見栄っ張りと意地っ張り【全年齢】プルルルル、プルルルル
「……」
「おい、出ないのか?」
「……あぁ、きっと大したことじゃない。」
ほぼ毎日のように入り浸っているヴォックスの家で夕食を済ませ、酒を軽く開けて、ソファでお互いにだらだらと過ごしていたその時、
突如机の上でスマホの震える音と着信音が鳴り響き、それをヴォックスはただ眺めている。
ヴォックスの様子がおかしいと気づいたのは1週間ぐらい前からだった。
普段自分からポストなんて確認しないはずなのに、早起きして見に行くようになったり、
近くのコンビニやスーパーに行くのにも帽子やメガネをしていくようになったり、と明らかに挙動不信で、スマホの着信を無視するのもそのひとつだった。
「大したことじゃなくてもせめて出なきゃ失礼だろう。」
「お前には関係ない。」
「関係ない関係ないって、いつもそればかりだな。」
この話題に触れるといつも決まって返される言葉は「関係ない」。
正直、面白くない。
一応喧嘩仲間、友人、そこに……恋人という関係もあるのに。こんなにも『関係ない』とバッサリ切られることは今まで無かった。
「なぁ、別に全部話せとは言ってない。
でも最近の自分の挙動はあまりにも不自然だって自分でも分かってるだろ。それを心配されるのは当然だと思わないか。」
至極単純な論理。
ヴォックスもそれを理解したのか渋々という様子で口を開いた。
「……もう少し待ってくれ。」
「は?」
「もう少し待ってくれたら、話すから。あと、しばらくここには来るな。」
「はぁっ!?おい、それどういう」
「すまない。」
その待ってくれは、『今悩んでいるこれを解決した後に話すから。』ということでしかなくて、
食い気味の謝罪も、それ以上の追求を許さないというそれで。
ついにはここには来るな、だって?
限りない程の拒絶につい頭に血が昇った。
「あぁ、わかった、結局お前は1人で解決するんだな。そんなに俺は頼りないかよ。」
「ファルガー、そうじゃない。」
「いい、じゃあ、それとやらが解決したら話してくれよ。お前にとって俺は『関係ない』んだろ?」
ソファから立ち上がり、勢いよく自分のバッグを引っつかむ。
それと同じようにヴォックスも俺の腕を掴んだ。
「ファル、落ち着け。」
「そんなこと言われて落ち着けるように思うか?話をしてくれないのはお前のくせに随分我儘なやつだな、これ以上話すことは無い、帰る。」
その手を振り払って玄関に向かって、バタン、と音を立ててヴォックスの家を出る。
ヴォックスが後ろから走ってきてこの手を掴むことを、あの声で呼びとめられることを少しでも期待している自分にも腹が立って、早足でマンションのロビーを抜ける。
すると、出てすぐの街灯の下に女性が1人で立っていて、その光で照らされていることに気づいた。
夜も深く、人通りも少ない住宅地であるのでその光景は異様に浮いて見える。
不意に自分と目が合うとこちらに駆け寄ってくるので道にでも迷っていたのだろうかと自分も歩みよった。
「こんばんは、あのすみません。」
「どうかされました?」
「ヴォックスさんのお宅って、ここでしょうか?」
「……はい?」
「ヴォックス·アクマさんです。」
よくご存知でしょう?
全く知らない女性の口から出る恋人の名前。
そして笑っていないその目にただ事ではなさそうだと気づき、思わず後ずさる。
「あなたがヴォックスさんのお相手ですよね?」
「な、え?」
「まさか男の方だとは思いもしませんでしたが、お会いできて良かった。」
街灯の光が彼女の手元できらりと反射する。
それを視界の端に捉えた瞬間に、思いもしなかった展開にぶわ、と汗が吹き出す感覚。
突然、ナイフの切っ先が自分の胴体に目掛けて迫ってくるのを反射で避けようとしたその時。
肌に当たる直前で止まるそれと、ぽた、ぽた……と滴り落ちる鮮血。
そのナイフを止めている手の黒いマニキュアが街灯の光を反射させていた。
「ヴォ、ックス」
「あぁ!ヴォックスさん、血がっ」
その赤々とした血を見て動揺したのか、カランカラン、とナイフを取り落として座り込み、口元を抑える女性。
血が流れ続けているヴォックスの手を見ながら何かブツブツと呟き始め、ついには頭を抱えて泣き出した。
その一連の状況に混乱を隠せずにいると突然スマホがこちらに飛んできて慌てて受けとる。
「ファル、警察を呼んでくれ。」
「わ、わかった。」
その、月に照らされた瞳は明らかに憤怒の感情を宿していて、あのヴォックスが女性に向けて軽蔑したような視線を向けたのを見たのは初めての事だった。
「いっ、もっと丁寧にしてくれないか。」
「うるさい、我慢しろ。カッコつけやがって。」
医師に指示されたように薬を塗って、ガーゼで手の周りを覆っていく。
あの後、警察が駆けつけてきて事情聴取という形で2人で警察署まで行った。
言うまでもなく、あの女性はヴォックスのストーカーだったということだ。
1週間前から視線を感じ、毎朝ポストに隠し撮りの写真と手紙が届き、非通知として何度も電話をかけて来るなど悪質で、手紙の内容もどんどん過激になっていたらしく、ヴォックスも特に警戒していたらしい。
ヴォックスが手紙などの証拠を全て綺麗に残していたおかげで聴取も早く終わったものの、家に帰る頃には日付も変わり、深夜になっていた。
「あそこでお前が止めなくても避けれてた。」
「そうだろうな。でも恋人がナイフを向けられていて何もしないやつがあるか。」
自分でもかわいくないと思う言動が勝手に口からでるが、至極当然だと言わんばかりに言葉を返され、つい絆されかけて、口をキュッと閉じる。
「……怒ってるか?」
「当たり前だろ。あんな言い方でここにはもう来るな、お前には関係ない、だと?大ありじゃないか刺されかけてるんだぞ。」
「手紙の内容からしてお前にも危害が及びそうだったんだ、その判断が遅かった。……すまなかった。」
「でも1番はそこじゃない。」
「う゛っ」
ばちんっ、とデコピンをしてやると大袈裟に仰け反って額をさする。
「あれは俺に相談するべきだった。」
「……そうだったな。」
「むしろなんでしなかったんだ、いつものお前ならしてただろ。」
自分はか弱い女でもなんでもない。成人男性でなんならオマケに機械の付いているサイボーグだ。
理知的で論理的なヴォックスなら話しておいた方が良かったのは必然だと気づいただろうに。
顔を逸らして何度も何度も口を開けようとしては言い淀む。ついに覚悟を決めたのか、ふーっと息を吐ききって目を合わせる。
「笑うなよ。」
「あぁ。」
「……かっこ悪いところを見せたくなかったんだ。」
「はぁ?何の話だ。」
「あんな女性1人に1週間も手こずって、すぐにあしらえないなんてかっこ悪い以外の何物でもないだろう。あーくそっ、これを言うのも格好がつかないな。」
と、その濡れ羽色の長髪をガシガシとかきながら至極気まずそうに言う。
「馬鹿じゃないのか、この手でやったことを忘れたか?お前はかっこよくないことの方が少ないぞ。」
俺の前でぐらいかっこ悪く居ろ。
そう言ってガーゼを切ってテープで止める。
もう一度目を合わせるとキョトンとした顔から、直ぐに破顔した。
お前が見栄っ張りなのはとっくのとうに知ってる。
でも自分の前でいつもは見れない感情を顕にするところ、かっこ悪いところを見れるのが恋人の特権だと思うのだ。
「……お前はかっこいいな。」
「惚れ直しただろ、たまには俺が上でもいいぞ?」
「ほう、それはいいことを聞いた。」
「……?」
その後案の定、思っていた"上"ではなく、結局抱かれたのはまた別の話だ。