匠が花の料理を気に入ってるって聞いたから。表も料理人なのにこっちでも悪いな」
「いいさ。二時間ばかし立ってる時間が増えたからってどうってことないね」
「鷹さん、これくらいでいいかな」
「殻を捨てな…卵をおとすんじゃないよ」
匠はそれに従ってタッパーのフタを少しめくって水切りに向かって傾ける。
「随分懐いているな」
「上司はあっちだよ」
ジャケットを着たままで袖をめくり真剣に卵の殻を剥いている男に親指を向けられ今日何度目かの苦笑が出る。
「鷹さん、できた」
「タッパーを変えて冷やしときな」
「うん」
ひとパックぶんはあるだろう卵がサラのタッパーに転がり落ちていく。最後に角に残った一個を匠がひょいと取って咥えた。
「匠、まだ食うのか」
「ん」
「放っておきな。スナック菓子を延々と食べられるよりはマシさ」
といいつつも匠の手元からタッパーを取り上げて冷蔵庫に入れる背中を見て、明日この家の食卓に並ぶだろう大量の料理を想像した。