💪( ˙꒳˙💪)「あっ、ナジーンさんこんにちはぁ!」
兵士たちから通報を受けて駆けつけた先の光景に、ナジーンは思わず閉口した。
城の正面の大通り、バザールのある場所とは反対に、城の裏、裏通りはならず者の巣窟だ。
仮統治している元締めのジャハラジャというある程度の抑止力はいるが、基本的には無法地帯に等しい場所である。
とはいえ、その部分も含めてのファラザードだ。活気ある商人の国でもあり、ならず者を飼い慣らして使役もしている。
最近、そんな裏通りに対立する組織が爆誕したらしい。
基本的には小さな集団がいくつか出来て小競り合いする程度で、規模としては小さいものだったのだが、そのふたつはかなりの人数を集め、そしてしょうもないことで度々対立していた。
小さなものならば兵士たちや裏通りの掟で事足りるが、大きく発展すれば副官であるナジーンが駆り出される。たまに手があけば魔王ユシュカもやってくる。ユシュカもナジーンも仲裁は慣れたものだ。
今回のいざこざも大きなものらしく、慌てて駆け込んできた兵士たちによると大乱闘が発生しているらしい。
報告を聞いているうちにドォンという爆音と共に城が揺れたので、さすがに今回は捕縛して地下牢に放り込むべきかと頭痛を覚えたものだ。
ヤツらの頭を冷やしたいが、ナジーンの頭痛も何とかして欲しい。
その後、いくつか轟音が響き渡り、頭に響くそれに舌打ちしながら裏通りへと滑り込んだ先の光景がアレである。
裏通りは表通りよりも混沌としていて、それらは建築物にも適用される。
ぐにゃぐにゃと曲がりくねった細い通路と、後で取ってつけたような形の建物たち。階段さえも真っ直ぐではなく、移動だって板を敷いたものや屋上を経由するものがある。
魔界の暗めの陽の光を遮ってやまない建築物は、基本的には白っぽい色をしていたが、今現在のそれらは少々暗い赤色に塗られていた。
……端的に言うと、血塗られていた。
辺りを見渡せば死屍累々とはまさにこの事。地面に横たわるものはもちろん、壁に磔にされたもの、屋上にぶら下げられているものもいる。
その犯人はどう考えてもにこにこしている年端もいかない無害そうな少女だろう。返り血なのか染色なのか分からない赤い服が怖い。
幼さの残るまろい色白の頬はベッタリと血で汚れ、ナジーンが握り込めるほどに小さな手もまた血濡れている。そしてそこに武器は無い。
身の丈の倍ほどもある魔物の姿をした魔族の襟首を締め上げていた少女は、べいっとそいつを地面に放り投げた。確かそいつ幹部のひとりだったような。殺戮のとか鮮血のとかそんな少し痛い二つ名持ちだった気がする。
その近くに倒れ伏している魔族だってもうひとつの組織の四天王とかそんなこと言ってたヤツだった気がする。少女がさりげなくごすっと足技繰り出して追い討ちかけているが。
よくよく見れば総力戦だったのか、その他幹部もチラホラ見える。構成員の下敷きになっているもの、建物にかかる布に吊られているもの、壁にめり込んでいるもの様々だ。
たたっと近くに寄ってきた兵士が、ナジーンの耳元で囁いた報告にまたもや頭痛がぶり返した。
せっかくあまりの衝撃に何もかもが吹き飛んでいたというのに。
「ナジーンさぁん」
遠い目をしているとこの場の絶対王者だった少女が満面の笑みで駆け寄ってきて……目前でピタリと静止した。
「ん?」
抱き上げる気満々で腕を広げていたナジーンは、びっくりするほど急停止した少女に瞳を瞬く。
いつもならば猛牛の如く突進してきて、体格のいいナジーンを吹き飛ばさんばかりに抱きついてくるというのに、どういった心境の変化だろうか。
まさか愛想が尽きたのだろうか。
頭に過ぎった思考にイヤイヤと頭を振る。
それだったら嬉しそうな反応がおかしいし、可愛らしい声で名前を呼ばないだろう。
しかし女心は秋の空、それ以前に何を考えてるのか全くもって予測不可能な人物なのだ。急激に何か心境の変化が起こったのかもしれない。
「だ、大魔王、どの?」
死屍累々の地獄絵図の最中、腕を広げるファラザードナンバーツーとその手前に佇む少女というなんとも形容しがたい光景がいい加減辛い。
唖然としている兵士たちやドン引きしている裏通りのものたちの視線がチクチクと刺さっている。
「あの、えーっと、今、汚れてるから……その……」
小さな声で「後で……」と呟かれて、ナジーンは衝動のまま自分から少女を抱きしめた。可愛い。可愛いがすぎる。
これがこの地獄絵図を作り出したのと同一人物だなんて誰が思えるだろう。
「きみは汚れててもいい」
頬にべっとりとついた誰のものか分からない血を拭ってやり、色の薄い唇をついでに啄む。
ナジーンの予想外の行動に少女はびくりと肩を震わせ固まり、でもされるがままにちゅっちゅと口付けを受けていた。
ひとしきり満足するまでキスをすると、ナジーンはそのまま少女を抱き上げた。
「頭目たちは?」
急激に仕事モードに戻った副官に、兵士が慌てて報告をする。
一番の元凶である頭目たちは、魔界の海で軽く炙られていたらしい。なにそれこわい。
魔界の海は大量の魔瘴を含んでいる。魔瘴の原因であるジャゴヌバの本拠地が海中にあった為だ。
それでなくとも魔界の海は大荒れで、特殊生物ブルラトスでもなければ暮らしていけない。その割にはコウモリダコだかヨロイザメだか普通のタコだか釣れるけれども。
まあ犯人は言わずと知れたナジーンの腕の中で擦り寄る猫のごとく甘えている人物なのだろうが。
この人物、とんでもなく魔瘴への耐性が高いのである。
魔族の強さは魔瘴への耐性にあり、魔瘴に強ければ強いほど上位魔族に分類される。
つまり、上位魔族よりも魔瘴に強い少女は、素質的に魔界最強に位置すると断じてもいいのだ。もっと言えばもう既に最高位の大魔王に就いている。
まあ例外として魔瘴を操る魔瘴の巫女、女神ルティアナの器イルーシャも存在するが。
しかしながら、女神ルティアナもイルーシャも、その他種族神らもその眷属神らも、はたまた野良の温泉の神やらも誑かしまくっているのはこの人物だけだろう。
アストルティアに於いて、少女の過激派は多い。勇者姫アンルシアを初めとした豪華メンツである。もちろん魔界でも大国三国の魔王が筆頭にいる。
そんな少女に愛されているナジーンは、現在幸せの絶頂と言って差し支えない日々を送っていた。
二百年前の凄惨な悲劇を魔族生のどん底だとして、その落ち込み以上の幸せである。禍福の天秤が思いっきり福に傾いているので、ナジーンは毎日明日死ぬのかもしれないと思っている。意地でも死なないが。
さて、そんな大魔王に足蹴にされ、ほぼほぼ殲滅状態虫の息もいい所の組織のトップたちは非常に可哀想な状態だった。
とりあえず炙られ状態から救助されたものの、可愛らしい少女を見て「ヒィッ」と悲鳴をあげる始末。いいのかそれで。
とはいえ、ナジーンにべたべたくっついて幸せそうにしている少女が彼らに向ける視線はゴミ虫を見るものだが。そんな顔できたのかと新たな一面を垣間見れて嬉しい。
あまり大魔王らしくない天真爛漫な少女だが、その実スイッチさえ入ってしまえば別人のように豹変する。性質は魔王アスバルに似ているかもしれない。
敵とみなしたものには容赦がないのだ。特に懐に入れたものたちを害したりしたらあっという間に消し炭にされる。
今回も場所がファラザードだったので、ナジーンへの危害判定が出たのだろう。兵士たちと間に割って入って日々苦労して仲裁していたのに、こんなにアッサリと制圧されていいのだろうか。面目がなさすぎる。
「彼らについて何か要望はあるだろうか?」
ファラザードの法律はナジーンである。魔王であるユシュカがそう決めたので、ユシュカ以外では覆されることがまずない。
この場はファラザードとはいえ、少女自体は魔界の最高権力者。彼女が関わっているのだから彼女に決めさせることもやぶさかでは無いし問題でもない。もっと言うならユシュカも面白がって後押しすると思われる。
「んー、とりあえずここの補修の丸投げと、そのあとナジーンさんのしもべとして好きに使ったらいいんじゃないですかねぇ。役に立たなそうだったらまた〆ますし」
いつの間にナジーンの恋人はこんなにも魔族に染まったのだろう。のほほんとしたお人好しで、好きな物には猪突猛進、ファラザードの大問題児、アストルティアの核弾頭だったのに。
というか、この惨状を作り上げたのは少女である。
武器は無いし小さな手をベッタリと汚しているので、全て素手でやらかしたと思われる。
少女の魔法の痕跡もないので、その全ては肉弾戦だろう怖すぎる。
兵士に確認させたところ、死者は誰もいないという奇跡。しかも全員命に別状はないらしい怖い。
最凶の大魔王とそれを手懐けるナジーンに周囲が思うことはただひとつ。
絶対ナジーンさまに逆らわんとこ……。
その後、ナジーンに調教された大魔王過激派組織が新たに爆誕するのだが、いまはまだ誰も知らない。
なじさんが猛獣使いになった……