「雨の日」(20〜30年後くらいサテヨモ)
しとしと雨が降っている。
窓を叩くほどの勢いはない、細く優しい雨が世界を濡らしている。
「嬉しそうだな」
「え?」
後ろから掛かった声に、外へと向けていた視線を室内へと戻す。
「君は雨の日、嬉しそうに見える」
声の主は杖を付き、体を左右に揺らしながらゆっくりとサテツの隣りに並ぶ。ヨモツザカは身を屈め、濡れた窓を覗き込むようにして空を眺めた。
取り繕おうかと一瞬迷い、意味がないと諦めた。
「あー……ばれてましたか」
「随分と前からな」
首の後ろを掻きながら聞けば、窓の外を眺めたままバッサリと返される。
できるだけ表に出さないように気をつけていたつもりだったが、ヨモツザカの観察眼には敵わなかったらしい。
「今日は駄目だな」
ふい、と外界から興味を失ったように顔をあげ、ヨモツザカが言う。
齢60を超えVRC所長を引退した彼は、それでも精力的に吸血鬼の研究を続けている。ぐっと弱くなった足腰のせいでフィールドワークは格段に減ったが、変わった吸血鬼の噂を聞けば出かけていくことも時折ある。彼に付き合い、補佐するのはサテツの役目で、それを他の誰かに譲る気はない。けれどこんな雨の日は吸血鬼たちの動きも緩やかだ。わざわざ出かけたところで碌な収穫は見込めない。
「今日はゆっくりする。君も好きにしろ」
予定を告げる淡々とした声に「はい」と答えると、ヨモツザカはかすかに息を吐いて笑った。
そして“それだぞ”というように人差し指でサテツを指さし、踵を返しリビングへと戻っていく。
――なるほど……。
サテツは口元を抑え小さく笑う。
ヨモツザカが「今日の採集は無理」と判断したなら、その日は一日二人で過ごすことができる。それはサテツにとって嬉しいことだ。何年一緒にいるんだと言われるかもしれないが、嬉しいものは嬉しいのだ。年老いたヨモツザカに無理をして欲しくない、というのも理由として勿論あるが、正直に告白すれば前者の理由の方が強い。
とはいえ、彼の研究を妨げたくはない。だから極力天候には興味がないふりをしていたのだが、恐らく「ゆっくりする」というヨモツザカの言葉への返事は、サテツ自身が気付かぬうちに弾んでしまっていたのだろう。
「サテツ君、お茶にするぞ」
なかなかリビングへやってこないサテツに焦れたのか、開けたままのドアの向こうで杖先が軽く振られる。
「はい、今淹れますね」
そう答えた声は、自分でもわかるほど明るい声で。
サテツはもう一度笑って窓辺を離れた。