給湯室にて「まだ?」
「まだ」
「…」
ああ、ここは安全だ。とくに確信はないが、梶はそう思った。
マルコが本部に設置されている給湯室に居ると言うので、迷子にでもなったかな?と探しに来た。
カジ!どうしたの?と迎えられたその横には真鍋さんがいて、二人の手元では1パック分はあろうかという量の卵が茹でられている。
「真鍋さんのゆで卵って、本部で作ってたんですか?」
「ああ…そういう時もある。このところ遠出の立会への同行が続いたから卵を冷蔵庫に置いていなかったんだ」
いや、だからって本部で茹でる?素朴な疑問がわき出す。
「マルコはわいろをもらう」
「賄賂!?ダメだよマルコ!賄賂はメッ!」
「そ、そうなの?まなべはいいって言ったけど…」
「まあ、警察に居たら往々にしてあるものだよ」
慣れちゃダメでしょ、と言うのも疲れた。
マルコが迷子になっているのでは?と思ってやってきただけだった僕はマルコが迷子でないのなら特にする事も無く、なんとなく鍋の中の卵を眺める。
大の大人二人とXLサイズの子供一人、並んでただ卵が茹で上がるのを見ている。
マルコに箸を持たせた真鍋さんは指で「こう」と示し、マルコがそれに従っておそるおそる鍋の中をかきまぜる。
そしてまた鍋を眺め、タイマーが鳴ったと思ったら真鍋さんはお湯を捨て、大量の水に卵を晒した。
「今日は半熟の気分なんだ」
大量の蒸気を上げるシンクで何度か水を足し、流し、を繰り返す。冷やしているのはわかるがそれが温泉卵の成功にどうつながるのかはいまいちわかっていない。
「ねえまなべ」
「何かな」
僕を置いてけぼりにしている二人がのんきに会話をしている。
「マルコはこのあいだ、マヨネーズが卵と油だってわかったよ。じゃあ、卵にマヨネーズをかけたら、卵がとっても多くなる?」
「…いい目の付け所だ。じゃあ、味噌汁、豆腐、醤油、納豆の食事は大豆だらけという訳かな。全て大豆から出来ているものだ」
「ハッ…これは…?気づいていいこと…?」
「ああ…消されないように気を付けるといい…」
「マルコは…強くならなきゃね…」
「そうだね」
真鍋さんは流水を溜めながら軽く鍋を振り、ぶつかった卵がガシャガシャと音を立てる。
ひとつを手渡されたマルコは既に入っている罅にそっと深爪の先を入れ、おそるおそる殻を剥く。
真鍋さんは手慣れた様子で淀みなく殻を割って行き、現れた卵の素肌をちゅっと吸うととろけた黄身が現れた。
「わっ、温泉卵だ…」
すごい。素直に感心した。真鍋さんを挟んでマルコといっしょになって感動した。
真鍋さんは高そうな時計が濡れるのも構わず冷水の中からもう一つ卵を取り出し、今度は僕に握らせてきた。
「君も共犯だ」
ほんの少しの力でぺキ、と割られてしまった殻から白身がこぼれだす。これはもう、ここで食べなきゃいけない。
「警察の手口、こわいですね」
「こんなことや、冤罪だってお手の物だよ。君も知っているだろう」
そうっすね…と苦い記憶を思い出しながら、僕も白身をちゅるりと吸った。