腰を抱いてくる五月雨万屋街の道の端。次は何を買うのだったかとメモに目を落としていると「頭」と短く呼ばれて腰を抱き寄せられた。非常に自然な動きだったと思う。自然すぎて不意をつかれて「ぬぁっ!」と謎の声を発してしまったのも仕方ないこと。そんなことは気にも留めずに「人が増えてきましたね」と五月雨はこちらをチラチラ振り返る道ゆく人々を見送った。シンプルに恥ずかしい。
昼餉の時間を過ぎた頃。何かを求めて店から店へと歩き渡る人が増えていた。どうやら誰かとぶつかりそうで危なかったから腰を引き寄せられたらしい。なるほどありがたい。でも何故、腰を抱くのか。擽ったさから逃れたくて彼女はもぞもぞと体を捩る。
「豊前みたいなことするね……」
その呟きに対して五月雨は不思議そうにきょとんとした顔をしていたが、腰の手を退かそうと触れた時に合点が行ったのか綺麗な眉をグッと寄せた。
「豊前にこのようにされたことが?」
支えるように触れていた腰をまた思いっきり引き寄せられて再び謎の悲鳴が飛び出しかける。五月雨は不満そうにそんな彼女を見下ろしていた。その顔はこちらの顔では?と思わずにはいられなくて彼女もまた僅かに眉を寄せた。
豊前に腰を引き寄せられたことはある。でも彼は国広にもしていたし、鯰尾にもしていた。鯰尾に「誰にでもこういうことするんでしょ!」と言われて「おう!」と答えていたのは記憶に新しい。豊前のあれは特別ではない。誰にでも同じようにやる。距離感がそもそも近い男なのだ。勘違いが起こる可能性も勿論あるが、それはまた別問題。だから豊前に腰を抱かれたとて、まあ「うぎゃ!」とはなるけれどそれまで。驚くだけに留まるだろう。
「私は誰にでもするわけではありませんよ」
豊前の話をすれば五月雨が眉を寄せたままそう訴えてくるから彼女はつい顔を逸らしてしまう。
それも知っている。五月雨が誰かにこういう触れ方をしているのは見たことが無い。決して優しく無いとかではなく、こういう近さを誰にでもしているわけではないのだろう。あって村雲や江の仲間たちくらい。それでも、こんなに近くで触れ合っている彼らなど見たことは無い気がする。
だからこそ、妙な心音が響いてしまうから彼女はなんとか五月雨から離れたかった。ずっとそのままになっている腰にある手からなんとか逃れたかった。触れられてる事実から意識を逸らしたくて無意味に道ゆく人々の足元を追う。
「それは、知ってるから……あのちょっと」
どうか離して欲しいとまた体を動かせば、支えたままだった腰を大きな手でするりと撫で上げられて三度目の変な声が出そうになったのをなんとか押さえる。彼女は五月雨を睨み上げた。いい加減にしなさいと、口を開きかけた目に飛び込んで来たのは先程までとは打って変わってやたらと嬉しそうな顔。襟巻きで隠そうとしているが隠しきれていない口元は口角が上がっていて、細められた瞳の中で星が砕けるみたいに何かが輝いている。
「ご存知でしたら、」
秘密を語るようなワントーン落とした声と共にゆっくりと近づいてくる五月雨の顔を瞬きひとつできないままに見つめるしかなかった。