接待ゴルフのない日曜日はすることがない。
普段はシャツの皺ひとつ、前日とのネクタイの色被りひとつも気にするっていうのに休日という物は、起きた瞬間から背骨を全部布団に置いていってしまう。
けど普段あくせくと働いているせいでただぼうっとして一日を浪費するのはそっちの方がストレスになる。我ながら面倒な性分だ。
どうせ何もないとわかっていても、ならば何か一日に、もう競馬の放送も終わった時間ではあるが何か収穫というか、得るものが欲しいと思ってしまう。
寝巻を捨て外へ出よとタバコと携帯、財布を携えて玄関を抜けた。
代わり映えのしない商店街には七夕飾りが揺れている。
誰か指摘してやれよ、と言うくらいに巨大な竹に大量の紙の輪が垂れ下がり、さながらお化け柳のような様だった。
何か、何か、と気が急く。こんな日曜日は先月もあった。その日は確か、商店街のどんづまりにある家族経営のローカルすぎるコンビニでタバコを2,3箱ばかり買ってそれを収穫としたのだったか。
昼も過ぎてから起きて胃の中が空だ。けどどうせ家に帰ってもやる気が起きるという事もないだろう。昼飯と言う時間でもないからいっそ夜の為に飯でも買って帰れば腹の虫もこの空虚な感覚も収まるだろう。
さて、とあたりを見回す。仏具店、衣料品店、寝具店…流行り廃りの激しい四つ辻の店…そうだ、ここまで来ればここから先はよりどりみどりだ。
しかし金曜の接待で食わされた肉の脂がまだ残っている。夕飯の総菜のひとつでもといってもその前に軽く、飯とは言えないが何か食べたぞ、という程度の物を胃に入れておくべきだと思った。
このまま進んでまたあのコンビニで握り飯を買って終わるのだろうか。俺の日曜日は。女房子供を持とうとかいう希望も特にないからこういう日曜をこれから先何度も繰り返すのが俺の人生なのかもしれない。
「安いよ、安いよーっ」
そんなベル日常的に鳴らすもんじゃないだろ。思わず耳をふさぎそうになった。
まだ3軒ばかり先なのに八百屋のおやじの声は厳ついハンドベルの音に負けない位によく通っている。
「奥さんスイカどうだい!今日はひと玉がお得だよ!」
おお、と食指が動いた。スイカなんぞほぼ水分みたいなものだが、スイカと耳に入った途端に口が潤ったあたり、今求めているものはこれではないだろうか。
いそいそと八百屋に向かって歩いてさりげなく売り場の前に身を寄せる。
――――ひと玉か。
魅惑、と思ったのも束の間だった。俺は安アパートに一人暮らしだ。あんな家にきちんとした野菜室がある冷蔵庫なんぞ置いたら床が抜けてしまう。第一消費も追い付かない。
カットしたものは無いのかと思ったがどうにも半かけまでしか用意がないらしい。店の奥の冷蔵の棚を見てもあるのはパイナップル、柿、オレンジ…もう口はスイカなのに。思わず俺は肩を落とした。
すごすごと店の表に戻る。まだ未練があった。かといってどうとできる訳でもないし、商店街から大通りに出て駅前のスーパーに出るという気力はない。
ううむ、と立ち去りきれずスイカの前で唸っていると、隣にひょろりとした男が並んだ。
イクメンというアレだろうか。抱っこ紐の中には丸々として目の大きな赤ん坊がおさまっている。両手にはもうエコバッグが提げられているからそれこそ駅前のスーパーにでも行ってきたのだろう。
男も唸っていた。赤ん坊は親父殿が唸るのが面白いのか喉仏を小さい手のひらで叩いている。
もしや、とひとつ思い当たった。店の一番手前、ここにはスイカの陳列台しかない。そしてこの男も唸っている。
ちら、と横目で男を見ると、男も同じようにこちらを見ていた。
思わず目をそらした。あまりにもわざとらしかったから相手にはバレているかもしれない。
「…」
何だ。何故近づいてくる。
白い頭が視界でちらついている。もはや覗き込まれている。なぜ、何故だ。
「…はんぶんこ、せんか?」
「…え?」
これ、と眼前に差し出されたのは半分に切られた方のスイカだった。
「情けない事に甲斐性が足らんでなあ。小さい冷蔵庫でさほど隙間も無い。」
ここを、こう、と手で切り分けるだろう地点を指される。元が大玉のスイカだから半分のサイズでも十分に大きく、一人で食べるならもう半分に切らないと2日連続で食べるにしてもつらい大きさだ。
赤ん坊と親父が二人そろってじっと覗き込んでくる。
誘いは、悪くない。
「…半々にしますか」
「よしきた」
こちらの返事を聞くや否や親父殿は手に持っていた買い物袋を俺に、自分はスイカを携え店の奥にあるレジに向かって行った。
「家、こちらなんですか」
「んー?」
子供を抱いているのだからと今度は申し出て荷物を持った。子供は父親の胸に頭を預けて安心しきったようにおとなしく揺られている。
「まあ、そうじゃなあ」
商店街から出て最初の通りを直進。その次は右へ。それからほどなく、というところまで来て最後の横断歩道の信号で首を傾げた。
だってこれは今日、自分が来た道だ。
「気づいて受けたものだと思っていたが、違ったか?」
親父殿が開けたポストは我が家の隣家のものだった。
「いや失礼した…お隣さんだとは…」
「何、そちらは朝が早くて帰りも遅い。この子もほとんど泣かないから夜も静かだったろう。」
畳の上に放された赤ん坊はそれきたと言わんばかりにその上を這い、畳んであった毛布に向かって突進していった。
「確かに夜泣きなんかは…だから気づかなかったのか」
赤ん坊は一人で遊ぶのが得意なのか、毛布に器用に挟まりながら脚で枕を踏んで楽し気にしている。
「スイカを切ろう。うちの台所でやっていいか?」
「勿論。お子さんは見てますよ」
「何、そう手のかかる子じゃない」
そう言いながらも親父殿は風通しにと開けていたベランダの戸を閉め、鍵も掛けた。
*
あの申し出を受けたのは正解だった。半玉をさらに半分にして分けたスイカを頂いて帰り、自宅でさらに半分にした。
ぬるいのを承知で食べたのに体は期待していた味に随分と喜んで、年甲斐もなく皿も皮も座卓に置いたまま夕方に向かう風の入るベランダの前で寝落ちてしまった。
結局総菜を買うのを忘れたので夕飯はさもしくカップ麺などをすすり、その後に結局もう半分も食べてしまった。
よく冷えたスイカがこんなにうまかったとは暫く忘れていた。最後に見たスイカは付き合いで入った店の冷やし中華だった。それも去年か、おととしの事だ。
思いがけず得た夏の風情のおかげか、冷房で冷えた部屋がなんだか嫌になる。部屋は冷えても涼しくなった気がしない。熱帯夜ではなさそうな事に感謝しつつベランダを開けた。
正しく安普請、といったこのアパートにはベランダといっても洗濯物を干せば立って降りるのも苦しいくらいのものがついているだけだ。一人だからそれで別段不便はないが、何か物を置けば本当でそれでおわりくらいの広さしかない。
角部屋の道路に面する側に背を預け愛飲するタバコに火を着ける。スイカで手一杯になりこれも買いそびれた。
「ん、吸うのか」
夜の闇に浸っているところに急に人の声がして思わず煙草をお手玉しそうになった。声の主は隣室にいた。
窓枠に座るようにして半身をベランダに投げ出す様はこちらと鏡面対象で、何故だか向かい合って座っている事に笑いそうになった。
「あ」
挨拶よりも先にその手に握られているスイカに目が行った。男一人に子供一人、子供といってもまだまだ赤ん坊だから即日消費という事もないだろうとは思っていたが、親父殿の夜の供になっていたのか。
「息子には内緒じゃ」
乾杯、とスイカを掲げる手に煙草で応じる。
「言いませんよ。口は堅い方です」
自分が手元の火を見ていて気づかなかっただけで先に居たのかもしれない。そのスイカももうかなり削り食われている所だった。
「…俺も、深追いする方です」
ほど近くにあった座卓から皿をひっぱって、お役御免となっていた皮をひらつかせた。
「気が合うのう。さてはもう食べきったな?」
図星だが、そうだと即答するには腕白が過ぎる。曖昧な顔をして煙草を吸うのに戻った。子供が、と思ったが風向きは俺に向いている。
「…こっちに来ませんか。一本、どうです。行けるクチなら…」
今日は静かな夜だ。まだ21時だというのにあたりがいやにシンとしている。日曜日の夜9時は、まだ何かを期待している時間なのかもしれない。
「いいや、この子を見ていたい。」
親父殿の視線が部屋の中に投げられる。その伏せた目の先に誰が居るのかなんて考えるだけ野暮だ。
「ワシは手のかかる親父でな」
よかった。あんたがたかだかタバコ一本のためにその子を置いて俺の所なんかに来たら、次は一人でカットフルーツを食う所だった。
3:09 2023/11/18