わし、スパダリかもしれんあるうららかな正午。なんだかんだで固まりがちな立会人たちはおなじみの休憩室でだらけにだらけきっていた。
「暇じゃ…」
「この組織ってヒマな事あるんですね」
「御屋形様が今海外いるし…立ち合いの件数今少ない時期だから…」
「おい門倉、ギャンブルにも閑散期があるのか」
「まあ…閑散期っちゅうか…会員は資産家とかお偉いさんばっかじゃけえの…年度末は忙しいんじゃろ…確定申告とかで…」
「南方さん、これは適当ですから。そんな観光業界じゃあるまいし、梶様とかはするかもしれませんが確定申告とか自分でやらないですから」
「何!?今信じかけただろうがオイお前立てコラ」
「あ?ええわ暇つぶしじゃおい机どけろ、土俵作れ土俵」
「踵ンとこにナイフ立てたれやオイ」
そんなふうにアラフォーのトムとジェリーが乱闘のためのフィールドを整えるという矛盾の中にある間に、銅寺は自分だけどこからか持ってきたキャスター椅子に座り、設置してあるテレビの前まで滑っていった。
「何か面白い番組ないかな」
「病院の待合みたいですね、ここ」
パチッと点いたテレビ画面には午後のワイドショーが映る。井戸端会議の情報源になるような毒にも薬にもならない番組だ。
『最近オタクというものもだいぶカジュアルになってきましたよね』
『以前はもう存在するだけで半ば迫害を受けるような存在でしたが…』
「なんじゃ、弥鱈特集番組か」
「…ナイフエッジデスマッチなら私も参加しましょうかね…」
南方VS門倉に加えて弥鱈VS門倉のカードまで出てしまった。銅寺だけが画面を呆けた顔で眺め、そのうち「すぱだり?」と首を傾げた。
「おい銅寺!もう三人同時に取り組むから行司をせえ!」
「今テレビで忙しいので…このスパダリというのが最近のトレンドだそうですよ」
銅寺がテレビを指さすが、トレンドになど興味がない男たちである。「ああ」と辛うじてのリアクションをしたのは弥鱈だけだった。
「何じゃトレンドがわかるんか」
「まあ…」
あとは行司の声を待つだけだった二人の間を弥鱈が通り抜け、銅寺の横に立つ。
弥鱈の方に気を取られた南方が左の頬に一発重たい平手を受けたが、南方もまた興味は既にテレビ画面に移っているようだった。
「スーパーダーリン…何じゃアレか、チョイ悪オヤジみたいなアレか」
「チョイ悪オヤジ?それこそワシらの事じゃろ」
”チョイ”で済むのか?というのは疑問ではあったが、四人はなんとなく並んでテレビを眺めた。
若いタレントがコメンテーターとして呼ばれ、こういった要素があるキャラクターが今人気で…といくつかの条件が箇条書きにされたフリップボードを立てて解説し始める。
「整った容姿…高身長…高学歴…高収入…大人の余裕と包容力…高級マンション…高級車…」
「3高の時代からずいぶん欲張りになったの~」
南方が「まあ全部持ってますけど?」という顔をするところに肘鉄を入れながら門倉は震えた。
「ワシか…!?」
門倉が画面を指さしてそう主張する。弥鱈と銅寺は「違うだろ」と言いかけたがそれは南方の手に遮られた。
「…あん時代のあの高校で番張れたのは高学歴じゃ」
「大卒の元ヤンは静かにしてくれませんかねえ」
「大人の余裕がある人は職場の休憩室で乱闘しないと思うけどね」
支配した方が支配された方より高学歴であるという謎理論を展開され、「ワシ、スパダリじゃった」と言う門倉を無視して三人はそれぞれの持ち場に戻っていった。
*
「梶様、私どうやらスパダリだったようで…」
「は?」
梶は、トンネルに入ったから気圧で耳が変になったのかもしれないと思った。
山間部をくりぬくトンネルの中を走る車の中で一日を振り返っていた時の事であった。規則正しく並んだオレンジ色の灯りが自分の腿に落ちては後ろに流れていく。
運転席との間にあるシールドのスモークは切ってあるため後部座席から門倉の姿は見えるが、別段、梶のリアクションをうかがっているような事はない。
また今日もよくわからない事を言い始めたな、とジャミング区域を抜けた携帯を開いて該当の単語を検索する。
「はあ…で、このスパダリってのがどうしたんですか?」
「いえ、私だなあと思いまして」
「高学歴でしたっけ?」
「私があのあたりを統一した時点でどこの高校よりも高位になりましたね」
「広島ではそれを高学歴って言うんですか?」
並べられた条件を再度目で追う。どれも否定できないどころか「そう」であるのが困りものだと思った。
「でもこれ世間的に見たら南方さんのほうがドンピシャですよね」
梶の中でぴったりと該当する人間が一人浮かび、勝手に納得してうんうんと頷いた。
「大卒だし…そっかあの人スパダリだったんだあ」
世間一般ものからは外れているかもしれないが、やはり一度社会に出て仕事をしていた人間というのは芯の種類が違うと常に感じていた。なので梶は素直に南方を褒めた。
逆にシンとしたのが運転席だった。門倉は後部座席にお構いなしで思い切りアクセルを踏み込む。
「どわっ!な、なんですか門倉さんびっくりした…」
「…マナー違反ですよ、梶様」
運転席との間のシールドのスモークがオンになる。後部座席を囲む窓ガラスも、スっと曇って外の景色が完全に遮断されてしまった。
「私も本日は直帰でしたのでちょうどよかったです」
「えっ何がちょうどよかったんですか」
「本日の車は私物ですのでこのままガレージに入れますからね」
「何、なんですか!?もうわかんないですよどこに地雷埋まってるのか!かどくらさん!」
ブツ、という音が車載の内部スピーカーから聞こえた。勝負場所に移動するよく聞く、運転席との接続を切られるときの音だった。
*
「梶様のお墨付きじゃ♡」
心底嬉しそうにそう語る門倉と、その後ろを通りがかった梶の怯えたように門倉を見る目がアンバランスだった。
それらをいっぺんに視界にいれた南方はまだ午前中なのにどっと疲労感に襲われた。
何がお墨付きだ、「そうです」と言わせたんだろうな、というところまで予想はついた。
銅寺はもうその話題にはとっくに飽きて、梶といっしょに通りがかって寄って来たマルコに「シャンプーとボディーソープのボトルは側面のギザギザで見分けられる」とか言う話をして尊敬されていた。
今日は立会がある。立ち合いがあるとどうなる?門倉の狂いに巻き込まれなくて済む――――南方はそれに素晴らしさを感じた。
早々にその場を離れた弥鱈は「やってられるか」と廊下のゴミ箱を蹴りたい気持ちだったが、廊下の先でヰ近立会人が生活指導の教師のように腕を組んで立っているのが見えたので、そっと脚を下ろした。