さっさと気づけ鈍感野郎!「好きな人が出来た」
光沢のある無機物でできた指がグラスの水滴に滑って危うく落としかけた。
ファルガーは慌ててそれを持ち直して内心胸を撫で下ろす。
真正面の棚に並んだ鈍く光るボトルを、バー特有の色気のある黄金色が照らして、まるで作り物みたいに端正なヴォックスの顔に反射していた。
その顔から思いもよらない言葉が出たものだから、ファルガーはカウンター席で揃って同じ方向を向いていたのを体ごとヴォックスの方に向ける。
「はあ?本当か?」
「冗談を言ってどうする。」
「いや、まさか、お前が1人の相手を決めるなんて。余程のことだと思ったんだ。」
ヴォックスは鬼である。
かつて主君としてクランを纏めあげ、
時にはそのクランから逃げ出すものを己自ら切り捨て、
その声と、美貌と、人望、そしてカリスマ性全てを利用した、"人間"の良き隣人である。
何度裏切られようとこの鬼は懲りずに400年以上も"人間"という存在を愛しているようだった。
それ故に、平等で、博愛主義だと思っていたのだが、まさかただ1人に執着するとは。
そこまで考えを巡らしてから、人を愛することをそう難しく考えることでもないかとグラスの中のジンを揺らした。
自分の指の紅と黒が、屈折して、ぐにゃりと歪んでいる。
「そう思うならもたついてないでさっさと告白すればいいだろう、らしくもない。」
「いや、伝えたところで最初は『酔ってるんだろう』ってはぐらかすだろうな。」
「ん?」
「多分そのまま攻めたところで、笑い飛ばされて終わりだ。あいつはそういうやつだ。」
「そいつはまた……」
ヴォックスが告白してもそんな反応が返せるところを考えると割と近しい間柄なのかもしれない。
口ぶりからして男の可能性もあるだろう。
そのままヴォックスに促すような視線を向けて、ファルガーはアルコールを舐めた。
「……互いにからかったりする時もあるが、なんだかんだ本当に優しいんだ」
「まぁ一番大切だな。」
「顔も……どちらかと言うと美人だな。すごく綺麗なグレーアイだ。」
「お前が言うなら相当なんだろうな。」
自身が顔が整っているせいか、周りに顔が良い奴が溢れすぎているヴォックスが言うのだからさぞかし別嬪なのだろう。
「料理はあまりしないらしい。」
「良かったじゃないか。料理を作る口実ができる。沢山食べさせてやったらいい。」
「見たことがないが怒ったら怖いと思う。」
「そうなのか?」
「本気を出せばそこら辺の壁なんて粉々にしてしまうだろうな」
「……また随分と激しい相手だな。」
本当にそんな相手が好きなのか?と思いながらヴォックスの顔を見つめると、少しだけ細められた目から感情が溢れすぎていて、耐えきれずに視線をずらした。
心配なんていらないお世話だったな。
ふふ、と笑みが溢れて、またグラスを煽る。
「お前なら大丈夫だ。ディナーで一緒に酒でも飲んで、良ければお前の作った手料理を食わせて、『君が欲しいんだ』と腰でも抱いて囁けばいい。得意分野だろう?」
口付けたグラスの縁を指でなぞりながらファルガーは続けた。
「正直、お前に落ちないやつなんて居ないだろう。それが男だろうが女だろうがお得意の声と口説き文句でなんとでもなるさ。」
「本当にそう思うか?」
「当たり前だ、……ただ1人を愛したいと思えることは本当に素晴らしいことだ。例え種族が違っても、お前と生きる時間が違ってもな。」
"人間"を愛するということの難しさも、種族の違いによる苦難も、誰より知っているヴォックスに、そう思える相手ができたことがファルガーは素直にうれしかったのだ。
「まぁ、なんだ、冗談抜きにして、他人である俺でもそれはとても嬉しいことだと感じる。」
「本当に、心の底からな。」
「でも、たまには俺と一緒に酒も飲んでくれ。単純に寂しくなるからな。兄弟?」
ひひ、とファルガーはいたずらっぽい笑みをヴォックスに向ける。
ファルガーがまたグラスを傾けようとしたのを、人間離れした雪のように白くて骨ばった手が止めた。
そのままグラスを取り上げて、コースターの上に置く。
それを目で追いかけているといつの間にか反対側のヴォックスの腕がファルガーの細腰を抱いてゆるく引き寄せた。
「ファルガー、お前が欲しいよ」
「へ、」
突然の自身の名前と、先程自分が適当に放ったはずの口説き文句が低く、ビロウドのような魅力的な声に乗せられて耳に入り込んでくる。
身体の奥まで撫でられているようなその感覚に肌が粟立つ。
「ディナーは用意できなくて悪かったな。だが、お前が好きなんだ、今まで1人にここまで傾倒したことは無い。」
「おい、ヴォクシー、ちょっと待て、酔いすぎだ。水をもらおう。」
「そら見ろ、酔ってるんだってはぐらかす。」
「……あ、」
ぱちぱちぱち、と先程のパズルのピースが嵌っていく音。
グレーアイ、壁を壊すほどの剛腕、料理をしない……と当てはまっていくそれをかぶりをふって、バラバラに崩した。
戸惑っているファルガーをよそに、ヴォックスはなおも顔を近づけて囁く。
「ここまで自分のそばにいて欲しいと思ったことはない。ここまで独占したいと思ったのも初めてだ、」
「……はは、ははは!誰と見間違ってるんだ?お前の前にいるのはカラクリが付いたサイボーグだぞ、」
「ほら、笑い飛ばすじゃないか、」
むぐ、とその薄い唇を引き締めてファルガーは押し黙る。先程ぐちゃぐちゃにしたはずのパズルのピースがまた合わさっていく。
むず痒さと、自分を見つめる愛しさを溶かしたような目についぞ耐えきれなくなって、何度も口を開きかけては引き結ぶのを繰り返した。
もう何も出来なくなったのか、それとも考えるのを諦めたのか、
最終的にはそっぽを向いて、頬杖をつきながら
「……この悪食が。」
と真っ赤な顔で悪態をつくものだから、それが愛しくてたまらなくて。
ヴォックスがそっとその血色の良い耳に息を吹きかけてやった。
「うぉっ!?ば、っかじゃないのか!」
「はは、色気もへったくれもない声だな。で?お前の言う通りにしたが落ちたのか?」
「知るか!!」
「……まぁ、ここまで来たら逃がすつもりは無い、」
「覚悟しておけよ?」
きゅう、と細くなった瞳孔に射抜かたファルガーが何も出来ずにいると、カウンターに明らかに多すぎる紙幣が置かれて、後ろ手にひらひらと手を振って店を出ていってしまった。
やられた、なんだ、なんだよそれ。
「あーーー……クソが。」
正直、お前に落ちないやつなんて居ないだろう。それが男だろうが女だろうがお得意の声と口説き文句でなんとでもなるさ。
先程言った自分の言葉を心底恨めしく思う。くそ、
火照った顔を冷やすように置かれたグラスをぺたり、と頬に押し当てる。
ああ、酔いのせいだ。何もかも。
「すまない、水をもらえるか、氷を目一杯入れたやつ。」
かしこまりました。という声が聞こえると共にファルガーはカウンターに突っ伏した。
せめてこの顔から熱が引くまで。
なぁ、次はどんな顔してあんたに会えばいいんだ!?