えがく 放牧場の柵にもたれかかるようにして眠っている小さなポケモンを、シマボシはじっと見ていた。
仕事帰りに宿舎へ赴く前に放牧場に寄り、ポケモンたちの様子を見ることにしたのだが、ふと放牧場の外にいる一匹のトゲピーが目に入った。テルが捕まえたポケモンなのか、とも思ったが、彼からはまだ、トゲピーを捕まえたという報告は受けていない。となると、野生のポケモンが村に入り込んだか、それとも誰かの連れたポケモンが主人とはぐれたのか。
オハギは既に帰宅してしまったようで、周りには誰もいなかった。シマボシは辺りを見回し、そっと地面にしゃがみ込んだ。その小さなポケモンを起こしてしまわないように、帳面の最後のページを一枚静かに破り取って鉛筆を手に取る。硬い本を机がわりに膝に置いた。
幸いにも月が出た晩だった。薄暗くはあるが、手元を見るのには困らない。眠りこけて時折り身じろいだりするポケモンを眺めながら、鉛筆でその大まかな輪郭を紙の上に描く。
調査のためのスケッチなどは特徴が分かれば良いものだと以前は思っていたシマボシだが、最近、ラベン博士にポケモンのスケッチを上手くする方法を教えてもらったばかりだった。ケーシィを日々描いては練習をしているうちに、絵を描く楽しみにも気がついた。今日のように、今まで描いたことのないポケモンを描くのは楽しかった。
すっかり集中してしまい、トゲピーの輪郭と影が完成してきた頃。どれほどの時間が経っていたのか分からないが、唐突に背後に気配を感じた。振り返るより先に、声をかけられる。
「お上手ですね」
突然人に話しかけられて驚いて指に力が入り、紙に鉛筆を押し付けてしまう。ぱきりと音を立てて芯が折れた。
「トゲピーを探していたのですが、まさかこんなところに居るとは」
「キミのポケモンだったのか。声をかけなくて申し訳ない」
そういえばこの男はトゲピーを連れていた、ということを思い出して謝る。
「いえ、気にしないでください。コトブキムラの中であれば迷子になっても比較的安心なので」
それにしても、と彼は言いながら、シマボシの手元を後ろから覗き込む。稚拙な絵をじっくりと見られ、少し気恥ずかしくなる。
「描いてくださったんですか」
「……眠っていて動かなかったから、つい」
「上手に描いていただけて彼女もきっと、喜んでいます」
ウォロはそう言って、すやすやと眠るトゲピーを愛おしげに見つめた。
「あ、よろしければ完成するまで見ていて良いですか? 椅子貸すので。しゃがみ込んだままだと疲れるでしょうし」
言うや否や彼はどこからか手早く折りたたみ椅子を取り出して広げ、シマボシの方に差し出した。同じものを隣に置いて、彼もそこに腰掛ける。
「か、感謝する」
呟いて、彼の差し出してくれた椅子に座る。見られながら描くのは、博士に教えてもらった時以来だった。その時は教えを受けていたから気にならなかったが、描くところをただ興味を持たれて見られるのは初めてだ。
小刀で折れてしまった鉛筆の先を手早く削り、トゲピーの仕上げにかかる。ウォロは邪魔をしないようにしているのか、何も話しかけては来なかった。ただトゲピーと、シマボシの手元の紙の上に現れていく彼の相棒を、交互に見つめていた。
「完成した」
「お疲れ様です。よろしければ近くで見せていただけませんか?」
シマボシは頷いて、彼に紙を手渡した。男は月の明かりの下で、興味深げにそれを眺める。
「こちらの絵は図鑑か何かに使うのですか?」
「ただ描いてみただけだ、使う予定はないな。このポケモンに関しては、まだ調査隊としての調査もあまり進んでいない」
「なるほど」
そんな事を喋りながらも、男は絵とトゲピーを交互に見るのを止めなかった。トゲピーは、シマボシという見知らぬ人間がそばにいても、ずっと眠り続けていた。野生ポケモンではないのは確かだが、それでも、人に慣れている。それは一番長い時を共に過ごす人間への信頼からきているのだろう。
「描いていて分かったんだが、この子はキミに大切にされているんだな」
シマボシがそう言うと、男の眉がぴくりと動いた。
「どうした?」
「いえ何も。……それより、アナタってポケモンに対して『この子』とか言うんですね。意外です」
指摘されて初めて、少し素が出てしまっていたことに気がついた。確かに赤子のような愛らしい雰囲気を持つポケモンではあるが、不快に思われただろうか。いや、それ以上に調査隊の隊長としてポケモンの恐ろしさを目の当たりにしている者が、そんな甘ったれた言い方をしたことに呆れられているのか。
「可愛いでしょう? ジブンの自慢の相棒ですから」
「……そうだな」
「ありがとうございます」
男がにこりと笑う。それと同時に、目の前のポケモンがもぞもぞと動く。
「起きたようだ」
トゲピーは周囲を見回して、ウォロの姿を認めるとその足元へ寝起きのおぼつかない足取りでよたよたと近づく。
ウォロは椅子から降りて跪くと、トゲピーの方へと持っていた紙をかざすように見せた。
「ちょき?」
「シマボシさんにアナタを描いてもらったんですよ」
彼女はウォロに見せられた紙をじっくりと眺め、唐突に短い腕を伸ばして彼の手からそれを引っ張り取ろうとした。
「駄目ですって! 破れちゃいますよ」
ウォロの抵抗も虚しくその手から紙を引き剥がすと、トゲピーはそれを地面に敷いて上から隅々までを興味深そうに覗き込んだ。
「すみません、せっかく描いていただいたのに、ぐちゃぐちゃに……」
「気にしないでくれ」
「この子、かなり気に入ったみたいです」
「よければ持っていくか?」
モデルである彼女に気に入られる絵を描けたことが、ただ嬉しかった。
「良いんですか?」
「もちろんキミが要らなければ私が預かるが……」
「そんなことありません! トゲピーも喜びますよ、ありがとうございます」
ウォロはトゲピーを絵ごと腕に抱え上げる。
「ほら、アナタもお礼を言いなさい」
幼子に言い聞かせるように彼がトゲピーに話しかけると、彼女はにこにこと笑いながら、シマボシの方を向いて腕を大きく振った。
「ちゅぎ!」
可愛らしいその様子に色々と取り繕うことも忘れて、シマボシも思わず小さく手を振り返す。
「気に入ってもらえたなら嬉しい」
「では、ジブンたちはこれで。また絵描いたら見せてくださいね、シマボシさん」
男は柔らかい笑みを見せて、機嫌の良いトゲピーを抱き上げたまま歩き去った。
仲睦まじい彼らの様子を眺めていると、ふとケーシィを可愛がりたい気分になってきた。早く部屋に戻って、彼をボールから出そう。シマボシは彼らに背を向け歩き始める。自然と、宿舎へ向かう足取りは軽くなった。