目隠しの恋「ていうかジェイド。小エビちゃん女の子だったんだねぇ」
廊下の向こうからやってきたフロイドが、出会い頭にそう言ってきた。
脈略なく突然そんなことを言い放ったので、少し早いが食堂へ向かっていたジェイドはきょとんと首をかしげてしまった。
オンナノコ?
しかしフロイドはそんな片割れを気にするようでもなくお腹が空いたと嘆くと、その大きな身体を預けてくる。
ずしりと重いフロイドを支えながらも揺らぐことのない姿勢のまま、今しがた言われたことを反芻して「なるほど」と呟いた。
大して驚かなかったのは、なんとなくそんな気がしていたからで。
特に明言されたわけではないし直接触れたこともないが、あの身体の細さやつるりとした喉元、骨盤の位置を考えればそうだろうとは思う。
しかし彼──彼女?の友人たちが他の生徒と接するときと同じように近い距離ではしゃいでいるのも知っていたので、もしかしたら魔法でどうにかしてるのかと思っていた。
まぁ、それが身を守るには一番正しい。
狼の中にか弱い子羊がいると分かれば、無理を強いる輩もでてくるだろう。
同じように女性のような生徒は何人もいる。
だからこそ今まで無事だったのだろう。
木の葉を隠すなら森の中。
あの学園長がそこまで考えていたとは思えないけれど、意図せず怪我の功名だったらしい。
「なるほど?え、なに、ジェイド知らなかったの?」
顔のすぐ横でマジ?と聞かれてはいと答える。するとフロイドが訝しげにこちらを見つつ身体を離した。
「…オレ、ジェイドと小エビちゃんはそういう仲だと思ってた」
「え?」
「だって一緒にいること多くね?」
「そうでしょうか?」
「小エビちゃんと廊下で会うと必ず立ち止まって話するし、山に行ったら絶対お土産もってくじゃん。こないだは図書室が閉館するまで一緒にいたみたいだし、食堂でもよく隣に座ってっし。一昨日の飛行術の時は小エビちゃんとペア組んでた」
「…よく見てますね、フロイド」
「ジェイドたちが勝手に視界に入ってくんの」
呆れたように溜め息を吐かれても、正直困る。
お土産、とは仰々しいがただ単に厨房にも卸せないハネモノだ。捨てるのは忍びないと話したら是非横流ししてくださいと言われただけだ。
廊下で話をするのはそのキノコの感想や料理方法を聞いている。
図書室が閉館するまでいたのは、たまたま居合わせた彼女が面白そうな本を勧めてきたのでそれを読んでいた。対価として勉強を教えたりもしたが毎回ではない。
キノコの話や本の話をするのに食堂で隣り合うこともあるが、お互い話が済めば同席している友人と話をしている。
飛行術の件は、完全に不本意だ。
魔法が使えず箒に乗れない彼女は、どちらかと言えば地面すれすれを浮くジェイドとペアを組むのが一番危険性がないと判断されているからだ。ちなみにアズールと合同の際はアズールとペアを組むのが多いと聞いている。
そんなわけで変に勘繰られるような仲ではない。
他の後輩より話をする機会も多いが、それだけだ。
しかしフロイドはまだ疑っているのか渋い顔をしている。
困りましたねと苦く笑えば、
「わりと他の奴らもそんな感じだと思ってるかんね」
「え、そうなんですか?」
流石にぎょっとしてしまった。
「うん。ジェイドの手付きだと思ってっから、最近小エビちゃんに絡む奴いないんだよ」
「え、手付き…?え?」
「まぁ今回小エビちゃんが女の子だって分かったけど、下手に手ぇだす奴はいないかもねぇ」
無理を強いる輩がいなかったのは、どうやらそういうことらしい。
「というかフロイド。そもそもどうして監督生さんが女性だと?」
忘れかけていた疑問を口に出せば、めんどくせぇといいつつも答えてくれた。
「さっき一年のうちの寮生に聞いたんだけど。なんか錬金術の授業でさ、オレらも一年のときやったじゃん?嫉妬深い妖精の…忘れたけど。それのやつやってて、それで小エビちゃん呪われたんだって」
「呪い…?」
「そ。不幸体質だよねぇ」
「確か呪いは人それぞれでしたよね」
「うん。小エビちゃんはねぇ」
──周りの声が聞こえないんだって。
「耳が聞こえないわけじゃない」
半ば強引にフロイドに連れていかれた先は保健室だ。
到着したと同時にクルーウェルと監督生が出てきたところだった。彼らの後ろには監督生の友人たちがいる。
「監督生さん?」
クルーウェルの後ろについて出てきた監督生に声をかけるが、視線が彷徨っている。
耳が聞こえないわけではないのにおかしな反応をすると首をかしげていると、クルーウェルが身体ごと監督生を振り向き目線を合わせてジェイドを指差した。
「監督生さんは今、どういう状況ですか?」
重いだろうにグリムをぎゅうと抱えたまま、指を指されたジェイドをじっと見上げてくる。微妙に歪んだ唇は笑みを刻もうとしているのだろうけど、不安が滲み出ていてどこか痛々しい。
「どうもこうも。『こちら』の言ってることが分からないだけだ」
「分からない…?」
「ちなみに監督生の言ってることも分からない」
「監督生さん、ジェイドです。分かります?」
「………」
「監督生さん」
「……。──、──」
「うへぇ、なにその声」
隣で同じように監督生を覗き込んでいたフロイドが顔をしかめた。
「なんだこれ、声?音?いろんな音混ぜたみたい」
「たぶんだがこちらの声もこいつにはそう聞こえている」
「──、──」
「監督生がなにいってんのか全然わかんねぇ」
友人のエースが困り顔で肩を竦めて見せる。
「おかげで子分が雌だってバレちまったんだゾ」
はぁと大きく溜め息をついたグリムが監督生の腕からするりと身を踊らせた。
それでも監督生の足元に身を寄せ、ぎゅうとしがみつく。不安なのは監督生だけではないようだ。
「まぁ一年生が習うものだ、そんなに強い呪いじゃない。二、三日で解けるだろう」
「解毒剤とかないの?」
「あれは毒を中和するが、これはあくまで呪いだからな。俺が教室を離れた隙にはしゃぎすぎた駄犬には、それ相当の躾をしてやる」
教鞭をピシャリと打ち鳴らす音に一年生たちがひぇっと震え上がるのを横目に、ジェイドは再び監督生を覗き込む。しかし監督生はその視線に不安を覚えたのか、
「──」
何かを言いながら足元で静かに監督生を見上げ続けるグリムを抱えあげた。
「不安なのはわかるけどよ、あんまり強く締めたらさすがの俺様も苦しいんだゾ……」
「──」
とんとんとその背中を優しく叩くと、グリムのお腹を指差し、それから何かを食べるような仕草をしてみせた。
「これは…。『お腹空いたでしょう?お昼ごはん食べに行こうか?』ですかね」
「身振り手振りでなんとか分かる程度か」
「子分は?子分は腹減ってねぇのか?」
「『減ってる。だけど、オーダーどうしようかな』ですって」
「え、今のそういう意味?」
「だと思います。ほら、こう何かを発するジェスチャーをなさっていたでしょう?それから目線が上に行っていたので、食堂のメニュー表を見上げていたのかと。昼食の話題ですからね」
「──」
「そうですね。『今日のメニューは唐揚げのハニーマスタード和えなんだよなぁ』ですって。ふふふ、監督生さんのお好きなメニューですから」
「え…ジェイド先輩怖い…」
「すごい!さすがリーチ先輩!」
相反する言葉を全て称賛と受け取り微笑む。
「監督生さん」
ジェイドは魔法で紙を取り出すと、さらさらと何かを描いた。
大食堂だろうか。
受け取った監督生が首をかしげている。
「僕も、一緒に」
自分とグリム、それから監督生を指差し食堂の方へと向ける。
伝わったのだろう、監督生が大きく頷いた。
「あぁ、それと…」
そしてジェイドは小さく咳払いをすると、
「──さん」
ぽつり、と。
ジェイドの唇から音が落ちた。
監督生はハッとして顔を上げると、嬉しそうに彼の顔を見上げる。それから何度も何度も頷き、自分を指差す。
その際監督生は何かの言葉を発していたのだが、誰も聞き取れない。
「ジェイド・リーチ。それは?」
片眉をあげたクルーウェルの視線を受け、ジェイドが僅かに微笑みを返す。
「監督生さんの名前だそうです」
「名前?監督生のか?」
「はい」
「さっきの音とはちょっと違うね」
「習得するのに時間がかかりました」
「いつの間に…?」
「随分前に立ち話をしている時に教えていただきました。ですが」
「──!──!!」
「…申し訳ありません。僕にはこれしか分からない」
言葉の通り申し訳なさそうに肩を落としたジェイドに監督生は「とんでもない!」とでも言っているのだろうか、小さく頭を振っているがその表情は笑顔で。
「それが本当に名前なのかどうか俺には分からないが、そいつが反応したのは確かだ。お前は多忙だから出来る限りでいい、協力してやれ」
「かしこまりました」
「さて、グリムくん」
「なんだ?」
「僕が貴方たちの分も取って来ますので、席を取っておっていただいても?」
「俺様肉が食いたいんだゾ…」
「ふふ。かしこまりました。僕が不在の間、監督生さんのことよろしくお願いしますね」
「オウ!…って、お前に言われなくても子分は俺様が守るんだゾ!甘く見るな!」
「おや。これは失礼いたしました」
列に並んで注文を受け取る際に監督生たちに目をやれば、隣のテーブルに監督生の友人たちが集まっていた。
それを見て気付いたのだが、なにも自分とグリムと監督生の三人で来なくてもよかったのだ。あの場にはエースもデュースもいたのだから、一緒にいこうと誘えば良かったと今さら思う。
なんとなく人攫いみたいだったかと苦笑して、三人分のトレーを受け取る。
「持てるかい?」
「ええ。これくらいなら大丈夫です」
「気をつけてね」
シェフゴーストとそんな会話をして席に戻ると、一年生たちはそれぞれ手に紙を持っていた。
「何をなさってたんですか?」
「あ、ジェイドサン。監督生サンと絵で会話できないかなって」
「…なるほど」
「一応できるようだが、監督生の絵が微妙に下手くそでなかなか伝わんねぇ」
「おやおや。これは…あぁ、わかりました。オンボロ寮ですね?」
「分かるのか!?」
「ジェイド先輩ホントにパネェ」
「オンボロ寮なら、ゴーストを三人描けば…」
「──!」
「おぉ、正解だ!すごい!」
やんややんやと楽しげな雰囲気を見守りながら、監督生の肩をとんとんと指先で叩く。
「これ、お好きでしょう?」
「──!!」
「すげぇ喜んでるんだゾ…。お前子分の好み知りすぎじゃねぇのか?」
「僕なんてグリムくんに比べればまだまだです。この中で監督生さんの嫌いなものはありますか?」
「こいつはなんでも食べるから大丈夫なんだゾ」
「そうですか。でも一応紅しょうがは避けておきましょうか」
「お前…」
「ふふふ。さぁ、いただきましょう」
「この後の授業はどんな感じになるんですか?」
「授業にでても分かんないだろうけど、一人にする方が危ないから出席予定です。とりあえずエレメンタリースクールのプリントでもって、クルーウェル先生が言ってました」
「放課後は?」
「そこはさすがに…俺もデュースも、みんな部活なんスよねぇ」
「それなら、僕が監督生さんをお預かりしても?」
「え?」
「モストロ・ラウンジにご一緒します。あそこなら常に誰かしらの目がありますし、なんなら厨房でお手伝いしていただければと」
「それは…対価的な…」
「そう受け取っていただいても構いません。──さん」
「これがモストロ・ラウンジ。学校が終わったら、僕が迎えにいきます。一緒に行きましょう」
「──」
「大丈夫、野菜の皮剥きお願いします」
「──!」
野菜の絵と自分を交互に指差しながらどこか興奮した様子の監督生に、ジェイドはにこにこと頷いている。
「すげぇ、会話してる…?」
「筆談なの…かな?」
「子分が嬉しそうならなんでもいいんだゾ」
「ジェイド。監督生さんを連れてイグニハイドまで行ってください」
「イグニハイド?」
「はい。イグニハイド全面協力のもと、監督生さんの音声?を解読しようかと」
「なるほど、そうですか」
「二、三日で効果が切れるとはいえ不便も多いでしょうから」
「監督生さんは大事にされていますねぇ」
「すごいね、バグってるみたい」
「それに近くはありますね」
「監督生氏、りんご…これ、言って」
「──」
「もう一回」
「──」
「ん~…」
「どうオルト?」
「同じ言葉なのに、発音が全然違うよ。不規則すぎて共通点を見つけられない」
「でもジェイド氏は監督生の名前を言えてるんでしょ?今度はジェイド氏の方で音声拾う?」
「僕ですか?──さん」
呼ばれて振り向いた監督生に、ジェイドが笑う。
向けられたマイクを指差すと、なるほどといった様子で手を叩いていた。
「どう?オルト」
「ううーん。もう一回」
「──さん」
「ジェイド氏が呟く度監督生氏が見上げててウケる」
「兄さん!ジェイド・リーチさん、それって同じ言葉言ってる?」
「はい」
「うーん。一回目と二回目で波長が違う」
「えーなにそれ。聞いてると同じに聞こえるんだけど」
「僕も同じ音の出し方をしていますが」
「もう一回!」
「──さん」
「もう一声!」
「──」
「ちょっと監督生氏、嬉しいのは分かるけどにこにこしすぎじゃない?」
「ダメだぁ。兄さん、何回やっても波長が違って解析できないよ」
「そうですか…」
「あのね、これは憶測なんだけど。『言葉が通じていた時』に覚えたからかも。言葉が通じるってことは意思の疎通が出来てるってことでしょ?だから監督生氏と会話できた時に覚えたものは、二人の間の共通点って形で残ってるんじゃないかな」
「………」
ちらりと監督生を見下ろすと、不安げな顔でこちらを見ていた。
ジェイドはふ、と小さく笑って名前を呼ぶ。
「お腹空きました」
空腹のジェスチャーをすると安心したように頷いて同じ仕種をする。二人でお腹をさすりながら、ラウンジへ戻ろうと踵を返した。
必死に文字を覚えようとする監督生を見つめながら、
「…別にいいじゃないですか」
聞こえないのは分かっていても、こぼれてしまった。
(聞こえなくても、話せなくても)
近くに兄弟がいようが、堪らなかった。
「僕がいればいいじゃないですか」
拗ねたような苛立っているような珍しい声音のジェイドだったが、目線は隣の監督生の手元を見ている。
その表情を盗み見たフロイドは、居心地悪そうに彼らに背を向けた。
茶化してはいけない気がした。
狸寝入りはバレているだろうから、飲み込むために本当に寝てしまおう。
「…なんでもないですよ」
半分起きている鼓膜を揺さぶるジェイドの声。
きっと監督生が音に気付いて彼を見たのだろう。
チリリと鳴ったジェイドのピアスの音は、まるで小さな炎がたてる音のようだった。
運動場でフロイドと二人、みんなから離れた所にいた。
「ねぇ小エビちゃん」
「?」
「ジェイドのこと好き?」
「?」
「だからぁ」
適当な枝で地面に描いたエビの絵から、ジェイドの絵まで矢印をひいてハートを描く。
監督生は少し小首を傾げつつも自分も枝を探し、がりがりと線を引いていく。
「これ俺?」
「──、──、──」
「なにいってんのか全然わかんねぇ」
「──」
「これ俺?…アザラシちゃんと、あ、これカニちゃんでしょ?あはは、ベタ先輩似てねぇ」
たくさん描いた似顔絵らしきもの全てに矢印をひくと、丁寧にハートを描いていく。
「これじゃあ答えにならないでしょ」
結局。
監督生の似顔絵から四方に延びる矢印全てにハートがついている。
呆れて監督生を見るが、通じて嬉しいのかにこにことしていた。
もういいやとフロイドは息を吐くと、監督生の肩を軽く叩き、集合の合図をしているバルガスを指差した。
「呼んでるから行こっか」
大きなあくびをしながら歩き出したフロイドに遅れて、監督生も立ち上がる。
けれどそのまま足を踏み出さずに、腰を曲げて地面に手を伸ばした。
指先でなぞったハートは、フロイドの描いた歪なハート。
たったひとつしかないそれをなぞった監督生の表情を知るものはいない。