『初めまして』「丹恒」
はあ、と熱い吐息を耳元に吹き付けながら、彼が俺の名を呼ぶ。
普段はゆったりと低く落ち着きのある声が、何時もより艶を含んでいる気がする。それを聞くと、ゾゾゾと背筋に怖気が走ると同時に、下腹部の奥深くに埋め込まれたそれがぐずぐずと熱を持ち始めたのを感じた。
ぎしり、と体重を乗せた寝具が軋む音を立てた。大人2人が寝ても十分に耐えられると宿の女将がにこやかに説明してくれたが、心なしかコイツはもう無理だと悲鳴を上げている気がする。
いや、無理だと思っているのはこの俺だ。
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羅浮の一件から幾ばくかの時が経過した。その間、俺達はナナシビトとして様々な星を巡り、様々な経験をした。
そんな時だ。
そこは亡き『繁殖のタイズルス』を祭る、迫害されし生命が潜む地だった。『不朽の龍』を感じ取ったそれは星神の血を求めているのか、俺に異常な執着を見せた。持明族は繁殖など行えないというのに、種を繁栄させるためにそれは俺の体に“種子”を植え付けた。
完全に不覚だった。
気付いた時には既に遅く、体奥深くに巣食ったそれは俺に言い様のない熱情を灯し続けた。
未知の存在であるそれに対処する術はなく、同族であり医学に精通した白露へ助力を乞うため再び羅浮に赴く事となった。
結果として分かったことと言えば、俺の下腹部に刻まれた印の、更に奥深くに作られた種子は少しずつ宿主である俺の命を削っており、最後には俺の腹を食い破って新たな命が誕生すると言う事実だった。
診察結果を聞かされた時、三月はあの色彩豊かな瞳からボロボロと涙を溢れさせながらしゃくりあげるし、穹も震える手で俺の腕を握って放さなかった。あの時の皆の顔は誰も彼も正視できるものではなかったが、俺のためを思ってくれた事実は疲弊した心を僅かばかり癒してくれた。
「聞くのじゃ、皆のもの。蟲の寄生に対する解決方法は一つだけある。じゃが、それは患者のプライバシーを守るためにも丹恒だけに伝える。これに関しては主治医としての決定じゃ」
そう言うと白露は俺を別室に招いた。パクパクと数度言い淀んだ後にその小さな唇をギュッと噤むと、意を決したように俺を見つめながら話し始めた。
「丹恒、治す方法は一つあるのじゃ。けれどもその方法はお主の尊厳を深く傷付けるものかも知れぬ」
「構わない、言ってくれ」
「うむ。…うむ、治す方法は一つじゃ。丹力の強いものの精力を取り込み、存分に栄養を与える事じゃ。過剰なカロリーは蟲を自壊させる」
セイリョクヲトリコム?
聞きなれない言葉の羅列に、俺の思考は停止してしまった。それに止めを刺すように、白露は分かりやすい言葉で言い換えた。
「つまりは、生命力のある男児の精液をその胎に満たすという事じゃ」
荒唐無稽な話だが、真剣な瞳で俺を見つめる白露の言葉は真実味を帯びている。
男の身である俺が、同性の精液を受け入れる。
星海は広い、同性同士の婚姻も数多く見てきた。
この羅浮だって別に禁止している訳ではないため、街中でそういった組み合わせを目にする機会は少なくなかった。だがしかし、俺自身に起こることと思うと実感が湧かない。
「……すまない。何をどうすればいいのか実際の所、良く分からない」
「うむ、うむ、そうじゃろうな。特に我等は繁殖して子を成すという事は出来ない故」
「そもそも、生命力のある男児……そう簡単にいるだろうか。何か、そう言う専門的な施設はあるのか?」
見た目として俺よりも幼く、女性である彼女にこう言うこと相談をするのは憚られるが、俺自身そう言った性知識は浅く、他に相談できる相手もいないため主治医である白露に相談するしか他なかった。
「心配するでない!生命力の満ち満ちた男児、且つお主を誰より気にかけている相手なら一人知っておるぞ」
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「丹恒、大丈夫かい?」
軽く意識を飛ばしていた俺の頬を優しく撫でる男は、何時もの装具を脱ぎ捨てて白い襦袢を乱しながら俺の上に圧し掛かっていた。みちりと筋肉の詰まった肢体が、同じように襦袢だけになった俺の素足に絡みついてまるで肉の拘束の様だ。合わせ目から除く胸元や白い足が何だか倒錯的でくらくらする。
雲騎軍将軍景元。
前世の旧友であった彼が通された部屋の中で待っていた時には不覚にも失神しそうになった。
そんな動揺激しい俺に満面の笑顔を向けると、腰に力強く腕を回して有無を言わさずキングサイズの寝具の上に招き、息つく間もなく準備が整えられた。
「怖がることはないよ、丹恒。君が嫌がることは決してしない、約束しよう」
「け、いげん」
何処から出たんだ、と耳を塞ぎたくなる様な上擦った声が漏れる。
恥ずかしさや己に対する不快感で目の前にいる男と目を合わせられず、俺は強く目を瞑り俯いた。
「大丈夫だよ、丹恒」
景元はじくじくと熱を持った俺の耳介を指でなぞりつつ、そのまま頬に手を添えて掬うように持ち上げた。
ちゅ、と軽いリップ音を鳴らしながら額から頬、頬から鼻先、鼻先から唇に順に優しく接吻を落とされる。まるで我が子にするかのような触れ合いは、何時か俺の頭を撫でたヴェルトさんのそれと同じような優しさを含んでいて、自然と強張った体の力が抜けた。
「こう言う触れ合いは好きかい?」
俺の緊張が緩んだのを察した景元が、再び俺の頬に接吻を降らした。何だか先ほどより吸いつきが深くなった気がするが気のせいだろうか。
「好き、と言うか、ヴェルトさんを思い出した」
「……ん?」
思ったことを正直に告げると、それまで優しく触れていた景元がピタリ、と動きを止める。気のせいか頬に添えられていた指に力が入っている気がする。爪が食い込んで少し痛いのだが。
不審に思いそろりと瞼を開いて彼の顔を見ると、薄く笑顔を貼り付けたまま例え様のない表情をしていた。と言うより、眉間に深い皺が刻まれている。丹恒としての付き合いは浅いが、こんな表情をする彼は初めて見る。
「ヴェルトさんに、前に撫でられた時の様なむずがゆさを感じた。あの人と同じ様に貴方も俺に優しくしてくれるから」
何か彼の不況を買っただろうか。何も分からないが、『龍』の本能がこのままでは危ないと危険信号を発している気がする。生存本能か、何時もは回らない口がスラスラと言葉を発する。
「誰かとこういう風に唇を触れ合わせたことは?」
「?いや、ない。こんな事するのは景元が初めてだ。あ、いや、事実を言うと穹に人工呼吸を施そうとしたことはあったが結局はする必要もなく行わなかった」
「人工呼吸……ふふ」
俺の返答は何か違ったのだろうか。
景元は呆れたような安心したような、困ったような言い表しようのない笑みを浮かべた。それと同時に室内を満たしていた圧迫感がふっと消えて呼吸がしやすくなった。
「いや、うん。大丈夫だよ、君がそう言う人だというのは良く良く分かってるつもりさ」
「すまない、俺は何か失言しただろうか。……何故笑う、将軍」
「いいや、何でもないよ。君をそんな鈍くしたのは私の罪でもあるんだ」
再びチュッチュッと軽い接吻を繰り返した後、ふに、と景元の親指が俺の下唇の感触を確かめるように割り開く。そのまま擦るように頬の内側から舌までを辿り感触を確かめるように撫でられた。
溢れる唾液が彼の指を濡らし、俺の顎を汚していく。
決して心地よい筈はないのに、白露に言わせると生命力の強い男児である景元の味を舌の上で感じ、下腹部が再びずくずくと熱を持った。
「んっ♡っ、うっ、っ♡」
何もしていないというのに、駆け巡る甘い疼きに震える体は制御が効かない。助けを求める様に彼の腰へ脚を絡めてしまうが、自分が何をやっているのか俺自身上手く認識できなかっていた。
「ああ、可愛いね。これからの時間の方が長い、少しずつ君の初めてを私にくれればいいさ」
俺の初めてとは何だろうか。
良く分からないが、艶やかに笑う彼を崩したくなくて、でも何と言って良いか分からず俺は無言を貫いた。
この胎に満ち満ちるほど精を与えられ、種子はなくなったというのにその後もずくずくと疼きが止まらず、景元の元に通うようになるのはまた別の話だ。