或語部の追想 幕府より任ぜられた仕事を全うし、引退して六年、京から江戸に移り住んで二年、終の棲家と定めた邸に客を招いた。
朗らかな若者は私に初めて会ったとき、己を物書きだといった。差し出された名刺には、出版社と雑誌名、そして青年の名前が記されていた。あちこちから話を聞いて、攘夷志士の記事を書くのだという。何故今更と聞けば、今こそ必要なのだと真剣な目をこちらに向けてきた。柔和な面差しと輝く目が、どこか私の元を去った三男坊に似ていた。だから気が向いたのかもしれない。日を改めさせて、邸に迎え入れた。
招かれた青年は緊張しているのか、客間をきょろきょろと落ち着きなく見渡していた。私が椅子をすすめると、恐縮したその姿勢のままちょこんと座る。それなのに、私が対面に腰掛ければ、ごそごそと手帳と筆記具を取り出し、今にも身を乗り出さんばかりだ。失礼ではあるのに何処か仕草には愛嬌があり、憎めない青年だ。
何の話を聞きたいのかと問えば、はきはきした口調で、攘夷四天王のことだと言う。予想はしていた。何故ならば十年昔、私は風前の灯火となっていた反乱の鎮圧に、幕府側として関わっていた。青年はその話を何かの伝手で聞いたのだろう。
――さて、どこから話したものか。そうだね、年若い君にとっては十年など昔話だろうが、私にとっては昨日の話と然程変わりはしない。むしろ、もう十年と言われるほどになったのかと驚いている。
君は攘夷四天王の話を聞きたいと言っていたね。私は戦場にて相対する立場でこそなかったが、彼らには相当手を焼かされた。もう倒幕運動は下火となっており、世間の風は幕府の決定に従っていた。散発的な反乱運動があちこちで起こっていたが、たちまち幕府の軍隊に鎮圧されていた。そんな中、天人の傭兵部隊までもが駆り出されていたのは、あの四天王相手くらいだっただろう。
四天王について、どこまで知っているかね。狂乱の貴公子・桂小太郎、鬼兵隊総督・高杉晋助、桂浜の龍・坂本辰馬、そして戦場を駆ける鬼・白夜叉――。
すまないが白夜叉についてはね、私もほとんど知らないんだよ。私は戦場に出る立場ではなかったし、相対したものは誰も帰ってこなかったのだから。聞いたところによれば、白夜叉は軍を率いていたわけではなく、戦場に一人現れ、去った後には死体のみが残っていたという。まるで死神――神出鬼没の、人でなきもの。故に白夜叉と称されたのだろうね。
その他については、ある程度は後方にも情報が降りてきた。まずとにかく軍の士気が高くて、誰一人投降しないんだ。影では、私を殺し死を恐れない、あれこそ侍だと感心する者すらいたんだよ。特に高杉晋助率いる鬼兵隊の面々と言ったら、統率のとれ方といい、一人ひとりの力といい、背負った気迫といい、傭兵種族辰羅にも似た恐ろしさを感じたよ。それもすべて高杉晋助という御旗があってこそだというから驚きだ。対して年の違わぬ――もしかしたら年若の人間に、どうしてそこまで心身を尽くすことができるのか。同じ大義や理想を背負っているから、だけで説明がつくとは私には思えない。
――そう、彼らは人を惹きつけた。それがまた危険だったんだよ。勝ち目の見えぬ戦いだというのに、彼らのもとには人が絶えなかった。ほとんどが負け戦だ。逃げ出すものが居てもおかしくはなかった。だのにどういうことだろう。君も知っているように、彼らは一年を超えて戦い続けられた。天人の傭兵部隊まで投入していたんだ。こちらだって決して舐めてかかっていたわけではない。本当に驚異的な存在だったんだ。
まあ今でこそテロリストとして桂小太郎、高杉晋助が世間を騒がせているが、あのころの――例えば鬼兵隊の面々などは捕縛されて皆、死刑となった。そうせざるを得なかったんだよ。攘夷四天王だけでなく、魅せられたものたちを根絶やしにしなければならなかった……。
私は息をはき、話を一度途切れさせる。こちらに相槌を打ちながら、熱心に手帳にメモを取っていた青年にお茶を勧めた。彼は一度、こちらをまっすぐに見つめてから、湯呑みを手に取った。私は彼がお茶を嚥下するのを確認する。
喉をならした数秒後に、彼は口元を抑えた。何かを吐き出そうとしようとしたが、それはかなわず前のめりに倒れ込む。間をおかず、胸に手をやり苦しみだす。見上げる目は、何故、という訴えを私に投げかけてきた。
「欺けていると思ったのかね」
私の声に、青年が目を見開く。
「あの方が私に教えてくださった。最近幕府の狗が周りを彷徨いていると……」
細面を見おろした。苦しみ藻掻きながらも絶望には陥っていない目だ。そこまで、とてもあの子に似ていると思った。
三男坊は戦場で死んだ。私の倅にしては、優しくまっすぐな男だった。攘夷思想にかぶれるあの子に、勘当を叩きつけたのは私だった。次に会ったときは、まっすぐな目のまま、首だけで河原に晒されていた。あの子の行方を聞きつけて、金をまわし、伝手を頼っていたが、天人の言いなりの幕府のもとでは全て無駄だったのだ。家内は伏し、程なく世を去った。気力をなくし、幕府を離れた私に声をかけてくださったのが、あの子の隊を率いていた――高杉晋助様だった。
青年の身体には毒がまわったのだろう。顔を横に向けて転がり、口の端からよだれを垂らしながら、痙攣をしている。これ以上、あの子に似た苦しむ姿を見るのは忍びなかった。そっと、隠し持っていた小刀を取り出す。首に向けて振り下ろした。
肉に刃の刺さる感触、しかし、目に見える光景は私の予想と違っていた。青年は左腕を前に出し、刃を前腕部で受け止めてこちらを見据えている。
「――ヒトゴサンマル、吉村、傷害容疑で現行犯!」
はいっと短い返事が後ろから聞こえたかと思うと、羽交い締めにされた。手から小刀がはなれる。
「貴様……」
ひょいっと起き上がった青年は、刃が刺さったままの左腕を上げた。先程までの苦しみようは影も形も見えない。
「篠原、現場保存」
はい、と静かな声が部屋の奥から聞こえる。まるで狐につままれたような心地だった。わなわなと身体が震え、頭に血が上っていく。
「おのれ……最初から……」
震える唇でそれだけをつぶやく。彼の静かな目が、こちらを見下ろしていた。
◇◇◇
「――と、いうわけです。既にヤサとしての証拠は引き上げられてましたが、あの伝手をたどるのは向こうも諦めるでしょう」
「そうか」
山崎の報告を聞く土方が、細く長い煙を吐く。副長室に煙分の沈黙がただよった。
「……腐っても元幕臣。見廻組がお手つきする前にとはいえ、焦りすぎました」
申し訳ありません。山崎が頭を下げる。
「まあいい。尻尾こそつかめなかったが、今回は牽制も兼ねての捜査だ」
土方は灰皿にまだ余裕のある煙草を押し付けた。目の前に置かれた報告書の一枚をとり、一枚を山崎に返す。
「こっちを近藤さんに回しておく。お前は下がれ」
「はい」
山崎は残された薄い紙の書類を手元に引き取ると、失礼、と一声かける。くしゃっと丸めると灰皿の上に乗せ、取り出したライターで火を付けた。紙は花開くように燃えていった。すべてが灰になったのを見届けると、いつの間に用意していたのだろう、新しい灰皿と取り替える。
「では」
灰の積もった皿を右に引き取ると、山崎は膝をするようにして下がる。土方の方を向いたまま一礼し、後手に襖を開ける。一連の動作は滑らかで、報告にあった怪我などないかのようだ。土方が訝しげな顔になっているのに気づいた山崎が、一度止まった。左を前に出し、ふ、と笑う。
「だいぶ、爺さんでしたからね」
「……そうか」
ではこれで、と襖向こうに消える部下を見送った後、土方は新しい一本に火をつけた。