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    カナト

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    カナト

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    ver.2終盤の世界の話

    狭間の果てに見たものは「おはようございます、シンイさん」
     ゆるりと意識が覚醒する気配がして、柔らかな声が鼓膜を揺さぶった。
     次いで香ばしい匂いが鼻を刺激して、空腹感を呼び覚ます。
     重たい瞼を押しあげれば、幸せそうに微笑む彼女の姿があった。
     可愛らしいエプロンを身につけた姿は初々しい新妻のようで、何故彼女がそんな格好をしているのか、現在何が起こっているのか、困惑しないわけはなかった。
    「あ……え……?」
     けれど、口から出た言葉は上手く疑問になってくれず、早く早くと急かす彼女に手を引かれるまま食卓へとつかされる。
     焼きたてであろうパンに、目玉焼きやサラダ、はつらつ豆のスープまであるのだから豪勢な朝食だ。
     普段ろくに食事をしないはずの彼女は、食卓につくと食事の挨拶をしてパンをちぎった。
     不思議な光景だ。口の中に突っ込まなければろくに食べもしないはずなのに、自ら進んでその小さな口にちぎったパンを運んでいる。
     時たまはつらつ豆のスープにパンをひたしては頬が落ちそうと言わんばかりに微笑むのだ。
    「食べないんですか?」
     呆気に取られて一向に手をつけなかったことに小首を傾げられ、悲しげな表情をされた。違う、こんな表情をさせたいわけではない。
    「はい、あーん」
     どうしようかと迷っていると、彼女は一口大にちぎったパンをはつらつ豆のスープにひたして口元へと持ってきた。
     条件反射で口を開けば、優しい故郷の味が口いっぱいに広がる。
     もぐもぐと咀嚼する姿を見て「どうですか?」なんてキラキラした目で問われれば、素直に「美味しいです」と言葉が出た。
     一口食べてしまえば、急速に空腹感に襲われて今更ながら食事の挨拶をして目の前に並べられた料理を口にする。どれもこれも、優しくて懐かしい味がした。
     どうして彼女と共に朝食を食べているのか、今何が起こっているのか、分からないことだらけだ。それでも、今が幸せだと確かに感じられる自分がいた。
     食事を終えると彼女は楽しげに鼻歌を歌いながら家事に勤しみ始めた。彼女のそんな姿を見るのはなんというか新鮮だと思ってしまうのは何故だろう。見慣れた光景のはずなのに。
    「シンイさん、今日はアバさまのところに行くんじゃなかったですか?」
     食器を洗いながら彼女が小首を傾げてそう言い放つ。それに急速な違和感を感じた。
     なにも、アバ(おばあさま)のところに行くのはおかしなことではないのに。
     急速に感じた違和感は、何かに揉み消されるように消えてしまった。心に残ったのはアバのところに行かなければいけないということだけ。
    「そうでした、行ってきますね」
     彼女に微笑めば、エプロンで手を拭きながらとことこと小走りに駆けてくる。疑問符を浮かべていると、少し屈んで欲しいと言われた。
     よく分からないまま素直に少し屈めば、背の低い彼女は精一杯の背伸びをして唇を奪って照れたように微笑む。
    「へへ、行ってきますのチューです」
     頬を染める彼女を抱き締めたい衝動に駆られるが、すんでのところで押さえ込んで仕返しに頬に口付けるだけに留めた。
    「留守を頼みますよ」
    「行ってらっしゃい!」
     楽しげな笑みに見送られて、名残惜しいが踵を返す。
     家から一歩外に出れば、長閑なエテーネの村。出てきたのは彼女と兄の家だった。
     アバのところに行かねばならないということは、高台の教会の方に向かえばいいだろう。
     途中で村人たちと雑談をしつつ、冷やかされつつ、祝福の言葉を受けつつ、実家を目指す。
     自分は彼女と祝言をあげて晴れて夫婦となり、彼女の家で暮らしている。彼女の兄は錬金術師として旅立ってしまったので、夫婦水入らずだ。
    「おはようございます、カメさま。今朝も良い天気ですね」
     通りすがりにカメさまに挨拶をして、満ち足りた気持ちになった。なんて幸せなのだろうか。
     村は平和で、片想いの人と結婚できて、毎日に大きな変化もなく。
     こんな時間が、ずっと続けばいいのに……。
    ―――シ……目…………せ!
     そう思った瞬間、何かの声が聞こえた気がした。けれどそれは一瞬のことで、気の所為だと気にもとめなかった。
     高台の教会に辿り着くと、年齢を感じさせない動きのアバが待っていた。
     確か、彼女との結婚を誰よりも喜んでくれたのは、彼女の兄とアバだったか。時たま余計なことを言ってくるが、曾孫が見たい故のものだろう。今はまだ考えてはいないが、おいおいつくろうと思う。
     案の定要件は遠回しにせいのつく食事やら素材やら材料の採取で、それは巡り巡って自分の口に入る予感しかしない。未来視の無駄遣いでもしてやろうかと考えて、ふと、何故未来視が出来ると思ったのか疑問に思った。
     が我が道を行くアバに思考は流し流され、そしてその命令に逆らえるはずもなく、一度昼食を摂りに家に帰ってから採取に向かう約束をした。
     家に帰ると既に昼食は出来上がっていて「おかえりなさい」と彼女が抱きついてきた。
    「ただいま戻りましたよ」
     思わず笑みを零しながら、彼女の後頭部をすくいあげて口付けをおくる。彼女は素直に受け入れて、とても幸せそうな表情をした。そんな顔されると我慢が出来なくなりそうだ。
     自制心と戦っていると、彼女が腕の中からするりと抜け出した。
    「手を洗ってきてご飯にしましょう?」
     それはどちらの「食事」だろうか。なんて一瞬頭を過ぎったのは仕方がない。
     手を洗って食卓に向かうと、彼女は既に座っていた。今日のお昼はパスタのようだ。
     食事の挨拶をして、麺を口いっぱいに詰め込む彼女は、可愛らしい小動物にしか見えない。ああもう、本当に可愛い。
     気が付けば自分の分も彼女の口元に持って行っていた。彼女は疑問にも思わずに条件反射でぱくりと食いつく。
     もきゅもきゅと音がしそうなぐらい可愛らしい咀嚼姿を見て、また愛おしさが溢れてきた。
     守ってあげなければいけない。彼女は時渡りの能力者で、カメさまの申し子なのだから。
     そんな彼女を妻にできたことを、心の底から幸せに思った。
     そうして昼食を食べ終えて、戦闘が出来る装備を整えていると、不安そうな彼女が後ろから抱きついてきた。
    「無事でありますように……」
     その祈りは、今現在旅に出ている兄にもおくられたものだろう。彼と違って自分が行く場所は強い魔物も出ない近辺だ。
     それでも、不安になるのだろう。両親を亡くした彼女は、人の死にとても敏感だ。
    「大丈夫ですよ。女神さまがこうして祈ってくれていますからね」
     不安げな彼女にそう返せば「もう!」と言いつつも耳を真っ赤に染めていた。あなたはいつでも私の光なんですよ。
     そう、もう二度と失いたくない光……。
    (まるで……一度失ってしまったかのような……?)
     疑問を抱くもすぐに霧散し、不安げな彼女に見送られて育みの大地へと向かっていく。
     目指す場所はいしずえの森だ。ここには色々な野草が自生しており、ここにしかないものもあるため、錬金術の材料として時たま彼も採取に来ている。
     会う度に妹を泣かせてはいないか、妹は幸せか、早く甥っ子か姪っ子に会いたいなどなど、シスコン攻撃を受ける。けれど、それは不愉快では無いのだ。彼女が無邪気に笑っていられるように願うのは、自分とて同じだから。
     いしずえの森にたどり着くと、刻まれた絵と文字に目を眇める。
     このアストルティアには、人間以外に五つの種族が存在しているという、にわかには信じ難い碑文だ。
    「風の民……エルフ……」
     岩肌を手のひらで撫でれば、彼女と似た、けれど耳のとがった少女の姿が頭を過った。
     エルフの彼女の姿が忘れられないまま、目を逸らすように違う碑文に視線を移す。
    「空の民……竜族……う゛っ!」
     そこで激しい頭痛に見舞われた。激しい違和感だ。
    ―――……ィ! 目を……せ! シンイ!
    「クロ……ウズ」
     そうだ。彼女は死んでしまった。彼女の兄は時を渡ってしまった。自分には未来視の能力と催眠の能力がある。そして、自分も死んで、今は―――
    「シンイさん……」
     思い出した途端、何かを察知したのだろう、息を切らしながら彼女が駆けてきた。
     あの日、エテーネの村がネルゲルに滅ぼされなければ、こんな未来が待っていたのだろうか。平和で、静かで、幸せな。
     自分は、それを手放す選択をしている。この、とても幸せな世界を。
    「…………さようなら…………あなたの妻になれて……幸せでした」
     ぐっと下唇を噛み締めて、精一杯の笑顔。とても切なげな表情。
     そんな表情をさせているのは自分だというのに、変わらず笑っていて欲しいと思う。なんともワガママな感情だ。
     だから、せめて。
    「……約束します……。いつか、平和な村を再興して……あなたと夫婦になる……努力をすると……」
     彼女の気持ちは分からない。好意を持たれているのは分かっているが、その好意はエテーネの村の生き残りという同族意識や、単純に兄のように慕ってくれているものだと思われる。
     けれど、告げてみないことには分からない。関係性はこれからだって変えられる。だから。
    「はい。忘れないでください。私はシンイさんを愛しています」
     世界が光に包まれて消える。最後まで残ったのは、彼女の可愛らしい笑顔だった。

     ふっと意識が戻ってきた。
     頭の中で共に過ごしてきた相棒とも言える彼の声が心配そうに響く。
     それを聞き流しながら、歪んだ空間をぐるりと見渡した。
     身体の持ち主、クロウズの遺志を叶える為、自分はアストルティアを去ろうとしている。そして、これから己が向かう場所で彼女が死んでしまうという予知も見てしまっている。だから、彼女にはここで別れを告げなければいけない。
     それなのに、なんて都合のいい夢だったのだろうか。
     それでも。
    「いつか、叶えてみせます」
     寝ても醒めても変わらず幸せな、夢を。
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