no title 服部耀は正義の人である。
公道では法定速度を守り運転をするし、原付に乗れば必ず二段階右折をした。満員電車では大人たちに潰されそうな小学生の盾になり、若い女性にばかりわざとぶつかるサラリーマンを牽制するのに忙しいし、またある時は道に迷う外国人を案内した後、たくさんの荷物に困り果てていた老婆を助け目的地まで荷物運びを買って出た。こうして人知れず、市民のため平和のために生きるのである。
ただ一人、鉄壁で築かれた正義を崩す者が現れるまでは。
「離してください」
「いやだ。離したらいなくなるでしょ」
「私を庇えば共犯になります。それは服部さんの正義じゃない」
「正義じゃなくて大義」
ぐらぐらと足元が揺れて、信念を脅かされている。それはもうあっけないくらいに。
「この世の正義よりも優先されるべき大義などありません。だって、」
今なら命より重いこの警察手帳すら手放せる。所詮、革と紙でできた有機物。燃やせば燃える。人間と同じだ。
「あなたは正義の人でしょう?」
自身に課したあの日の誓いが、呪いとなって跳ね返る。強い光に目が眩み、再び捉えた視線の先に彼女はもういなかった。一瞬、彼女の頬に伝うものが見えた気がしたが、果たしてどうだったか。今となってはもう思い出せない。
──こちら朝霧。逃亡中の泉玲容疑者を現行犯逮捕。精神は安定しており抵抗もありません。このまま本部へ護送します。
耳に付けた無線のイヤホンから、機械音に混ざったざらついた音声が冷たく届く。
服部耀は正義の人であった。
過去も現在もそして地続きの未来も、必ずそうで在り続ける。