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    ikiterugj

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    ikiterugj

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    普段尾月の尾月尾が月尾になる夜の話。
    紙の本にしたいやつの冒頭です。

    さいしょ「今夜、俺も準備してるんで…あんたが、良ければ」
     出先から直帰だと言っていた尾形が、お帰りなさいと玄関先で俺を出迎えた際に耳元でそう呟いた。時刻は二十時四十分。
    「風呂入れてありますんで、飯の前にどうぞ」
    「……いい匂いだな」
    腹が鳴りそうだ。昼に社用車の中でコンビニの握り飯を三つ食ったきりだった。買ってきたお惣菜じゃ生まれない匂いだなぁ、これは。……なんて、そんな幸福が吹っ飛ぶほどの衝撃的な言葉が耳に入ってきたのだが? 幻聴か?
    「里芋とイカを煮ました。あとで鯵も焼きます。長風呂しなきゃ早く食えますよ」
     表情はあまり見えなかった。今夜のお誘いのあとにしてはあっさりと離れていく背を、黙って見送る。吃驚して落としそうになった鞄はギリギリ指先でキープした。


    『俺も』
    『準備してる』
     低音の尾形の声がいつにも増して耳に残る。ぼうっと湯船に浸り、尾形の言葉を幾度も反芻しては顔に湯を掛けた。湯の温度はいつもと変わりがない。ほのかなゆずの香り、薬用効果のあるという炭酸の入浴剤が週末の疲れを癒してくれる。でも。
    (あー…これは)
     ちょっとヤバい、かもしれない。
     準備とは、そっちの意味の準備と捉えてよいのだろうか。
    (尾形が? 自分の後ろの準備を?)
     基本的にボトムは俺の役割だ。出会ったとき、少し血の気の多かった尾形を受け入れた形だったのが、そのまま続いている。お互いそれで折り合いがついているので、特にこれまで何事もない。逆だったことなんて最初の頃のほんの数回、片手で事足りる。
     尾形に抱かれるのは、嫌いじゃない。……いや、照れ隠しだ。すごく、いい。じゃないとこんなに長く一緒にいないだろう。極々たまに、プレイの一環として乱暴にされることもあるが、その後のケアは十分だった。最終的には愛されている、という実感が心底湧き上がってくる。
     天井を見上げ、はぁ、とわざとらしく大きくため息をついた。
     さっきは、どんな表情をしていただろうか。いつものように、いやらしく笑っていただろうか。思わせぶりなことを言って、最終的にはいつも通りになる、そんなふうに運びたいのか。…それとは、すこし違った気がしたが。
    (何かあったのか、あいつ)
     仕事か、人間関係か。声を掛けてやればよかったか。でもそこで振り向いて実は、なんて話す相手じゃないだろう。
    『俺も』
    『準備してる』
     勃つまではいかないが明らかにソコに意識が向かっている。
     (あー、もう。俺はちゃんと尾形の心配をしているんだ。いい声で邪魔しないでくれ)
     ユニットバスの中に盛大なため息が響き渡った。


    「腹減ってたんじゃなかったんですか? いつもより長風呂ってどういうことですかー」
     あきれた声がソファ越しに聞こえた。もう食事の支度は整っているのだろう、テレビの前ですっかり寛いでいる。魚の焼ける、いい匂いがする。
    「すまんすまん、すこし考えごとをしてたらな」
     嘘ではない。尾形のあんな声を聞いてしまったら。想像してしまったら。
     あれから少し冷たい水を浴びた。それでもやはりいつもよりは顔が火照っている。
    「ちょっとベランダに出てていいか? さすがに暑い」
    「どうぞ。今日の鯵は当たりですよ。丸々太ってて、包丁入れときましたけどそれでももう少しだけ時間が掛かりそうです」
     ウォーターサーバから水を汲み、そのままベランダへ出た。尾形は魚の焼け具合を見に行ったようだ。
    尾形のエプロンは二年前の誕生日に俺が送ったものだ。濃いめのネイビーブルー。アクセントに赤いタグが付いている。『前で紐結ぶの、楽でいいすね。色もいい』と、かなり気に入ってくれた。さっき玄関で出迎えてくれたときも、グレーのパーカーにこのエプロンだった。
    ということは、この部屋を二人で借りてもう二年か。最初は不慣れだったソファの位置もラグの色もすっかり馴染んだ。『ちょっと模様替えしませんか』と尾形が言うので、日曜に出掛けることになっている。クッションカバーとシーツにタオル。それくらいだが、ネットで買わず実際に肌触りを確かめたいらしい。それには賛成だし、スクリーンで観たい映画もあった。最近は二人で出掛けることが少なかったのでちょっと実はわくわくしていたのだが、それより先に、こんなに急に違うイベントが来てしまった。
     ようやく落ち着いて部屋に入ると、いつのまにか食卓の準備が整っていた。春雨のサラダ、里芋と鶏肉と蓮根の煮物。カブとキュウリの浅漬け。いつの間に。
    「悪い、気付かなくて」
    「いいんです、今日は俺のほうが早かったんですし。ご飯も炊きあがってるんで、そっちはお願いします」
     互いの食事の量もすっかり把握した。茶碗は揃いではなく、俺のほうが少し大きい。一人暮らしのときのものをそのまま使用している。コーヒーカップやグラスなど、食器で二人揃いのものはほとんど無かった。お互い、持ち寄りの同棲スタートだったのだから当たり前なのだが。
     最後に尾形と自分の箸を食卓に置き、頂きますと声を発して手を合わせた。

    尾形の用意する飯はどれも旨い。外食で連れていかれる店も、値段に関わらずハズレが無い。同居するようになってその話をしたところ、
    「あんたに不味いものを食わせるわけにはいかないんで、自分で実際に行って確かめてました。料理は昔からやってたので、それをあんた好みに調整していっただけです。別に不思議なことじゃない」
     と事も無げに言って風呂掃除に行ってしまった。その晩、俺は初めて自ら尾形自身を頬張った。

    「ちょっと浅漬けの塩気が足りませんでしたね」
    「え、あ、いや、塩焼きがあるからちょうどいいよ。物足りなければ七味でも降るから、気にするな」
    そうですか、じゃぁ、と七味の瓶を手前に寄せてくれた。
     尾形は魚を食べるのがすこし苦手だ。俺は、誰かに『猫もまたぐ』と言われたことがあるくらい骨に身が残らない食べ方をする。海のそばで生まれたから、魚を食うのは慣れていた。
     しかし今日は違っている。尾形は会話をしながらずっと鯵を弄っていて、それはいつのまにか猫が平らげたようなものになっていた。俺のよそった飯はきれいに平らげていたが、食はあまり進んでいないのだ。やはりおかしい。体調でも悪いのか、さっきのはやはり何か別の意味なのか?
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