誰が駒鳥をXXしたか(06) ……以前から兆候はあったが、これで確信した。
「ケシー」
頭上で聞こえる音に負けぬよう、呼びかけた声に返事はない。が、目は口よりもなんとやら。見下ろす双眸は、なに? と言わんばかりの表情。
その間も音は止まらず、僅かに揺れる視界も変わらず。もはやこれは無意識の範疇なのかと疑うのも無理はない。
そう、前々からそんな予感はしていたのだ。ただ深く考えていなかっただけ。
それこそ、トパのついでだと思っていたのだが……出会うなり早々されては、気付かざるをえない。
わしわしと混ぜられる髪の毛。本人はただ撫でているだけだろうが、なんせこの手の大きさ。分厚い手のひらはすっぽりと頭を覆い、少しでも力加減を誤れば簡単に潰されてしまうだろう。
太い指は頭皮を掠め、くすぐったさより心地良さの方が勝る。
そう。ケシーは……この最近、よくエイトを撫でてくる。
仮眠のとき。食料を届けに来たとき。そして今も。出会うごとに、ケシーはエイトを撫でてくる。
いつからかは覚えていないし、思い出す気もない。動く度にチリチリと聞こえるのは、宝石同士を繋ぐ細い鎖から。
伝わってくる魔力は、やはり落ち着くものだ。下手をすれば微睡みそうになる意識。だが、戸惑いが勝るエイトの元に睡魔は寄りつかない。
近くで聞こえる鳥の囀りは、そんなエイトたちを噂しているのか。そういえばいつぞや保護したという小鳥はいつ元気になったのだろう。
考えている間も指は止まらず、温もりは与えられたまま。
「……ケシー」
もう一度、名前を呼んでも変わらない。声もかけられないし、手も止まらない。
だからなに、と。一つ瞬かれてもエイトはトパではないのだから、それ以上の意図は伝わらないし伝えられない。
頭から頬に。じわりと広がる温度に息をこぼして、それから笑って手を添える。
「なんだよ、そんなに俺に会いたかった?」
頬を擦り付け、唇を寄せる。触れるだけの口付けの後、僅かに眉が寄るのを見る。
怒ったのだろうか。いや、でも今は眠そうには見えないし、なんならエイトもケシーも立ったままで、なにかを邪魔したわけでもない。
不快、というより刺激に対するそれだろう。単に撫でていると言外で伝えたかっただけだが、本当に無意識の行動だった可能性も出てきた。
自覚し、エイトに知られぬよう動揺しているのか。それとも、まだ考えているのか。
どちらにせよそろそろ終わり、と。軽く手の甲を叩いて合図を送っても温度は離れず。されど、止まることもなく。
「…………うん」
するり。伸びた親指は右から左へ。両唇を縫うようにして、かさついた感触が通り過ぎる。
小指が耳のそばをくすぐったのは偶然か、わざとか。それこそ、理解するよりも先に離れる温度に答えはわからぬまま。
「それでいいよ」
頬から、頭に。戻っていった手のひらが、最後にくしゃりと髪を撫でる。ようやく解放されても混ぜられた頭は戻らず、その中だって乱されたまま。
それでいい。……いや、なにが?
面倒だから。違うけど。概ね合っているから。ニュアンスはどれとも取れる。
だが、明確な否定はない。違うとも、そうじゃないとも言っていない。
言葉こそ少ないが、主張はする男だ。こんな曖昧に濁すことはない。……ない、はずだったの、だが。
「今日はどうしたの」
「あ……あぁ、前に言ってたやつ、持ってきたんだけど」
ほら、と差しだした袋の中には、罠を作るのに必要な材料がいくつか。それと、頼まれていないが食料も少し。
中身を改めることなく、受け取った男がありがとうと呟き、そのまま頭頂部に唇を落とされて声をあげなかった自分自身を褒めたい。
……こんなにも、この男はスキンシップが激しかっただろうか?
前に会ってから対して日は経過しておらず、特に変わった様子もないが、森にはエイトの知らない脅威ばかり。
普段から気を付けている彼だって失敗はある。うっかり、そういう花粉を吸い込んだり、変ななにかに巻き込まれたりもするだろう。
この最近の触れ合いは全てそういう……ものなら……簡単な話だったのだが……。
「なぁ、なんか変な物でも食ったか?」
「……君じゃあるまいし」
念のため聞けば、案の定返ってきたのはそんな呆れた声。
いくらエイトでも、確かめる前に食べたりはしない……と言いたいが、言い返せるほどの余裕もなく。
袋を見たがるトパを手で制するケシーは、そこだけ見れば普段通りだ。そう、なにも変わらない。変わったようには、やはり見えない。
……でも、きっとそうなのだと、エイトは確信している。
そわり、騒ぐ心臓が反射的に血液を送る。指先が冷え、足に熱が籠もるのは逃走本能からだ。
根っこが足になった木もなければ、熊が出てきたのでもない。いるのは穏やかな男だ。彼はなにもしない。エイトが恐れることは、なにも。
予感ではない。それは、前からの確信だ。ケシーは言わない。言うことはないだろう。
同じ目、その瞳に宿る熱は、元の世界でも何度か目にしてきたものだ。実際に言葉として伝えられたこともある。
その度にどう返していただろう。笑い感謝を述べたこともあれば、そうなのかと頷くだけで終わったときも。
いくつか思い浮かぶが、否定だけはしなかった。
盛り上がって思ってもいないことを口にするのはよくあること。
酒の席ならぬ、ベッドの上。熱に浮かされての譫言を全て信じてしまうほどエイトも馬鹿ではない。
とはいえ、寄せられた感情が全てそうでもないとは分かっている。中には本気でそう思ってくれた人もいるだろう。
……だが、それはエイトの望んだものではないのだ。
変わらないものはないし、変えられないものもない。
そして、人は得よりも失うことを恐れる生き物だ。
たとえそれに百の利益があっても、一の損失があるだけで踏み止まる。そもそも、エイトが恐れているものは損得で計れるものではない。
期待し、傷つけられ、やり直し。なにかを得ようとするなら多少なりともリスクは必要。
でも、それが何回、何十回と繰り返されれば傷も深まるし、間隔も麻痺していく。
次こそは、と期待し己を鼓舞したのもいつが最後か。
いつから喜びよりも恐れが勝つようになったのか。それを誤魔化すように、なってしまったのか。
……それこそ、思い出すことではない。
「来る?」
見上げた先、琥珀の光は眩しく。思わず、少し目を細める。今その奥に熱は見えず、されど消えた訳ではない。
この男もそうだ。エイトが恐れている感情を、その奥底に持っている。態度で、声で、伝えてくる全てがエイトを追い詰めようとしている。
それでも逃げないのは。いや、逃げようとすら思わないのは……彼が、それをエイトに伝えないという確信があるから。
ケシーは言わない。それを、言葉にすることはない。
いつものように、あの気怠げな声で面倒だと呟く姿が重なる。そう、これこそまさに面倒くさいことだ。
関係を明確にして、意味を持たせて。なのに目に見えず、気付いたらすり減っているそれを気にするなんて。
自分が相手にするなら、不誠実だとなじられるだろう。
だが、自分が向けられる分ならそれでいい。否、それがいい。
その方が楽と諦めてしまうほどには……エイトの傷は多く、深く。
だから、その感情を抱かれていると知っていても、伝えないと分かっている彼の傍は――やはり、安心できるのだ。
「……ん、行く」
言葉は簡潔に。隣に並び答えを示せば、見下ろす琥珀が柔らかく笑むのを見てしまう。見つめてしまう。
そわり、そわり。……ざわり。
ざわめき、波立ち。大丈夫だと言い聞かせて落ち着くはずだった鼓動は、再び頭を撫でられただけで簡単に乱されてしまった。