二日目...いつだって、目覚めは最悪だ。優しく夢に揺られる意識を、突如として現実の厳しさに叩きつける。頭が痛くて、体の疲労なんか碌に取れやしなくて。あるのは、ただ、ほんの一瞬の安心。それだけだった。だから、寝ることはいつまでも、ずっと嫌いだ。体力すら回復できないというなら、何のために寝ているというんだ。
「...っ...あさ、か...」
ようやく目を開ければ、滝越しに赤い太陽の光を浴びていることに気づいた。光を拒み頑なに動こうとしない瞼をどうにか少しだけ開けて、周りの様子を確認する。風景は、昨日の時と何ら変わっていない。つまりは、誰かに誘拐をされたり、荷物を盗まれたというはないということだ。
だるくて重い、やせた体を起こす。昨日の落下の時のダメージが今になってようやく来たのか、体中が痛い。ただ、痛いというだけで一日の行動をやめる理由になどならない。所詮は脳の信号だ、それが危険であることを発信していない限り、気にする必要などない。その程度に囚われて失敗などすれば、手に負えない結果が待ち受けている。無視をしなければならない。
ふと横を見れば、焚火はすでに湿った灰となっていて、その近くには服が干されている。寝袋から手を出してそれを少し触れば、乾燥しきっていないということは氷のような温度を指で感じた時点でわかった。
「...チッ」
日光に当たっておらず、さらに周りに滝があって湿度が上がっていればそれも当然だ。若干期待した自分が愚かだった。寝袋から少し抜ければ、外気が狂ったような寒さであることにようやく気付く。息が白くなるほどではないが、相当に冷え込んでいる。滝の裏に位置するこの場所は、体温を温存するにはあまりにも厳しいのだ。それが立ち止まる理由になるかと言えば否、だが。
とはいえ、気温が低い中で行動していれば身体能力が低下することは自明だ。湿った服を取り、それを着る。体温が一気に冷えていく感覚が頭痛を余計に悪化させるが、知ったことではない。立ち上がって、寝袋を畳んでリュックに仕舞う。近くの斧を掴んで、今やるべきことを頭の中で計算し...食糧確保という文字に従い、鈍い体を動かす。急げ、時間は有限だ。魔物が動く前に、行動を始めなければ。そう奮い立たせて、走る。
「どこだ...?」
食料入手の手段は3つ。一つ、果実を採取する。採取のために木を登るのは容易であり、食糧を得る手段では一番安全と言える。ただ...この時期だ、魔物がすでに食い尽くしている可能性もあるうえ、そもそも食えるかどうかも不明である。二つ、川で魚を捕まえる。ただし、川を見た様子では魚は見られなかったため、これは不可能。三つ、魔物を狩る。現状起きていない今であれば、寝込みを襲えば食料入手は容易だろう。失敗してしまった時のリスクが高いため、ハイリスクハイリターンであるが...ぱっと思いつく中で、一番に確実である方法はこれしかない。
森を素早く駆け抜けながら、周りの獲物を探す。音を立てて探せば寝ている魔物を起こしてしまうリスクは高くなるが、そんな悠長にしていられない。たかが数体起こしてしまおうが、獲物を一体でも殺れれば十分だ。ゆっくりこっそり探して魔物が全員起きてしまった場合、命などすぐに散ることになるのだから。
「...見つけたっ...!」
進行方向左側奥に、少し大きめの狐のような魔物が寝ているのを発見した。起きている間はかなり凶暴で危険とされてはいるが、寝込みを襲えば問題はない。徐々に速度を落としていき、その魔物に近づいていく。息を殺して、少しずつ、少しずつ近づく。心臓が外の音をかき消し、流れる血が自分の体を震わせる。強者に怯えてはならない、常に武器を握りしめ、集中をしなければ。そして、あとほんの少しとなって、持っていた斧を振り上げる。一番に狙うべきは...首。悲鳴をあげさせずに殺せば、周りの魔物を起こすことはない。
そう考え一思いに振り下ろした斧は、一瞬にして魔物の近くまで到達し、荒く厚いというのにもかかわらず一瞬で頭と体を引き千切った。ほんの少しだけ悲鳴が聞こえたような気がしたが、ぐちゅっという肉と骨が潰れる音にすぐにかき消された。勢いは収まることを知らず、その斧は地面に深々と刺さった。
「...うっ、ぐ」
顔に飛び散った血を拭ったその瞬間。集中が切れたのか、嗅覚が血と何かの匂いに塗りつぶされて思わず吐き気を催す。急いでその獲物を掴み、撤退しようとしたその刹那。目の前を何かが横切った。慌ててそちらを見れば、氷が木に刺さっている。魔法、つまりは...魔物でない何か。しかし、こちらが動くよりも早く、今度は持っていた斧を氷が弾き飛ばした。氷の飛んできた方を見れば、そこには人がいた。
『なあ、お前さん。荷物全部ここで置いていかねえか?命だけは許してやるからよ』
そう嗤う獣人の横から、一人、二人、三人。合計六人、同じ格好をしたものが現れた。おそらくは、山賊とでもいう奴だろう。皆、手に魔方陣を展開して、いつでも殺せるという余裕の、汚らしい笑みを浮かべてこちらを見下している。それもそうだろう、相手は大人、こちらは子供。しかも、相手は複数でなおかつ魔法が熟達しているのに対し、こちらは魔法一つすら扱えないガキでしかないのだ。戦力差は自明だった。
「...ああ」
ただ。
それが、自分の命を投げ捨てる理由になるとでも?
『へっ、理解が早いやつで助かるよ。俺らもあんまり時間がなく―――』
「―――死ね、クソ野郎が」
相手の一瞬の隙を見て、近くの石を掴み...全力で、投げた。その石は一切曲がることなく真っすぐに飛んでいき...その山賊の顔を、潰した。それと同時に体をひねって、体勢を変えて。
『...ッ!クソガキがッ!!!殺せッッ!!!殺せえええええエエエエエ!!!!!!』
少しずつ光が満ちていく静寂な森の中で、山賊の憎悪に満ちた叫び声が木霊する。それと同時に魔法が放たれて。魔物たちが一斉に目を覚まし。
命がけの鬼ごっこが、始まる。
――――――――――
「...っ..はっ...はっ...はっ...!」
早朝の冷えた空気が、濡れていた服を乾かす。それと同時に、上がりすぎた体温を徐々に下げていく。木々の葉から漏れる光が逃げる先を照らし、ざくざくという葉を踏み潰す音が敵の位置を知らせてくれる。
先ほどまで静寂に満ちていたはずの森が、あの叫び声を合図としていくつもの憎悪が、殺意が、本能が、暴れ始めた。先ほどの山賊共が放つ魔法が、森を崩壊させ、魔物を怒らせている。もし仮に山賊を全て殺したとしても、数十もの魔物に食い殺される。逃げなければ、死が待ち受けている。それだけは確実だった。
『死ねッッ!!!!!死ねッッッ!!!!!死ねええエエエエエッッッ!!!!!!!!!!』
怒り狂っているのは魔物だけではない。仲間を殺された山賊が、正気を失って魔法を連射してくる。木々を燃やし、道を凍らせ、森だけでなく、魔物含める命を無差別に奪い取っていく。それは破壊そのものだ。それが、こちらめがけて走ってきている。幸いにも相手の足は早くなかったが、魔法が一番荷厄介だった。
「...ぶっ...!」
殺意を察知して、後ろから飛んできた炎を右に避ける。かと思えば、今度は前から魔物が走ってくるのが見えて、木を掴んで方向転換する。左右から氷と毒が飛んでくるのを飛び越え、また後ろから飛んできた炎を左に避ける。ほんの一瞬の油断が、命を刈り取る。考える暇すら与えぬ攻撃と、恐怖すら感じる執着は、確実に体力と精神をえぐり取っていく。まるで、じっくりと首が締められるかような感覚がする。
『がァッ!?バッ、ガ$#&%$&%&#&!!!!』
叫び声に混じって、骨と肉が悲鳴を上げて潰される音が聞こえた。また一人、山賊の命が消えたようだ。足を引っかけたせいで、追ってきた魔物に踏み潰されたらしい。これで4人。残るは、左右にいる山賊。つまりそれ以外は...すべて魔物。理不尽を受け憤怒し、その怒りを収めようとしている。
『俺のッッ!!!!俺の先生を殺しやがってエエエエエエエ!!!!!死ね!!!!!!死にやがれえええええええ$&%#&$%$#%&!!!!!!』
ぐちゃり、とまた音が響く。残るは一人。その思考に、"次はお前だ"という山賊の声の幻聴が聞こえた。持っていた死体を投げて跳躍し、木の枝を掴んでその勢いを利用して自分を上へと投げ飛ばす。追われぬように木々を跳びながら逃げ、巨木を急いでよじ登った。心臓が張り裂けそうなほどにどくんどくんと鳴り続け、目は閉じれないほどに痛い。足の感覚はもうなくなっていて、体中が悲鳴を上げていた。だが、数分経った頃には、複数の足音はいつの間にか聞こえなくなっていた。
「...いなく、なった、か...?」
下をゆっくりとみてみるが、地面は見えなかった。いや、自分が高い場所に行き過ぎたのだろう。だが、これだけ離れているということは、しばらくは安全ということでもあった。つまりは、助かったということだ。
その答えに辿り着いたと同時に、体の痛みがすべて消えるほどに足が燃えるように痛く感じた。よく見れば、脚は朱色に染まっており至る所に傷が見えた。いや、それどころか白すらちらりと姿を見せていた。
「...がっ、あああああっっっ...!!!!!」
思わず声が出るのを堪える。もしここで大声を出してしまえば、また魔物を集めかねない。そうすればもう、逃げる術はない。だからこそ、ここで耐えるしかない。これはただの神経の信号だ。今は危険な状態ではない。痛みを感じる必要はない。しかし、そう考えれば考えるほど痛みというのは余計に悪化する。もし治療魔法や傷薬の一つでもあれば、多少はどうにかなっただろうに、と舌打ちする。今頃下に降りて探しても、そんなものはないだろう。リュックの中にも、そんな物は入れていなかった。今は、この苦痛に慣れるしかなかった。ぽたりぽたりと垂れる朱を見ながら、失った食料のことを考えていた。
――――――――――
...はっと目が覚めれば、もうすでに太陽は真上まで上がっていた。どうやら、疲れのあまり寝てしまっていたらしい。体を起こせば、じわりじわりとその痛みは帰ってくるのを感じる。ただ、もうそこまで痛いという訳ではなかった。気づけば...もうすでに、白は消えていて、傷もかなり収まっていた。
...魔法が使えない者は、身体能力が高くなる傾向がある。それに当てはまっている自分は、他の人と比べて体の回復もかなり早かった。ただ...流れ出た分の血は戻ってくるわけではないし、痛みは治まるとはいえ体力の消耗は激しい。つり合いが取れてない体だ。
「...つ、ぅ...」
頭痛が酷い。かなりの血が流れてしまったからか、体の動きはかなり鈍っていた。リュックの中を漁り、中にある食料を齧る。本来であればバーの味がするはずなのに、今は鉄の味がする。どうにかして飲み込み、ゆっくり木を降りていく。足に体重を預けると電気のように痛みが走るが、立てないほどではない。
ようやく地面に着地して周りを一瞥すれば、そこら中に朱色が塗られているのが視認できた。それと同時に、生臭い匂いも周りに漂っていることも理解できた。あれほど争っていたのだ、魔物が数体死んでいてもおかしくない。死体を千切って食料にする方法も考えたが、ある程度時間が経っている以上、食用にするには少し厳しい。周りに魔物がいないかを確認しながら、木の実を探していくことにした。
「...うっ...ぶぇ...」
嗅覚というのはそう簡単には慣れてくれないらしく、ずっとその不快な臭いを探知し続けている。そうして歩くこと数分ぐらいか、ようやく景色が緑一色になった。川でもあればこの汚れも落とせるんだが、そう思いながら近くの石を取る。武器がないというなら、多少投げられるものぐらいは必要だ。助けになるかはさておき、だが。
そうしていると、緑に混じって橙色が見えた。ちらりと見上げてみれば、それはよく目にする果実の一つだった。これはしたりと石を投げ捨て、跳んでそれを掴み、そのまま枝から千切り取って齧る。少し苦みがあるものの、爽やかな酸味が曇った思考を晴らしてくれた。久々の水分というのもあって、気づけばもうすでにそれはなくなっていた。ああ、これなら十分に食料になる。このままでは保存が難しいが、干したりして水分を抜いたりすれば十分に食料となるに違いない。失敗が功を制したとでもいうのだろうか。
元となる木を探し、そこから枝を伝って果実を回収、リュックに入れていく。ここまで高いところとなると魔物も手が届かないのだろう、上を見ればそこには山ほど実っているのが見えた。一つ果実を取り、齧る。すべて食べ終え、また一つ取って食らいつく。魔物と何ら変わりない動きで、食欲のままに果実を食していく。そうして6つくらい食べただろうか、ようやく腹が満たされ、リュックにもある程度の食料を確保できた。
さて、なるべくであればこの近くに拠点を立てたいが、水の確保が出来ていない以上ここから離れるほかはない。それに、先ほどの朱色に塗れた場所からそう遠くはない。匂いを嗅ぎつけてやってくる魔物は後々増えるだろう。それも考えれば、おとなしくここを離れる他なかった。
「しばらくは大丈夫か...この木も、覚えておいた方が良いな」
周りの風景をある程度頭に叩き込んでから、また別の方向へと歩き始める。魔物はこちらにはいないのか、物音は聞こえなかった。まるで朝のように、静寂に包まれていた。ある種不気味ではあったものの、逆に落ち着くことが出来た。
それから夕方になって。結局あの滝に戻ることはできなかったものの、洞窟を見つけることはできた。リュックにある魔術式ライターで近くの木の枝に火をつけて中を確認したところ、洞窟というよりかは空洞の方が正しかったが。まあ、どのみちここを拠点とすることは出来そうだった。変に魔物が返ってこなければいいのだが。
「...ふぅ...疲れた...」
この体は身体能力が高い。それゆえに、負傷の回復も、体力の回復もかなり早い。ただ、精神の回復は全くというほど変わらない。いや、むしろ他の人よりも劣っている。魔法を利用する時に脳を使うらしく、それの積み重ねで慣れているから、だそうだ。だからこそ、こうして休息を取らなければ死んでしまう。本当に、不便だ。
リュックを洞窟に置き、近くの枝や葉っぱを採取する。昨日と同じように焚火を作って、それとは別で洞窟の奥に果物を干す場所を用意する。果物は本来一日二日ぐらいは必要だというが、干す場所は日向に当たらないところだ。さらにその時間は増えるだろう。しかし、ここを拠点とする以上そのぐらいは誤差と言える。
しばらくはここでゆっくりと過ごせればよいのだが、と思う。しかし、現状水を発見できていない以上、明日も水が見つからなければここも手放すしかない。井戸でも掘るべきだろうか、そんなことを考えながら、リュックにある寝袋を取り出す。いつの間にか火も消えかけていて、それを見届けて...寝袋の中に入った。はあ、とため息をつくと、ゆっくりと眠気がやってきて...疲れがどっと出てきたような感覚がして、瞼が一気に重くなる。そうして、気が付けば...自分の意識は、もうすでに現実世界から離れていた。