君のもの 抜けるような青空の下に広がっていたのは、夏の太陽に似た黄色い花が一面に広がる――ひまわり畑だった。
「ワオ、凄くきれいな景色だね、ユウリ!」
「でしょ? 子どもの頃から、僕と優ちゃんたちの秘密の場所だったんだよ」
地元の人もあんまり知らないんだ、と得意げに笑うユウリに、目を細めながらおれは少しだけ意地悪く聞いた。
「……そんな秘密の場所、おれに教えちゃってもいいの?」
「いいんだよ! ヴィクトルは僕の……こ、『恋人』なんだから!」
投げやりのように言って、ひまわり畑に囲まれた小道を一人でずんずん進んで行ってしまう年下の恋人。にやけた顔を隠しきれずに、おれはユウリの後ろに続いた。
「ユウリから『恋人』なんて言ってもらえる日がくるなんて、嬉しいなあ」
「……からかわないでよ、言ってて恥ずかしかったんだから」
「本心だよ。からかってないのになあ」
真っ赤になったユウリの耳元を見つめながら、おれは小さく笑った。
師弟の関係を越えて、おれとユウリが恋人同士となったのはつい先日のこと――だから、練習の合間にやってきたこの美しい場所を探索することは、おれたちにとって初めてのデートみたいなものだ。弾む足取りで恋人に追いつこうとしたところ、なぜか突然、肩口から勢いよく振り返ったユウリと視線が絡む。
「……ヴィクトル。今から、隣歩くけど、いい?」
「……? いいよ」
妙に厳かな様子を少し疑問に思いながらも、おれは頷く。その宣言通り、歩くスピードを緩めたユウリがおれの隣に並んで歩いた。
「……もっと、近づいてもいいですか」
「いいよ」
「……今から、手を繋いでもいいですか」
「いいよ――っていうか、ユウリ!」
まるで滑走順一番手を引いてしまった時と同じくらい神妙な顔付きをしている恋人を見下ろしながら、おれはわざとおどけるように問いかけた。
「他人行儀だなあ。緊張してるの? なんで毎回、大丈夫かなんて聞くの?」
「それは……」
大きく揺れる瞳が、おれの顔をちらちらと見やる。そして気まずそうに目を伏せながら唇を尖らせると、呟くようにユウリは言った。
「だって――『恋人』になれたのだってまだ夢の中のことみたいで。僕が……僕なんかが、ヴィクトルに触っても大丈夫なのかなって、思っちゃって」
「……ゆうりぃ」
おれは苦笑いを浮かべながら、隣に立つユウリの手をそっと掴んだ。
強い日差しにわずかに汗ばんだ肌。生身の恋人がそこにいる。指先を絡ませて向き合う。その爪先にそっとキスをする。夏の生温い風が、二人で被った麦わら帽子を揺らして、耳元で乾いた音を立てた。
「許可なんて取らなくていいんだよ。おれとユウリは、もう恋人同士なんだから。これは現実だよ。ユウリはおれのものだし、おれは君の……君だけのものなんだから」
おれの言葉に、不安げだったアーモンド色の瞳がきらきらと明るく輝いた。
「……僕だけの…ヴィクトル、」
小さな声でそう呟いた桃色の唇が、ふわりと微笑んだ、その次の瞬間――おれの背中にすがるように腕を回したユウリは、ぎゅっと強く、おれを抱きしめてくれた。ひなたのような甘く優しい香り。肩口をわずかにくすぐる黒い猫っ毛。反射的に抱きしめ返した腕の中で、頬を染めた恋人が幸せそうに目を細めた。
「ヴィクトル、全部僕のものなんだ……うれしい」
「――ユウリ、」
ユウリ。おれだけのユウリ――おれの方が、たぶんずっと嬉しいし、もっともっと幸せだよ。唇を噛み締めて、言葉にならない。息を止める。抱きしめる腕に力を込める。過ぎる幸福に、こんな純粋な子が、おれの恋人で良いのだろうかという不安が一瞬頭をよぎるが、溢れ出した気持ちは、もう止めることが出来なかった。
「……ねえ、ユウリ。キスしていい?」
「……なんで聞くの?」
「……ユウリがおれの恋人だってことに納得してるのか、確かめたくて」
「なに、それ。ヴィクトルだけ、聞くのずるい」
「ずるくない。おれはいいの」
お互いなぜか驚いたように見つめ合って、二人とも真っ赤になっていたと思う。それから思わず笑い合って、ひまわり畑の影で沢山のキスをした。目を閉じれば思い出すのは、むせ返るような花の香りとユウリの熱――これは、出会ってから初めて二人きりで過ごした、長谷津の夏のことだった。