青山と由井「ここにいたのか」
背中にかかる馴染みの声。振り返った先のピンク色は、青空と繋がるこの空間においてはそれだけが不自然に浮いているようだった。
珍しいなと俺が返す暇もなく、孝太郎は当たり前のように隣に座りまるでいつもそうしているように右脚を組んで落ち着きを示す。
「気にしてるのか昨日のこと」
「気にしない方がおかしいだろ……」
問われる内容は大方予想がついていたし、やっぱりその通りだった。関さんと泉が入籍をしたと聞いたのはつい昨日のことだったが、なんと、俺以外全員が気付いていたのだ。報告があるという関さんの意図を全くと言っていいほど理解せず「何か事件ですか?」と聞いてしまったのはいい笑い話だ。一生夏目にいじられる。
「というかお前こそ、前にそれはないって言ってただろ」
以前に居酒屋で話をしていた時のことだ。報告があるという関さんと泉をもしかして交際報告? と揶揄う夏目に、孝太郎と声を揃えて否定した。実はあの頃から付き合っていたと言うんだから驚きも驚きだ。
「ああ、言ったな。しかしあれはこんなタイミングで言うはずないだろう、という意味だ」
「お前……」
飄々と語る横顔にそよぐ風が柔く撫ぜる。異質だったはずのピンク色が我が物顔で爽やかに馴染んで、こいつのファンが見れば卒倒するような絵になる光景にイラつきが増してくる。
「まぁ。樹はそのままでいた方が……ふっ」
「馬鹿にしてんのか?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないよ」
笑みを浮かべたままの横顔と視線が交わることはないまま「俺は兄弟がいないからわからないけれど」と言葉が続く。
「樹の泉への態度は、樹が弟と接する時のそれと似ているようにも思う。だから寂しいんだろう」
自分で自分の感情を言葉にすることを無意識に避けていた。どんな言葉が正しいかがわからなかった、と言う方が正しいかもしれない。俺が名前を付けたならもしかしたら違ったかもしれない結末を、孝太郎が兄弟に対する感情だと形容したことにひどく安心できた。そうだったのかと心のかたちに馴染んで、数秒後にはそうに違いないと思い始めている。何せ泉は新人の頃から育ててきた後輩で、初めて辞めなかった10人目。そりゃあ寂しくもなる。
「わかったような口利くな」
「少なくとも俺は関さんが関さんで、泉が泉であって良かったと思ってる。お前もそうだろう?」
「俺は……」
「あ、いた! 由井さん!」
「げ」
扉の開く音に声がして、泉が勢いよく屋上へ飛び込んでくる。吹き抜ける風のように現れて、俺たちを巻き込んでいく力強さ。正面からぶつかって乗り越えて、傷ついても諦めない後輩は尊敬する上司に対してもそうなんだろうと思わざるを得ない。
「関さんが探してましたよ!」
「泉、君ももう関さんだろ」
「そ、そそそそうじゃなくて! いや、そうなんですけど!」
照れる泉の左手には昨日はついていなかった輝きが光っている。もちろん関さんも同じ場所に同じものがあって、報告した途端に見せつけられた二つの誓いは眩しいったらありゃしない。
「わかった、じゃあ交換条件だ。俺が戻る代わりに君が関さんと呼ばれた時の脳波を調べさせてくれないか」
「え、この流れではいわかりましたって許可すると思います!?」
昔と変わらぬ二人のやり取りは、どこか俺を安心させるもので、肩の力が抜けていく。
関さんが関さんで、泉が泉であってよかった。孝太郎の言葉を繰り返す。ああ全くその通りだ。それに尽きる。
「さぁ戻りますよ!」
「……くそっ」
どうやら泉の説得に負けて渋々戻ることにしたらしい。時間の許す限りここに身を置きたいという気持ちを改めて思い出して、去り際の背中に感謝を投げかける。
「ありがとな孝太郎。俺も同じ気持ちだ」
しかしあろうことか、孝太郎はすごく嫌そうな顔で振り向いた。なんだよ。せっかく礼を言ってやったのに。
「樹、お前……」
「は? なんでそんな嫌そうなんだよ」
「この泉の疑念に満ち溢れた顔を見てみろ」
隣で目を見開き俺と孝太郎の顔を交互に見ていた泉へ視線を向ける。俺と目が合うとはっと口を噤んだ後、気まずそうに目を逸らした。
「だ、大丈夫です。私、口は堅い方なので!」
「はぁ? どういう意味……」
俺は自身の発言を振り返り、とある過ちに気付く。
違う泉、そうじゃない。そうじゃないんだ。