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    みゃこおじ

    もえないゴミ箱

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    みゃこおじ

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    【ココイヌ】亡霊の協奏曲

     その後ろ姿は彼の人と瓜二つだった。無造作に伸ばされた天然の金糸は、手入れなど一切していないだろうに艶がある上質な天鵞絨のようで、太陽に照らされてキラキラと輝き、所謂天使の輪っかもちょこんと乗っかっている。生来の癖っ毛で、カツンカツンと軽快にハイヒールの靴音を鳴らす度、あちらこちらに跳ね上がった毛先がふわふわと風がおもむくままに彷徨う綿毛のように視線を誘った。
     チラと振り返って視線を向ける乾からワザと視線をそらしつつ、九井はかかってきた電話にイラつきながらも、極力大人の対応を心がけていた。今日は休日で学校もなく、およそ1年ぶりに娑婆に出てきた乾を伴って渋谷と原宿近辺をブラブラしつつ、乾の当面の衣服や生活用品などを見繕っていた。
     少年院でのお勤めを終えた乾を迎えにいったのは九井だった。恐らく、本来ならば両親と感動の再会を果たす場面であろうが、乾の両親はグレてしまった息子のことを自分たちの子供とは考えていないらしい。入所している間も、面会には一度もこなかったと乾自身からきいている。
     家が火事で全焼し、娘は後に死亡。息子はその後すぐに不良連中とつるんだ挙げ句の果ての少年院送り。恐らく、エリート志向の強い九井の両親だったら発狂して憤死していたに違いない。乾のことを心配している友達を演じて何回か乾の母親と接触したことがあったが、一くんはもううちの子とかかわらない方がいいわよ、あなたの経歴に傷がつくものと疲れ果てた顔をしてそう告げられた。
     一応、乾は一度自宅に帰ったらしいのだが、それ以降ほとんど家に帰ってもいないし、学校にも行っていない。少ない荷物を乾の思い出の場所に持ち込んで、1日の大半を廃墟で過ごしていた。その廃墟は、元々、乾が黒龍という暴走族集団にはいるきっかけとなった場所だ。かつて、真一郎くんという乾の恩人のような男がバイク屋を営んでいた場所で、火事をきっかけに塞ぎ込みがちになった乾の避難所となっていた。
     その真一郎くんも、乾が少年院に入所してからすぐくらいの頃、中学生の強盗に襲われて殺されてしまった。乾を誑かした男が死んでどれだけせいせいしたかは絶対に口にできない。真一郎くんが死んだことを乾は信じなかったが、荒れ果てたバイク屋の姿を見て漸く信じる気になったようだ。
     真一郎くんの話を聞く度に虫唾が走る思いだったが、拠り所の無い乾の唯一の「持ち物」を奪い去るのはとても気が引けた。乾が入所している間、九井はそのバイク屋が人手に渡らないように裏から手を回していた。もうすでに、様々な業種・業界の人間との太いパイプを繋いでいた九井には造作もなかった。それもこれも、乾を守ると誓ったための献身だ。
     普通に考えれば、家主がいなくなった土地や建物はすぐに整備され、ビルやマンションを建てたり改装するのが常識だろう。土地の持ち主だって大きな負債を抱えたまま放置して、損失を出し続けるなんてバカなことはしない。しかし、乾はそんな難しいことは考えなくてもいい。ここをオレたちのアジトにしようと告げたときの乾の花が綻ぶような、彼女そっくりの笑顔を見れたという事実に九井は生かされている。
     火事が起こらなければ、彼女が死ななければ、九井も乾もどこにでもいる普通の中学生でいられたはずだ。そして、九井が休日に伴っていたのは彼女だったかもしれないし、彼女の手を恥じらいながら握って、彼女の赴くままに隣を歩いていたかもしれない。
     九井も頻繁に面会に足を運んだわけではなかったが、久しぶりに顔を合わせた乾は年相応の成長期を迎えて、少しずつ大人の階段を登っていた。小柄だった背は伸びて九井をいつの間にか追い越したし、変声期を迎えて声も少し低くなり、骨格も男のそれらしくガッチリとし始めてきた。
     しかし、後ろ姿は未だにそっくりだった。後ろ手に両手を握り、九井の様子を窺うように振り返る仕草は、記憶の中の彼女の仕草と合致した。一くん、と呼ばれた気がして九井は思わず足を止め、人ごみをゆっくりと歩いていく乾の背中を凝視する。電話の相手に相槌を打たなくなったのを不審がられ、聞いてるのかという高圧的な声に、申し訳ありませんと腹立たしさを抑えて丁重に詫び、検討するのでお時間をくださいと告げて電話を切った。
     雑踏の中にいても、当たり前だが乾は目立つ。顔の左半分を火傷の痕が覆っていても、端正な顔立ちはそれ以上に人目を引く。眠たそうな大きな青い目、すっきりと通った鼻梁。成長期を迎え、今まで持っていた服が何ひとつとして入らなくなってしまったので、父親のものを勝手に拝借してきたといって、ペイズリー柄の黒のワイシャツとジーンズを元来の美貌で着こなしている。足元は女性ものの真っ赤なハイヒールだったが、お洒落な若者が集う渋谷近辺では周囲に溶け込む始末だ。
     チラチラとすれ違う女性たちが乾に視線を向けている。かっこいいね、とヒソヒソと小声で興奮しながら去っていく彼女たちは、乾が暴走族の特攻隊長で、つい先日、少年院から出てきたことを知らない。その事実を知ったら、尻尾を巻いて逃げ出すだろうに。
     一定の距離をあけて遠ざかっていく背中は、記憶の中の面影と重ならなくなっていることは九井もわかっていた。頭の中では乾と彼女は全く別の人物だということは理解しているが、気持ちが追いつかない。子供の頃は彼女とそっくりだった面影がチラついて、九井を深淵へと引き摺り込もうとする。
     彼女を、そして乾を、守らなければならない。それは九井の贖罪であり、使命だった。ふらふらと風に飛ばされる風船のように掴みどころのないその背中は、二重三重の残像が重なっている。あの背中は、どちらのものだろう。自分は、一体誰を見つめているのだろう。
    「ココ、電話終わった?」
     九井の様子を窺っていた乾がくるりと振り向いて、太陽の光で透き通った金糸が優雅な軌跡を描く。まだ聞き慣れないテノールにハッと意識を呼び戻され、九井はああと頷きながら乾の横に並んだ。
    「イヌピー、気になった店あった?」
    「うーん、特に」
    「じゃあ、オレも服みたいからオレの行きつけの店にいくか。ああ、でも、その前に腹減ったからなんか食おうぜ。なんか食いたいもんある?」
     うーんと顎に手を添えながら考えこむ素振りを見せる乾の仕草に、不覚にも心臓がドクンと跳ね上がる。彼女も、何か考えこむこときは顎に手を当てて、視線を上の方に向けていた。
     彼女はあれがいい、これがいいと自分の意見をはっきり言って九井にどう思うか尋ねるタイプなのだが、目の前の男は喧嘩と黒龍のこと以外にあまり興味がなく、これといって自分の意思はない。案の定、ココに任せると微笑んで九井は肩をすくめるしかなかった。
    「じゃあ、ジャンキーなもの食いてぇからハンバーガーな。この間、クライアントからいい店教えてもらったんだ」
    「え、ココ、ジャンクフードなんて食べんの?」
    「はぁ…? 何いってんだよ、オレだって学校帰りにマックとかモスとか寄るわ。学食だけじゃ集会までに腹減るし」
    「ふふ、そっか。オレもまともな飯食うの久しぶりだし、ココが食わせてくれるもんいつも美味いから楽しみ」
     ありがとうな、ココとはにかんだ乾の笑顔に釘付けになる。柔らかく下げられた目じり、嬉しいときにきゅっとすぼむ唇。頬はほんのりと上気していて、くらくらと目眩を起こしそうだ。
     乾は、彼女じゃない。彼女と同じ血を引いているが全くの別人だ。乾には九井が乾自身に彼女の面影を重ねていることを知られているし、乾もまた、九井に助けられたことを悔やんでいることを九井は知っている。感情のか細い糸が絡み、ほどけなくなってしまっていて、振り返ることも、前に進むことも憚られる。
    「イヌピー、オレさ…」
     慣れ親しんだあだ名で呼ぶと乾は首を傾げて何? と九井の顔を覗き込む。10cm程高い場所にある宝石のような深みのある輝きを放つ双眸に見つめられ、九井はぐっと言葉を飲み込んだ。
    「いや、やっぱなんでもねぇ」
    「? そう」
     喉まで出かかった欲望をどうにか噛み殺し、九井はこっちだと人ごみをかき分けて件の店に足を向けた。カツン、カツンと軽快なヒールの音が雑音の中で際立って聞こえるような気がする。
     何もかもが夢幻で、自分の気持ちに素直になれたらどれだけ楽だろう。乾青宗は乾赤音とは違う。淡い特別な感情も、色鮮やかなまま刻み込まれた記憶も、心の奥底に鍵をかけて、みなかったふりをした。
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