願い「この子を、預かってほしいと」
「ああ、きっと役に立つじゃろう。何せ頭だけは良いからな」
古の隠れ里に住む女性は、ギンナンにそう言って笑った。彼女に商品を手渡しながら、ギンナンは女性の足元から不審そうに自分を眺めている金髪の少年に目を向けた。
年の頃は十歳くらいだろうか。利発そうな銀灰色の目をした、金髪の少年だった。手には本を持っている。それは、ギンナンにも見覚えがあった。この女性、コギトに数か月前売ったものだ。ギンナンには内容が何一つわからなかったものを、その少年は大切そうに持っていた。
「……君はその本の内容が分かるのか」
少年に尋ねると、当たり前だ、というように彼は頷いた。どうやら、コギトのいうことには間違いないらしい。
「学校に行かせてやることはできませんよ」
「構わぬ。もう基本的な読み書きは教えてあるし、何より、こやつには人と共に生きる道を歩んでほしいと思う」
人里離れた場所で隠れるように暮らす彼女の一番の願いがそれであることは、ギンナンにもよくわかった。どうにかして、その願いを叶えたいと思った。
「分かりました。彼を連れていきます。頭もよさそうですし、良い商人になるでしょう」
コギトはそれを聞いて微笑んだ。
「感謝するぞ。荷物の準備をさせる」
そういって彼女は振り返ろうとして、ふと何か思いついたように言った。
「おっと、忘れておった。この子の名前じゃが、ウォロと言う」
「良い名前ですね」
「ありがとう。私が名付けたわけではないがな」
しばらく雑談をしていると、少年が鞄を持って出てきた。ギンナンは少年に話しかけた。
「じゃあ行こうか。………これからよろしく」
庵を出て、町の方角へ向かう。曲がり角を曲がる直前に、ギンナンはもう一度振り返った。コギトはまだ、二人を見送るように外を見ていた。
コギトのもとに彼が戻ってきたのは、五年ほどたった後だった。幼くして商会に預けたことを恨んでいるのかと身構えたが、そうではないらしい。随分と背が伸びた少年は、商人らしく商品を並べながら、ギンナンにこの土地を教えられたのだと楽しそうに述べた。
嬉しくなかったといえば嘘になる。幼いころ、大切に育てた子供が戻ってきたのだ。
「コギトさん、ジブンに神話の話を聞かせてください」
すっかり変わってしまった彼が、神話の話をせがむ。無下にすることなどできるわけがない。
彼は頻繁に通うようになった。そのたびに彼と言われるままに話をした。
彼の好奇心が無害なものではないことに気が付くまでにそう時間はかからなかった。気が付いたところで、なにができただろうか。コギトはその可能性を信じることをやめた。まだ心のどこかで、昔のような彼に戻ってくれないかと願っていたのかもしれない。
あの事件が起こり、彼が何をしようとしていたのかの話を聞いたときも、大した驚きはなかった。ただ、言葉を覚える前から一生懸命にページをめくっていた姿や、神話の話を聞いているときの、いつものようなわざとらしさのなかった笑顔を思い出した。