お騒がせ勇利くん チムピオーンのリンク、その建物内にあるミーティングルームでは、珍しく眉を吊り上げたヴィクトルと肩を落とした勇利が、テーブルを挟んで向かいあっていた。
「ユウリ、これ、ちゃんと反省してる?」
愛弟子に見えるよう、画面を上にしてスマホをテーブルの上に置くヴィクトル。そこに映し出されたのは、とある動画サイトに開設された「勝生勇利」の個人チャンネルである――真っ黒なサムネイルに『大切なお知らせ』という白文字がなんとも物々しい。
その新着動画が、今回『騒動』を引き起こした。「証拠」を突き付けられた青年は、深々とコーチに頭を下げる。
「……本当にお騒がせしました」
「この動画、実際どんな内容だったっけ?」
「……SNSアカウント開設のお知らせです」
「そうだよね。全然暗い内容じゃなかったよね?でもこんな意味深なサムネで予約投稿設定なんてしたから『勝生勇利、引退か?!』ってニュースが流れたし、おれの方に取材も来たんだよ」
青年の「聴取」を終えたヴィクトルは、困ったように深いため息を吐いた。
「まあ、確かにおれも『いつも代わり映えしないから、たまには別の内容を』って言ったけどね」
つい一ヶ月ほど前――コーチの勧めによって、勇利は動画サイトに個人チャンネルを開設することになった。『セルフプロデュースの一環だよ』と鼓舞された青年は、編集こそ外注しつつも週一程のペースで動画を上げ続けた。
しかし、その中身に問題があった。
『スケーター・朝のルーティン』と名づけられた投稿動画の全てが、ジャージ姿の勇利が一人で筋トレやジョギングをする光景がひたすらに続くという、あまりにストイックすぎる内容だったのだ。早朝の為か周囲に人影もなく、黙々とトレーニングをする勇利のコンテンツは「地球人最後のVlog」「勇利くんのスパルタダイエット講座」とも呼ばれ、多少の困惑とともにファンの間で見守られているらしい。
「まさか、視聴者の不安を煽るような、再生数稼ぎの常套手段を使ってくるなんてね。本当にユウリはおれを驚かせる天才なんだから」
青年は落ち込んだ様子でぽつりと呟いた。
「他のチャンネルで再生数が多いもの参考にしたら、あんな感じの動画が多かったから……つい……迷惑かけて、ごめんなさい」
「……研究熱心なのはユウリの良いとこだけどね」
トラブルとなったことを叱ろうと思ったヴィクトルだったが、勇利らしい不器用な懸命さに毒気を抜かれてしまう。「恋人」に対して自分も甘すぎるなと内心苦笑いをしながら、この件への追求はもう終わらせることにした。
「それより、ユウリ。今日出す動画は、大丈夫だよね?」
「勿論……! ヴィクトルが撮ってくれたやつだから絶対、大丈夫だよ!」
今までの暗い表情が一転、青年の瞳がキラキラと輝く。しかし、ヴィクトルは少しだけ困惑した様子を見せた。
「え? あれ今日出すの?」
「駄目だった……?」
「……いや、うん。いい。もういいかな。出して大丈夫だよ。今夜楽しみだね、ユウリ!」
不安げに揺れるアーモンド色の瞳をじっと見つめながら考えこんでいた男は、しかし、すぐに笑顔で首を左右に振った。その笑みの理由を、勇利は明日の朝に知ることになるのだが――
『スケーター・いつもの休日の朝』と名付けられたそのVlog動画は、よく晴れた青空とヴィクトル・ニキフォロフの声から始まった。
「ユウリー!」
続いて見えたのは、画面が一瞬真っ白になるほどの強い光。そして、逆光の中に浮かび上がる影。ぼんやりとした黒い影の輪郭が徐々にはっきりと浮かび上がってくる。
そこに現れたのは、開放感のある広いカウンターキッチンに置かれたテーブルの前に立つ、勝生勇利の姿であった。休日らしく、ラフなスウェットを着た青年は、カメラに向かってにこりと微笑んだ。それは、今まで公の場で誰も見たことがないような、心から寛いだ笑みであった。
「ヴィクトル。どこ行ってたの? 朝ごはん、冷めちゃうよ」
「ごめん、ごめん」
どことなく甘い雰囲気の謝罪。男の姿は見えず、声ばかりが聞こえる。どうやら今回は、コーチが直々に撮影をしてくれているようだ。
わずかに手振れしながらも、青年の側へと歩み寄るヴィクトル。近づいてきた恋人の目的が分からず首を傾げる勇利に、小さく笑いながら男は口を開いた。
「ユウリ。今日のメニューを教えてください」
「え!? インタビューみたいにするのやめてよ、恥ずかしいじゃん! それにヴィクトルも一緒につくったんだから、知ってるでしょ」
「いいから、答えてよ。ユウリ?」
カメラと一致するヴィクトルの視点。ふたりの身長差は7センチ――つまり、わずかに青年を見下ろすような視点でこの映像は進行している。
「ええ――…仕方ないなあ」
画面には、照れたように頬を染めて笑う「ヴィクトル目線」の可愛らしい勇利の姿が映し出されていた。コーチの無茶ぶりに、渋々ながら青年は答えることにしたらしい。テーブルの上に広げられた「二人分」のモーニングプレートを指さしながらおずおずと口を開いた。
「今日は……えっと、トーストと、目玉焼きとサラダと、あとは……」
困ったようにカメラを――ヴィクトルを上目遣いに見上げるアーモンド色の瞳。
「――ヨーグルト。冷蔵庫にあるよ」
小さく笑いながら、答えるヴィクトル。
「あっ、ありがと。『ヨーグルト、です』……ねえ、これでいい?」
「OK、完璧だよ! ユウリ」
「今日は、休日なのでこんな感じですが、トレーニングの日はもっとちゃんとしてます」
「そうだね、もっとタンパク質摂ってるね」
コーチにカンペを求めつつも目的を達成した勇利は、嬉しそうに目を細めた。くるりと踵を返しながら、カメラを構えたままで片手のふさがったヴィクトルに声を掛ける。
「ヴィクトル。飲み物、何がいい?」
「ありがとう。アイスティーってまだあったかな」
「うん、あるよ。準備するね」
ヴィクトルは、テーブルをはさんだ勇利の向かい側へ回り込んだ。その間に、ボトルを手にした青年がぱたぱたと戻って来る。
テーブルの上に置かれた空のグラスを手にした勇利は、ピッチャーを傾けて液体を注ぎ込む。取っ手を握りしめた青年の右手、その薬指が朝の光を受け、きらりと強く反射した。
一瞬だけ、指先にカメラがズームする。
青年の薬指に光るのは、約束のエンゲージリング――だけではなかった。勇利がプレゼントしたペアリングに連なるようにして、二本目の細い指輪が嵌められていたのである。
カメラは、ごく自然に引きの映像に戻り、テーブルに腰掛けた笑顔の勇利を再び映し出した。
「あれ? ユウリ、その右手の薬指にしてるものは何かな?」
いささかわざとらしいヴィクトルの様子に気づくことなく、ほくほくと微笑む勇利は照れくさそうに右手を掲げて見せた。
「あっ、これ? ヴィクトルも知ってるでしょ」
「うん、知ってる。でもユウリの口から聞きたいな」
弾んだような男の声。朝の空気の中、大人二人がいつも以上にはしゃいでいることが画面越しにも伝わって来る。じゃれつくような恋人のやり取りの、その甘ささえも。
「こっちは、この前、ヴィクトルからもらった指輪です……えっと、結婚指輪です」
右手を指さしながら勇利が言う。
「そうなんだ! ついにユウリと結婚しましたー!」
楽しげな男の声。ここで、ヴィクトルの「右手」が初めて画面に登場する。
画角に写るように差し出された男の右手薬指は、恋人とそろいの指輪が嵌められていた。光を反射する結婚指輪を見せつけるように、ひとしきり手をひらひらと振ってみせるヴィクトル。男は、そのまま流れるような仕草で恋人の手をそっと握りしめた。無垢な青年は首を傾げる。
「あれ? 僕たち結婚したってこと、まだ言ってなかったっけ?」
「うん。身内とかヤコフとかには伝えたけど、公式にはまだ発表してないよ」
なぜかそこで、勇利が照れたように笑った。
「そっか。ヴィクトルと一緒にいるの、当たり前すぎて、忘れちゃってた」
恋人のその発言に動揺したらしい男のカメラがわずかに震える。
「……ユウリ。カメラの前でそんな可愛いすぎること言わないでよ」
「……ヴィクトル。いつも言うけど『可愛い』って言うのやめてよ。僕だって、成人男子としてのプライドが――」
「じゃあ、愛してるよ――ユウリ」
「……! カメラの前でやめてってば!」
真っ赤になった勇利が、あながち満更でもなさそうに唇を尖らせる。照れ隠しに怒るのはいつものことなのか、ヴィクトルは楽しげに笑っただけで軽く流してしまった。
「ねえ、ユウリ。もうそろそろ、食べようか」
「うん。カメラありがとう、ヴィクトル」
こくんと頷く勇利を映した後、画面が大きく傾く。そこで初めて、撮影者であるヴィクトルの顔が映し出される。自撮りのようにカメラを構える男の後ろで、にこにこした勇利がひょいと覗き込んでくる様子が小動物のようで可愛らしい。
「じゃあ、みんなまたね! これからも、おれのユウリをよろしく」
「ありがとうございましたー!」
動画は終始明るい雰囲気のまま、笑顔で手を振る二人を映して暗転した。
――ヴィクトル・ニキフォロフ
勝生勇利 電撃結婚――
注目度の高いスケーターの二人が、既に婚姻関係を結んでいたという衝撃の事実は、ファンの間からじわじわと広がり、動画が公開されたその翌日には大いに世間を騒がせた。
動画のコメント欄にはヴィクトルと勇利を祝福する温かな言葉が溢れ、また、多くのファンが利用するSNSでは「勇利くん 結婚」「ヴィクトルおめでとう」「勇利くん 可愛い」「彼氏視点」など動画関連ワードがトレンドにあがり、大いに盛り上がりをみせたという。
『大切なお知らせ』では、SNSアカウントの開設という極めて地味な情報を伝え、『いつもの休日の朝』という平凡なタイトルの動画で『結婚報告』という重大発表をしでかした勝生勇利のチャンネルは、その後、危険な情報源としてマスコミ達にマークされることになったという。
おわり