ただ会いたかっただけなんだ 住んでいる場所によるのかもしれないが、ヴォックスの通う高校では進級してから比較的すぐに桜が舞い始めた。桜の最も美しい時というのには諸説あるものの、ヴォックスは散り際がお気に入りだ。その儚さや、それでも翌年にはまた美しい花を咲かせる強かさを気に入っている。
ばさり。
他所ごとを考えていれば、急に強く風が吹いてカーテンが舞い上がり、机の上にあったペンが飛ばされてしまう。すかさず受け取ってくれた斜め前の席のアイクへありがとうと返せば、授業はちゃんと聞くんだよと釘を刺された。
「分かっているよ、アイク」
「んん、なら良いんだけど」
先生の目がこちらを向く前に会話は止めにして、先程のカーテンによってぐちゃぐちゃにされてしまった机上を片付ける。窓際の席は眺めが良い上居心地も快適で最高だが、こんな時には少し困る。
ヴォックスは机の上にあまり物を出さないタイプである。元通りにするのは早かったが、机の端の方に何かがあることに気がついた。
桜の花びらだった。どうやら先程の強風で教室の中へ紛れ込んでしまったらしい。地上へ落ちて人に踏まれてしまった花びらと比べて陽の光の透ける桃色が綺麗で、なんとも美しい。この様な美しい物は恋人にあげたい、なんて考え出した。
ヴォックスの恋人の名前はファルガーという。通う学校は違う。一つ年下で、生意気だがとんでもなく可愛い。最近まで中学生だった彼は、今年高校になったばかりだ。
ファルガーの通う高校はここにかなり近い位置にあり、往復すれば二十分程度かかる。この授業が終われば昼休みだが、果たして今日は会議や集まりなどがあっただろうか、と思考を巡らせる。
ない。つまり昼休みの五十分間、完全なるフリーである。そうと決まればファルガーの学校へと向かうしかないだろう。昼ご飯など恋人の為なら抜いてやる、と密かに決意を固める。
そうして桜の花びらを胸ポケットに入れたヴォックスは、何事もなかったかの様に授業へと戻った。
校門へ自転車を止め、グラウンドに入る。ここまで来たは良いが……一体ファルガーは何組なんだ?まさか一組から一つずつ訊いていくわけにもいかないから、ヴォックスは困って立ち止まってしまった。ファルガーに手順を考えてから行動しろ、と言われたのを思い出す。本当に生意気だと思う。好きだが。
ところでヴォックスはかなりの美形なので、勿論と言った様に女子が集まる。あぁ、この子たちに訊けばいいのか、と考えた彼は一番手前の女子へ訊ねた。
「なぁ、ファルガー・オーヴィドって奴、どのクラスに居るか分かるか?」
「え!?えっと……」
群衆がほんのり騒めく。訊かれた女生徒は後ろへ振り返って、何かを確認する様にこそこそと話していた。どうやらファルガーのクラスについて思い出そうとしているらしい。
もう一度こちらを向いた彼女が、先程よりも幾分か高い声で答えた。
「ファルガーくんは五組です。彼に何か……」
「ありがとう。じゃあな」
ファルガーのクラスが判ればこの群衆など弊害でしかなくなってしまう。早く彼に会いたいヴォックスは、ほんの少し早歩きで一年の階に向かい始めた。
違う学校の制服というのは少々、いやかなり目立つ。じろじろと見られる視線が気になりつつも、一年五組の扉を叩いた。そこには、ヴォックスがファルガーに会いに来たと知った女子たちが、ヴォックスよりも一足先にファルガーを囲んで何やら話している様子だった。
ファルガー、と呼び掛ければ、助けを求めるような、または勘弁してくれと言ったような表情で彼は言う。
「ヴォックス……!何しに来たんだ」
「あぁ、君に見せたいものがあってね」
「まさかカエルの死体とかじゃないだろうな?」
そんな訳は無いだろう、とポケットへ手を入れようとすれば、此処は目立つから一旦屋上に移動させてくれ、とファルガーに腕を掴まれた。そして、隣に座っていた友人らしき人へ手を振る。
「浮奇、ちょっとこいつの相手してくる」
「わかったよ。いってらっしゃい、ふぅふぅちゃん」
スタスタと先を歩くファルガーに引っ張られる様にして、ヴォックスは屋上へと足を踏み入れた。屋上は基本誰でも入れるそうだが、まだ昼休みが始まったばかりだからか人気は無かった。都合が良い、別にヴォックスだって人通りの多いところでファルガーと話したいわけでは無いのだ。
「それで?わざわざここまで何の用だ」
「今日は風が強く吹いた時があってな、机の上にこれが落ちてきたんだ」
ヴォックスはポケットから先程の花びらを取り出す。少しばかりくしゃりとしてしまったが、最初のように綺麗だった。不思議そうに首を傾げたファルガーの手に乗せる。
手の金属の赤色が、少しばかり透けて美しく映える。
「桜の花びらだ。綺麗だろう」
「いや……綺麗だが……。こんなものの為にここまで来たのか……」
「勿論。綺麗なものや共有したいと思ったものはファルガーに渡したくなってしまってな」
返事がないのを疑問に思って顔をあげれば、そこにはほんのり顔を赤らめて動揺するファルガーの姿があった。中々見ないので、これだけでも十分に来た甲斐があったと言えるだろう。
「馬鹿なのか…………」
「失礼だがかわいい照れ隠しだな」
その時、がちゃりと扉を開ける音がした。ファルガーは更に動揺してしまっているが、後ろを振り返れば見慣れた仲間たちがいた。どうしたのだろうかと考える。そのまま、興味津々で辺りを見渡しているミスタがこちらへやってきた。
「ヴォックス、会議すっぽかしてたらしいね」
「は?会議は無かっただろう?」
「生徒会だって。仲良いからって代わりにアイクが行かされてたから後で話したほうがいいと思うよー」
Hi,ファルガー、とルカが話しかけるのを横目に見つつ、シュウから手渡された紙を見る。
『ヴォックス、後で何か奢って。』
「はっ、なら帰ったほうが良いんじゃないか?」
「そうだな……。ファルガー、会えて嬉しかった、愛してるよ」
「馬鹿か!?」
人前でそのような事を言うな、とまた顔を覆い隠すのを愛おしく思いながら、ドアノブに手をかける。振り返り、扉を閉める少し前、投げキッスをしたことにあいつは気づいただろうか。
「やばいやばい、遅刻しちゃうよ」
「ちょっとくらいなら良いんじゃない?」
「よくないってミスタ!」
「みんなで自転車漕ぐのは最高にpogだね」
「あぁもう……遅刻したらヴォックスのせいって言うからね!?」
「あぁ、ファルガーのことを自慢できるならいくらでも良いぞ」
「このバカップルめが……」