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    カナト

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    カナト

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    zikka ぽっぽと軽い汽笛の音が響き、ガタゴトと重い車両音と共に甲高いブレーキ音が鳴り響く。
     歴代勇者を輩出するグランゼドーラ王国には、五大陸と小さな島を繋ぐ大地の方舟と似て非なるものが走行している。イオ10系という系統らしいが鉄道オタクでもないのでそこは詳しくはない。
     神話以前の時代の遺物だとか、宙を翔ける天の方舟だとか、時には時代を越えられるだとか色々な逸話があるが、どれも寓話の類いだろう。
     寓話だと思ってしまうくらいに大地の方舟は革新的であり、現在でもあまたの謎を抱えている。
     そういった方向のロマンを探求するのも楽しいだろうが、現在の目的は全くもって違う。あるじも興味を持つだろうし、暇が出来たら調べてみるかと頭の片隅に留めた。
     列車が完全に停止してからぷしゅうと扉が開く。降りる人も出迎える人もまばらなのは、この列車がアスフェルド学園とグランゼドーラ港を繋ぐだけのものだからだろう。
     リソルが通っているアスフェルド学園は、レンダーシア大陸のどこかにある学び舎だ。
     どこにあるかは秘匿されており、三年のカリキュラムである生徒はもちろん、教員でさえ五年で転属となる。
     何故そこまで秘匿されているのか、リソルは前年度で嫌という程知ってしまった。不可抗力で巻き込まれたと言った方がいいだろう。
     学園の湖には願いの精霊がいる神殿があり、その力を悪用されないために場所が秘匿されているのだ。
     学園の目的は願いの力を正しく使う為の場だった。
     そのために力の精霊であるバウンズがわざわざ人間のフリをして管理しているのだ。
     他の力の精霊や、彼らを束ねる存在がダーマ神殿にいるらしいが、今回の目的地はそこではない。まあ、リソルに彼らが見えるかどうかも怪しいが。
    「リソルくん!」
     呼ばれてそちらに目線をやれば、小柄な少女がぴょいぴょいと跳ねていた。本日の装いは短いスカートらしい。そんなに跳ねたら下着が見えてしまい……いや、ガッツリレギンスが見えていた。
     色気も何もない少女は、リソルよりも年下に見えるが、これでも一学年上の先輩である。実年齢はリソルよりも大幅に年下だが。
     リソルはゆうに百歳を超えた魔族なので、ぐるりと見渡す景色の存在全てが年下なのだ。
     なんとややこしい状態なのだと思うが、魔族とその他種族とでは大幅に寿命が違うのだから仕方がない。
     これからのことはこれからなんとかしようとすればいいことで、今思い悩むべきことではない。リソルは小さく息を吐いて、やれやれと首を振った。
    「はしゃぐのはいいけど見えてるんだけど? それとも見せてるの?」
     いつも通りの憎まれ口のご挨拶に、少女は満面の笑みを返した。ずるい。
    「どうせ戦ってたら見えるものだよ」
    「……オレのなかのなんかが減るからできるだけやめて」
     あっけらかんと言い切った少女に、どうしてリソルがこんな気持ちになるのか。いや、見せたくないからこれは必要措置だ。
     もう少し関係を進めたらできる限り見せたくない箇所に印をつけよう。内ももとか胸元とか。
    「や め て」
     遠い目と新たな決意をしつつ、イマイチよく分かっていない顔をしている少女にリソルは念押しした。
    「んーじゃあ服装変える? フクロウ頭とか頭巾とか大魔王の衣装とか……」
    「なんでそんな奇抜な方向に行くの。あと大魔王の衣装は絶対にやめて」
     アストルティアはなんでも容易に受け入れてしまう風潮がある。その最たるものが奇抜なファッションだと思っているが、大魔王が普通に散策していても受け入れているのはさすがに怖い。
     というかフルフェイスヘルメット全身漆黒鎧マント付きの人物の隣とか絶対歩きたくない。
     どうしよう、この無自覚ド天然愉快犯どうやって御せばいいんだ。
     リソルは頭を抱えたくなった。なんだかこれから頭痛と付き合っていかなければいけない気がする。
     リソルは天邪鬼だという自覚はあったが、苦労人も習得しそうで胃が痛い。
     そういえばあるじもあっちこっちフラフラして謎の厄介事に頭突っ込んでるよなとか思い始めたら最早ドツボだった。
    「ご、ごめんね、大丈夫?」
     リソルが急激に体調を崩す前兆を見せたからだろう、少女は慌てた様子でリソルの背中を撫でた。
     そうだ、普通にしていれば可愛い服なのだから、普通にしていて欲しい。……それが一番難しいのだろうが。
     じとっとした目を向ければ、誤魔化すように盛大に目が泳ぐ。
     彼女の姿は学園とは大幅に違うが、しぐさや雰囲気はそのままだ。
    「もう大丈夫だから。で、どこに行くの?」
     改めて惚れた弱みというものを思い知らされつつ、リソルはつっけんどんに言葉を紡ぐ。突き放すような言葉とは裏腹に、背中に回されていた手をさり気なく繋いだ。迷子防止だ迷子防止。
     ほっとしたような少女がにこっと笑って行き先を指し示す。
    「船?」
    「そう。エテーネに行こうと思って」
    「ああ、アンタの実家か」
     学園へと向かう列車の駅は、グランゼドーラ港にある。つまり、船があるのだ。
     ここから出る船は外海のレンドアへのものと、内海にあるエテーネ島へ向かうものがある。今回向かうのは内海の方らしい。
    「ごく最近船で行けるようになったの。それまで空が飛べないと行けなくってさ」
     にこにこしながら爆弾を投下され、リソルの頬はひくりと引き攣った。それはつまり、少女に空を飛ぶ手段があるということだ。
     常々人外じみていると思っていたが、こうもアッサリにおわされるとそれはそれで心臓に悪い。確かにリソルも魔族ではあるが空を自由には飛べない。
     それでなくとも魔界で大魔王をしているのだ。その強さも人外極まりなく、更に言うなら創世の女神ルティアナさえ敗北を喫した異界滅神さえも討伐している。単純に神より強いってどうなのか。
     見た目はどこにでもいそうな少女だ。学園では気のいい兄ちゃんみたいな青年だったが、現実の彼女はどちらかと言えば庇護を必要とする存在に見える。
     あべこべすぎる見た目は、リソルを少し混乱させるが、リソルが惚れたのは内面の方だ。男でもいいとさえ思った人物なのだから今更である。
     人外じみたところも含めて全て愛すること。それがリソルが落ちてしまった恋の先だ。
     かんかんと弾むような音を立ててタラップをのぼり、潮の香りを思いっきり吸い込む。
    「船久しぶり。酔うかも」
    「いきなり不安になるような事言わないでくれる!?」
     満面の笑みでとんでもない予告をしないで欲しい。
     確かに港に停泊していた大型客船、グランドタイタス号よりも小型の船だがそこそこのサイズがある。
    「普段船乗らないからさ……。むしろ魔界に船ないリソルくんはどうなの」
    「は? 酔うわけないじゃん。魔族の三半規管ナメてんの」
     戦闘中あんなにもアクロバティックな動きをしていて三半規管が雑魚ってどうなってるんだとリソルは天を仰ぎたくなった。
    「先にお兄ちゃんに酔い止め錬金してもらえばよかったか……」
    「アンタの兄とか絶対に苦労人かアンタと同類だよね」
    「たぶん同類に分類されると思う! 一緒に世界救ったし!」
    「…………」
     そういった類の同類って世の中にどれだけいるんだろうか。片手の指で足りそうで怖い。そして初めて聞いた。
     性格的な意味での同類なのだが、果たしてそれも同類に含まれるのか? 少女といるとリソルはペースを崩されっぱなしである。
    「見た目は似てるよ。血は繋がってないけど」
    「アンタ大概ややこしいね」
    「出自がそもそもややこしいからね! 最近知ったけど」
     生まれついてのややこしさ持ちって何だ。どんだけ数奇な星の元に生まれてきたんだ。
     創世の女神さえ予想外の存在なのだろう。そう思う。すごく。
    「というか、学園での姿ってお兄ちゃんの姿なんだよね」
    「ゴフッ!?」
     さらに追加された爆弾発言に、リソルは早々に耐えきれなくなった。
     どうしてそんなにややこしいことにしたんだ!?
     戸惑っているうちに船は滑るように港を出航し、海風が頬をなぶる。
    「学園に呼ばれた当時私お兄ちゃんを探しててさ」
     兄、行方不明だったのか。なんだか性格的同類の予感がする。
    「そもそも私がどっかの時代にお兄ちゃん飛ばしちゃったことが原因なんだけど」
     少女は困ったような笑みを浮かべたが、リソルの内心は大荒れだ。
     ツッコミどころが多い。どこからつっこんでいいのか分からない。
     よく考えれば最初の段階で暮らしていた村を燃やされたと言っていたので、それで各々行方不明になったのだろう。それは納得するがどっかの時代に飛ばすとは?
     アストルティアにはバシルーラという魔法を使う一族がいる。彼女らは古の呪文、ルーラに近い魔法を使うことができる。そういった転移呪文ならば理解はできるが時代? 時代とは?
    「お兄ちゃんどこにいるか分からなかったから、学園でお兄ちゃんの姿でいれば知ってる人が声かけてくるかなって思って」
     少女の瞳に悲しみの色が宿る。それは結局、いなかったからだろう。
     というか封印状態の学園で人探しする方向性ってどうなのか。
    「結局私お兄ちゃんに時の呪いをかけちゃったみたいで色んな時代を転々としてたみたいなんだけど。まあ、今は魔仙卿になって帰ってきてるし」
     なんかさらに爆弾を投下された。
     は? 兄が魔仙卿? あの魔界最長老の魔仙卿?
     今更だが少女は人間である。人間の少女の兄も人間のハズ……いや、血が繋がってないって言ってたから他種族の可能性も……?
     リソルは混乱してきた。メダパニをかけられたわけでもないのに通常の会話で状態異常にさせるのは普通におかしい。
     いやコイツ普通じゃなかったとリソルは己を奮い立たせた。
     そういえば薬錬金して貰おうかとか言っていたし所在わかってるからこその発言か。ちょっと、ほんの少〜しだけ心配して損した。
     いつも通り呆れたようなため息をついて、おなじみとなった天邪鬼な言葉のひとつでも返すかと思い少女を見れば、その顔色は紙になっていた。
     若干青みがさしているのが怖い。というか、顔色が悪い。
     普段からよくはないが輪にかけて悪い。
    「……酔った」
     弱々しく微笑む少女に、リソルは再び特大のため息をついたのだった。まだ出航して三分の出来事である。
     幸いにして外界ではなく内海の短い船旅だったので、それ程時間はかからなかった。
     リソルはその間ずっと頼りない背中をさすり続けることとなったが、最早無の境地だった。
    「かえりはぜったいがくえんのいしでかえる……」
    「……学園の石とかあるんだ」
     普通はグランゼドーラ港からの直通便のみなのに、結構な優遇措置だ。いや、寮に部屋がなく唯一の通学生なので仕方ないのかもしれない。そもそも入学試験なしの特例なのだし。
     学園長のお気に入り、という言葉が一瞬脳裏をよぎるが、今更だという気になってどうでもよくなった。そもそも魔界で魔王たちから愛されまくっているのだ、ひとたらしは今更である。
     少しだけ、いや、かなり嫉妬してしまうのは仕方のないことだ。リソルは独占欲が強い。
     無自覚に厄介な人物をホイホイしてしまうのだから、リソルはこれからあれやこれや必死に頑張らねばなるまい。惚れてしまったのが運の尽きなのだ。
     以前からあるじの背後で根回しに走っていたので、お手の物になっていたのは幸いか。
     それに最大の幸いは少女がリソルのことを愛してくれているということに尽きる。絶対に目移りなんてさせないし、この先もリソルだけのものにするつもりだ。今から地道な努力が欠かせない。
     どうしてこうも手のかかるひとを好きになってしまったのか。リソルは世話焼き気質ではないというのに、あるじといい恋人といいやたらと自由人なのはなぜなのか。
    「そもそもアンタすごい石持ってるって聞いたけど、なんでそれで行かないの」
     船が滑るように停泊した浜辺を見下ろしながら、リソルはため息をつくように文句を言う。
     せっかくのデートなのだから体調を悪くされたら元も子もない。
    「りそるくんとふなたびが、したかったんだもん……」
     拗ねたように返された答えに、リソルは今度こそ特大のため息を吐き出した。可愛いかよ。ずるい。
    「楽しめなかったら意味ないでしょ。今度から酔い止めとか服用してからにしてよね」
     元気のない姿は、どうにもリソルの心をざわめかせる。元からけろりとした掴みどころのない人物なのだ。弱みなんて表立って見えない。
     現在彼女を苦しませているのは自身の三半規管というなんとも自滅的なものだが、それさえも気に食わないのだから本当にままならないものだ。
    「わぁ!?」
     船が完全に停泊したのを確認して、リソルはひょいと少女を担ぎ上げた。
     色気も完全にない子供を抱き上げるような片腕抱っこだが、酔っている人間に荷物担ぎや姫抱きは辛いだろう。これも普段しない配慮というやつだ。
    「地面の上なら揺れないでしょ。船の上より陸のほうがいい」
    「じしん……」
    「そういう特殊なこと言わないでよ。アンタ散々巻き込まれてそうだけど」
     散々墜落している前科持ちなので、少女はしっかりと口を閉じた。黙秘、だいじ。
     ここでうっかり口を滑らせれば、きっと特大の「はぁ!?」を聞くことになる。
     打ち寄せる波さえも見ていて気持ちが悪くなるらしい少女を抱え、リソルは示されるままに北へと進路を取った。
     幸いにして整備された道がすぐに伸びていて、休憩は行き着く先でとることにしてスタスタ歩いていく。
    「揺れるけど大丈夫なの」
    「うん。なんか、ここちいい」
     リソルにからだを預けた少女は、甘えるように肩口に頭を乗せて擦り付けた。なんだか役得だ。
     学園での姿だったらきっとシュールな図になっていただろう。リソルはそうだったらどうするかを考えて、結果おぶるだろうなと思った。なんだかんだ甘い気がする。
    「あー、くうきがおいしいー」
     見渡す限り不思議な植物が生えている道程は、確かになかなかに爽快だった。
     流れる小川も澄んでいて、くるぶし程までと浅い。
     水が豊かな土地なのだろう、続いていく道にはたくさんの橋がかけられている。少女の実家は村のはずだが、橋はやたらと立派な石造りだった。
     のんびりと歩いていくと、見えてきたのは村ではなくやたら立派な壁だった。見張りの兵士がふたり立っている。
     少女を腕から下ろしながら、リソルは少女に問いかけた。
    「……ねぇ、エテーネに行くって聞いたんだけど?」
    「え、エテーネだよ? 私の実家あるよ?」
    「村燃やされたって聞いたんだけど?」
    「村は燃やされたけど復興したよ?」
     復興……したらこうなるのか? いやならないだろう。
     そびえ立つ壁を見ながらリソルは心の中でツッコミを入れる。
     わちゃわちゃとやり取りをするふたりを兵士たちはのんびりと眺めている。知り合いだからか?
    「いいから行こう。開けて」
     少女の指示に従って兵士たちが門を開けば、そこは魔界さながらの別世界だった。
     円形のすり鉢状に配置された街並みは不思議なものに溢れている。リソルのあるじが入手すれば目を輝かせること間違いナシの品々だ。
     水が豊富なのか水路が張り巡らされていて、水道橋からもざばざばと水が降り注いでいる。
     段々と段が低くなっていき、中央部には巨大な砂時計が鎮座していた。その砂時計もよく分からない蒸気のようなものを纏っている。
     街並みには活気があり、所々から聞こえてくる売り子の声はどうやら錬金術、というものを謳い文句にしているようだ。そういえば少女も兄に錬金して貰う、と言っていたのでエテーネでは当たり前の技術なのかもしれない。
    「見せたいものはこっちなんだ」
     当たり前にリソルの手を握って引っ張る。着いた時には船酔いで死にかけていたくせに復活が早い。
     緩やかな坂道になっている通りをぬけて、小さな橋を渡り、くるくると飾りなのか円形の物体が回る砂時計へ向かった。砂時計の足元は花壇になっていて色とりどりの花々が咲き乱れている。
     周辺にはベンチも配置されていて、憩いの場となっているようだった。
     砂時計の先には鉄柵で出来た門があり、ここにも兵士たちが配置されている。
     どう考えても立ち入ってはいけない重要機関だろうに、少女は迷いなく兵士たちに開門を要求した。素直に通す兵士たちになんだか目眩がした。
    「ここは?」
    「ん、軍区画だよ」
    「……ぐん」
     なんだろう、やっぱり村に相応しくない……。村から国に育て上げたのだろうか。いやでも、本人は村長していると言っていたので、この規模だと国家元首してる、とか言われないと通じない。
     キィと金属音を立てて柵が開き、当たり前に招き入れられる。なんだろう、なんか負けた気がする。
     迎え入れられた軍区画は正面に建物があり、左右に伸びる道の先に小さな小屋のようなものがあった。向かって左側は小屋で、右側は何やら碑があるようだ。
    「お」
     少女の名前が聞こえて声の方を向いて、リソルははっと息を詰めた。
    「お兄ちゃん!」
     碑のほうから歩いてくるのは学園で見慣れた姿だ。なんてややこしい姿にしてくれるんだと少々恋人をなじりたくなる。
     というか、この人物が魔仙卿。世界は不思議に満ちている。
     ととと、と駆け寄って、満面の笑みを浮かべる少女。気に食わない。
    「メレアーデに会いに?」
    「いいや、ゼフさんたちに会いに来たんだ。そのついで、といったらなんだが、クオードにも挨拶にな」
    「ふふ、クオードツンデレだから素直に喜ばなさそう……わぁ!?」
     知らない話が気に食わなくて、少女の腕を引っ張る。少女はそのままリソルの胸に背をつけた。
    「行くとこ、あるんでしょ」
    「……うん。またね、お兄ちゃん!」
     拗ねたような姿を見せているのが心底腹立たしい。リソルの嫉妬に気づいているらしい少女の口元がもにょもにょしているのも癪である。
     ばいばいと手を振って少女が足を向けたのは碑とは反対の建物だった。
     小屋として過ごすには若干狭い円形の部屋は、もしかしたら階段で地下にでも繋がっているのだろうか。重要な場所らしく、ここにも見張りの兵士が立っている。
     軽く挨拶をしながらあいもかわらずの顔パスだった。そもそも顔が広く、人をたらしこんでやまない人物だ。特に権力者や有力者に可愛がられる傾向にあるらしく、アストルティア各地、各国に顔が効く。このくらい当たり前なのだろう。複雑な気持ちだが。
     案内された部屋は見た目通りにそれ程広くはなかった、が、階段などは存在せず、ただだだっ広い部屋があるだけである。調度品もなければ倉庫でもないらしい。
    「ここはね、転送の門っていってね」
     「えーっと、座標はぁ、っと」と呟きながら何かを操作したかと思うと「いこっか」と部屋から出るように促される。
     この部屋への用は何だったのかさっぱりと分からないが、促されるままに扉を開けて広がった光景にリソルは閉口した。
     同じ建物から出たはずなのに、視界にあるのは美しく手入れされた庭だ。ブランコや子どもが楽しむ小さなアスレチックがある。
     庭には川も流れていて、水路を跨ぐようにして小さな橋がかかっていた。
     橋を渡れば正面に瀟洒な東屋があり、白い柵で囲まれた右手側には海が広がっている。
     左にあるのは白亜の邸で、どう見ても豪邸である。魔界の貴族であるリソルでも分かるくらいにこの邸はとんでもない。
     さすがの少女とて勝手に他人の邸にリソルを連れてくるのはマズイのでは、と思ったところで掃除をしていたメイドがこちらに気づいて顔を上げた。
    「まあ、お嬢さま! おかえりなさいませ!」
     おじょうさま。……お嬢さま?
     リソルの脳内が理解に苦しみショートしかける。どう見ても隣にいる少女はお嬢さまと呼ばれるような人物に思えない。
     一瞬リンベリィを頭に浮かべたが、あれはあれで特殊である。
    「パドレさまとマローネさまはいつものお部屋に……あら?」
     にこにこ笑顔のメイドがリソルに気づき、声を上げた。
    「お客さまでしたか。失礼致しました」
    「いきなり連れてきたの。ごめんね」
    「いいえ。ここはお嬢さまのご実家なのですからいつでも歓迎致しますわ」
     どうしよう、話に全然ついていけない。情報量が相変わらず多すぎる。
     少女はエテーネに行くといった。リソルの知るエテーネは村で、過去に燃やされたと聞いている。
     だが実際に来たエテーネは、どう見ても規模が村ではなく国家である。しかも燃やされてから復興したとしても技術力の進歩が凄まじい。
     リソルは確かに「アンタの実家か」と言った。そして、メイドが言うにはこの邸は少女の実家であるらしい。やっぱり意味が分からない。
     宇宙猫になりつつあるリソルは、話を打ち切ったらしい少女に導かれるまま開かれた邸の扉をくぐった。
     ゼクレスのリソルの邸よりも広々として、財力の差を感じてしまう。リンベリィならばフンと鼻を鳴らしそうだが、さすがに悔しがるとは思う。負けを認める気はしないが。
     邸は軍区画と同じように左右の棟に別れているらしく、エントランスには立派な階段が鎮座していた。
     少女に手を引かれてリソルは絨毯の敷かれた廊下を歩く。
     少女が向かったのは階段を正面として右側の棟だった。
     棟は円形に作られているらしく、ぐるりと部屋を一周すると階段が現れる。下り階段のようだ。
     すれ違う使用人たちは皆、少女をお嬢さまと呼び、それが当たり前であるかのように振る舞う。お嬢さま、だいぶん破天荒だが大丈夫なのだろうか。貴族らしさは微塵もない人物なのだ。
    「ここは私のパパが所有する邸で、人工浮島パドレア邸って呼び名なの。同じような邸がもう一軒あって、そっちはドミネウス邸っていう、パパのお兄さんの邸ね」
     同じような屋敷がもう一軒……リソルは目眩がした。
    「アンタ、いいとこのお嬢さんだったんだ?」
    「えへへ、村娘だったんだけどなぁ」
     村娘とは……? この光景からかけ離れすぎていて全くの理解不能だ。とはいえ、少女はお嬢さまよりも村娘の方があっている気がする。
    「最近知ったんだけど私ね、この邸で産まれたらしいんだ」
     外にあった遊具類は少女の為のものだったのだろう。だというのに、経年劣化があまり見られなかったのが不思議だ。
     というか、最近知った? 産まれたらしい?
    「話があんまり見えないんだけど」
    「へへ。ちょっと話すと長くなるけど、ざっくり言うと赤ちゃんの時に行方不明になって村で暮らしてて、村が焼かれて冒険に出た先で私がこの家の子だって判明したの」
    「ってことは、ここはエテーネじゃ……」
    「ううん、エテーネだよ。エテーネ村、じゃなくて王国、の方だけど」
     イタズラが成功した子どものような顔をして、少女はにっこりと笑った。
     リソルにはエテーネ村とエテーネ王国の違いがサッパリわからないが、そこを詳しく掘り下げるとややこしそうである。
    「この島もエテーネ島なのは確かだけど、大エテーネ島って呼ばれてるの」
     ぽんぽんと種明かしをしながら少女はぐるぐると円形の廊下を回って階段を下りていく。勝手知ったる実家なのだろう。愛着が湧くほど暮らしてはいないようだが。
     最後の階段を降りると、正面に盾のオブジェが飾られていた。
     オブジェを正面に向かって右側に緩やかな階段があり、突き当たりを左に折れた先には物置部屋があるようだ。
    「ここが来たかった場所だよ」
     物置部屋は暗く、天井が少し高めで、ロフトのようになっている箇所が幾つかあった。ハシゴがかけられていて、そこから登っていくようだ。
     だが、リソルに見せたかったのであろう景色はそれではない。
     石造りの床に青く美しい光がゆらゆらと揺らめいている。
     旅の扉や、回復の泉のような明るくきらきらとしたものではない、穏やかに揺蕩い、その形をゆうらりと変えているものだ。
     まるで揺らめく水面をそのまま写し取っているかのよう。
     光が差し込む先には手前に二重に重なる車輪のような区切りのある、巨大な格子窓のようなものが設えられていた。そこから海の水が光と共に入ってきてここでゆらゆらと揺らめいているのだ。
     隙間から見える海中は美しい青一色で、リソルの知る魔界のものとは全然違う。それでなくとも海というのは魔界においで危険な場所だ。
     惹かれるように海中を眺めれば、巨大な亀のようなものがすいと泳いでいく。ウミガメに近いが、ウミガメではない。
    「ああ、アーケロンだね。古代の亀だよ」
     なんかまたパワーワードが増えた、などと思いつつも目が離せない。
     魔族とは、青い海に惹かれる性質でもあるのだろうか。
     食い入るように見つめるリソルに少女が手招きをする。その先にはハシゴがあり、どうやら上に行くようだ。
    「上見ないでね」
    「見せてもいいって言ってたのはどこの誰だよ」
     グランゼドーラ港でぴょこぴょこ跳ねていた少女を窘めた頃が懐かしい。
     あの時のリソルは、こんなところに連れてこられるなんて夢にも思っていなかった。
     ハシゴの先の木の板の上は、先程のひんやりとした石造りの床と違って幾らか居心地がいい。
     巨大な窓はハシゴを登ってもまだ大きさがあるらしく、もうひとつハシゴを登ってもなお存在するようだ。
    「まるで秘密基地みたいでワクワクしない?」
     確かにこれが家にあったら子どもならばワクワクしただろう。リソルは子どもでは無いが、少し冒険心が擽られる。
    「元々邸は空の上を飛んでてね、空の風景も綺麗だったよ」
     じっと飽きもせず海中を眺めるリソルに、少女は相変わらずストックの尽きない爆弾を投下してきた。無尽蔵すぎて怖い。
     空の上に存在する邸だなんて、さすがのリンベリィも歯噛みしそうで次元が違う。
    「アンタ、ほんとに何者なの?」
     少女を言い表す称号は、リソルが知らないだけで数多あるのだろう。
     よく耳にする英雄という言葉。勇者の盟友という噂。魔界の大魔王だとあるじに聞く話。今し方知った産まれのこと。
     世間が知らぬだけで、色々なところで活躍しているのだろうことも、なんとなくは分かっている。本人は決してそれを鼻にかけたりしないのだ。当たり前のことだと笑うだけ。
     だというのに。
    「ふふ、リソルくんの恋人だよ」
     少女が出した答えに、どうしようもなく愛おしさが募る。
     にこにこ笑う少女。リソルは少し考えあぐねてから、リソルを翻弄してやまない小さな口を、生意気な唇で乱暴に塞いだ。
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