フロ梶「ふらいみー、とぅざーむーん…」
「なんだなんだ、カタカナ英語にもほどがあるだろ」
ハーネルともシナトラとも言い難い調子でそれを歌う梶をシーツの海に戻す。
いくら夏が目を開けたと言ってもまだ雨の夜は冷たく、滲んだ汗はすぐに寒気を連れてくる。
汗も拭かずに余韻だけを逃がして起き上がった梶が凍えぬよう、新しいタオルと毛布ですぐに包んだ。
「なんか耳に残るんですよね、これ…この間ホテルで流しっぱなしにしてたアニメの曲がずっとこれで」
「へえ、日本のアニメーションも洒落てるんだな」
「けっこう難しい内容のアニメだったから何かそういうちなんだ曲なのかなって思ったら、歌詞はシンプルなんですよね」
「Fly me to the moonか、まあポップスの歌詞だから英会話の文章とは違うさ」
「いんあざーわーど…」
「うん」
「”言い換える”だっけ」
「そう」
梶は自分には学がないと言うが、それは学ぶ機会がなかっただけの話のようだった。教えればスポンジのように吸収し、尋ねれば教えた事がきちんと返ってくる。
ニュアンスや意訳というものへの手札はまだ少ないようだったが、聞いて理解する分には徐々に引き出しが増えて行っているように思う。
耳のいい梶は先に音声で聞き、それを分解して単語にする。テキストを与えた時よりも覚えが速かったので元来そちらの方が向いていたのだろう。
「ほーるまいはんど」
「Holdだ...手を握ってくれって?」
「べいびー きすみー」
「キスをしてくれって?」
まだ聞いたままを復唱する程度の領域なのか、どことなく子供が話すそれのような音を残しながら梶が口ずさむ。
「してくれる?」
「いくらでも」
ついばむようなキスに、求愛のために歌う小鳥を思い出す。そしてやはりこの男は教えた事を返すのだと思い口元が緩んだ。
梶隆臣。お前はとっても小さな人間。叩けば揺らぎ、拐かすのも易く、探れば見つかる。けどまだ底が無い。
こんなにも全てを知っているのに、浚って枯らす、暴いた証明が見つからない。
恋人が抜け出して冷えていたベッドに熱が戻るのはすぐだった。満たされて形を決めた心がとろとろと融解を始めて、「もっと欲しい」と欲を詰めるためのスペースを空け始める。
「俺はお前に誠実だ。お前が望むなら月にだって連れて行ってやる。」
「じゃあ、月に陰謀を見つけなきゃ」
ああ、お前ってやつは。クソ、愛してるぜ。