思い出の箱には眩しさとばっと背を向けて柱に身を隠した。
「す、好きです!」
鈴の音のように愛らしい声が、澄んだ空気を通って響き渡る。
それはきっと、一世一代の告白。
「ありがとう。でも僕、心に決めた人がいるんだ」
彼の、いつもと変わらない柔らかい声色。
どんなに綺麗な声の人に出会おうと、俺にとってはそれが宇宙で一番の音だった。
図書館に繋がる2階の渡り廊下から、声のしていた中庭あたりをこっそり覗き込む。
そこにはぺこぺこと頭を下げる小柄な女の子と、やっぱり彼の姿があった。
ため息を吐いて柱に隠れる。
俺も、割と告白はされる方だと思う。
比率として男のほうが多いのは非常に不思議なことだが。
またひとつなんでもない息を吐いて、返却するはずだった本とやるせない想いを抱えながら回れ右して屋上に繋がる梯子を登った。
そこは立入禁止ではあるが、お利口さんの多いこの学校で立ち寄る人はいないし、それ故に先生たちが徘徊に来ることも無かった。
10分ほど景色と風に惚けてぼうっとしていると、とん、とん、という軽快な足音が近付いてくる。
つまり、なんの抵抗もなくこの場所へやってきてしまうのなんて、俺以外にたったひとりだけで。
「ふーーーちゃん、」
からかうような声色。それでも不快に感じさせないこの人はとても凄いと思う。
俺の肩には若干の質量と、ふわふわな手触りの布生地が乗った。彼のお気に入りのカーディガンだろう。
耳元では鼻歌が聞こえ出す。優雅なものだ。
暫しの間、心地の良い沈黙が流れた。
そして唐突に話が始まる。
「ふーちゃんが昨日告白されてたのは、3組のオタクくんでしょ?」
何故知っているのだと、最初の頃こそ目を丸くして驚いたものだったが、今の俺は呆れたように息を吐いた。
「オタクくんで一括にできると思うなよ陽キャくん。彼はサブカルに詳しいクールな男だ。それもかぶれてるわけじゃなく、歴が長くて知識も深いんだ」
折角真面目に返答したというのに、彼は一気に興味をなくしたようにため息を吐いて離れていってしまう。
得も言われぬ寂しさを抱いてしまった心を必死で滅する。悔しい。
引き留めようとした自らの愚かな腕に爪を立てながら、言い放った。
「綺麗な声の子だったな!」
言い捨てておいて、もう知らん、と学校外の景色に無理やり目をやる。
また少しすれば、その肩はまた馴染みのある重さを感じた。
「僕は、ふーちゃんの声が好きだよ?」
あざとくて、それでも優しさが詰まった声にちゃんと絆される。
「………俺はお前の声が宇宙一好きだが!?」
最悪だ。オタク喋りやめたい。
だが、陽キャと言っても底まで優しい部類の人間である彼は、そんなことは気にも留めず、天使みたいにふんわり笑った。
「んへへ〜嬉しいな」
触れたらまるで温かそうな表情だなと思って、無造作に頬をつついた。
ぷくっと膨らんだ頬もまた愛らしい。
また彼は表情を魔法のように変化させて、しかめっつらになった。
「だからふぅちゃんがさぁ、オタクさんにはすぐ心の鍵開けちゃうの、どうしてなの?」
"くん"から"さん"に変わった。昇格したのだろうか。
健気に俺の言葉を意識する彼は、ちょっと心配になるくらいに優しい。
「オタクに悪いやつはいない。何故なら皆、何かを一途に愛しているからだ。Q.E.D.」
わかったか、と言わんばかりに指差せば、背けられた彼の横顔が一様にブルーに染まった。
「………どうした」
相変わらず触り心地の良い頬をむにむにと両手で遊んでみる。
いつだったか初めて触れたときから満更でもない様子だったので、その弾力以外の抵抗は少しも受けない。
それでもふい、と逸らされたままの瞳が寂しくて、耳朶にひとつキスをした。
「………嫉妬、してほしくて」
たったひとつのキスで僅かに溶けて気を許した彼の顔は、ほのかな赤色に変わっていた。
いじらしい様子に、逸る気持ちを抑える。
「ふーちゃんが図書館に行くだろうな、ってわざと昼休みを指定して、彼女の気持ちを利用した僕って、最低だよね」
恐らく今のしぼんだ様子から滲む罪悪感の原因は、殆どがそれだ。
まっすぐな彼は、こういったことですぐに気を落としてしまう。俺なんかにはとても眩しい部分だ。
「シュウ。不安にさせた俺が悪かったよ。第一、それ以外は真摯に応えていただろう。君はそういう人だ」
彼の足元で震えていた両手を掬って、言い聞かせるように話した。
彼の瞳は10秒してようやく、揺らめくままこちらを向いた。
「ずるい」
「何が」
「だって、僕のこと好きって言う子たち皆、顔やスペックしか見てないんだもん。ふーちゃんはいつも、ふーちゃんのかっこいい内面を見て本当に好きなやつばっかりに告白されてる」
彼はいつも、教室で朗らかに笑っている。
誰の、どんな頼み事にも一生懸命寄り添ってくれる。
そんな人がきっと、俺といるこの瞬間だけ、弱い顔を見せている。
その真実が、胸を柔らかく、甘く締め付けた。
「だってそんなの、………手強いじゃん」
その言葉に少し驚く。自分も中身を見てほしい、という話かと思えば、俺に対する想いの丈の話だったのか。
「俺の目はシュウしか見ていないんだけどな」
しゃがんだまま、彼の肩に頭を軽く乗せた。
必然的に抱きしめ合うような体勢になる。
ぎゅぅっとしがみつくように彼の腕が、俺の背に拙く回った。
「………答えてよ。嫉妬した?」
強い口調で問われる。きっと今彼の目は、俺の胸あたりを必死で睨みつけているのだろう。
「…」
黙っていると、どん、どんと胸を叩かれたので観念する。
「………したよ」
瞬間、体が離れて、彼の輝き溢れる大きな瞳に射抜かれる。
「いつ!?どうして?」
質問攻めにあうが、先程の青色はすっかり消えたようなので安心して無視をした。
「ふぅぅぅちゃーーーん!」
ねちっこく呼ばれて、屋上中を追いかけ回された。
体を動かせば何だか楽しくなってきて、つい、言葉が口の端から零れていく。
「そりゃあ、俺より柔らかくて優しくてかわいいよなって!」
彼はきょとんとした。自分が聞いたくせになんて面だ。
「そもそも本当はずっともやもやしてたけどな!格好悪いだろ!」
どうにでもなれとデカい声で叫べば、彼は呼応するようにして満開の笑顔を咲かせた。
「ふーちゃんは柔らかくて優しくてかわいくて格好良いよ!!!」
そんなわけあるか!と叫び返すと彼はけたけた笑った。ツボが赤ちゃんだ。
駆け寄って、勢いそのままに抱き締めた。
途端におとなしくなる彼は、存外ピュアである。
「くるしい、」
腕のあたりをばんばん叩かれて、力をほんの少しだけ弱めた。
目が合って、そのままキスをする。
何気ないそれが、どうしようもない恋人の証で。
「今度、僕が世界最高の告白をしてあげるよ」
名案だとでも言うように、ぴこんと立った人差し指が可笑しい。
彼といると、この世界には飽きることがない。
「楽しみにしてるよ」
彼からされる告白は、それだけで宇宙一なのだと心から思いながら。
温かい日差しに照らされて。
柔く合わさった唇は、彼みたいに優しい蜂蜜の味がした。