桜 家でのんびりゲームをしていたところ、緊急だと呼び出されたドラルクが退治人ギルドへ赴けば、そこは大宴会の真っ只中だった。
「ああ、ドラルクさん。お待ちしてました」
「緊急だというので来ましたが、状況説明はしてもらえるんですか?」
「見ての通り、宴会中です」
「ヌヌヌヌヌン」
「ロナルドさんなら、ポールダンスの真っ最中ですよ」
「何一つわからん」
「難しく考える必要はありません。要するに吸血鬼が出ただけです」
「それらしい姿は見えませんが」
「騒ぎの中心でマリアさんに絡まれてますね」
「わあ。お気の毒」
ひどく盛り上がっている退治人たちから距離を取るよう近寄ったカウンターでマスターに話を聞いても今一つ理解に及べないドラルクであったが、緊急という割に危険性のなさそうな状況に、ひとまず肩の力を抜いた。普段ほとんどロナルド経由でしか連絡を取らないような相手からの呼び出し──ましてや、ロナルドが不在の状況──は、少なからずドラルクの心に不安を落としていたのだ。
考えていたような心配の種がないとわかれば、この状況も少なからず楽しむことができるだろう。そう考えたドラルクは、改めてギルドの中を見回した。何人もの退治人が一箇所に集中していることを除けば、普段通りに見えなくもない店内。しかし、今夜一際目を引くのは、目立つ衣装の退治人たちではなく、店内の床や家具を覆う勢いの薄桃色だった。
「この花びらが吸血鬼の能力ですか?」
「ええ。これがなかなか面倒な能力で」
「ふうん」
カウンターに、ひらりと一枚舞ってきた桜の花びら。夜桜を見に出かけたことを思い出しながら何の気なしに指先で触れた途端、ドラルクは両の瞳からポロリと涙を零していた。
「ヌヌヌヌヌヌ!?」
「え? うわ。なんだコレ」
「ヌヌヌヌヌイ?」
「平気だよ。どこも痛くない」
「落ち着いてください。これが吸血鬼の能力なんです」
「相手を泣かせる力?」
「いえいえ。自分の喜怒哀楽を、相手に擦り込ませる力ですよ」
「地味に嫌だな」
今夜新横浜に現れたのは、吸血鬼・感情を桜の花びらにのせよう。名前の通りに自分の昂った感情を桜の花びらにして放出する吸血鬼である。どことなくゼンラニウムを彷彿とさせるような能力だが、ゼンラニウムと異なるのは、その花びらに対象が触れた時の症状だ。この吸血鬼が振り撒いた花びらに触れた者は、もれなく花びらに籠められた感情を己のものとして受け取ってしまうという。先ほどドラルクが急に涙を流したのもそれが原因だ。
「通報があって駆けつけた現場は、それはもう酷い有様だったようで。事態を重くみたショットさんとサテツさんが吸血鬼を拘束しギルドへ連行。その場に落とされた花びらを他の退治人たちで掃除することでその場は収めましたが、掃除中に花びらに触れた退治人たちも泣いて震えて怒って泣いてと散々だったと」
「いつもみたいに麻酔弾で眠らせてしまえば良かったのに。うちの若造はどうしたんです」
「そのロナルドさんが望んだんですよ。VRCが到着するまでギルドで精神を宥めさせようと」
「ロナルド君が?」
「俺がなんだよ」
「おやロナルドさん。演目は終了ですか」
「一種類しかありませんから」
カウンターに座るドラルクの隣に、軽装のロナルドが腰を下ろした。見たところ怪我もなく、疲弊している様子もない。
「接待の趣味でもあったなら、ウチで存分に披露してくれていいんだぞ」
「なんで俺がお前の接待すんだよ」
「じゃあ宴会がしたかったの? 言ってくれれば一族総出で盛り上げるのに」
「違うわ」
「なら、どうして桜の吸血鬼をここに連れてきたの?」
「ああ、その話か」
一つ頷いたロナルドが、盛り上がりの中心へ視線を向けながら頬杖をついた。
「自分の思惑に関係なく、他人の感情を左右しちまう能力ってのは、生きづらいだろうと思ったんだ。もし、これから何か辛いことがあった時、誰にも励ましてもらえないとか嫌だろ」
件の吸血鬼は、自分が怒っている時に放出した花びらに触れた者へ怒りの感情を。悲しんでいる時に放出した花びらに触れた者へ悲しみの感情を植え付ける。つまり、己が嘆き悲しんでいる時に花びらを振りまけば、周囲にいる誰もが同じ悲しみを味わうことになるのだ。
ロナルドは、それを回避させたかったのだと静かに微笑んだ。
──それは、自分も励ましてほしい時があると言ってるようなものだぞ。
ドラルクは胸中に渦巻いた気持ちを吐露するか寸前まで悩みに悩んで、なんとか心の奥底へ沈めることに成功した。ロナルドに対して言いたいことは山のように出来上がったが、それはここでする話ではない。家に帰って、彼と二人。誰にも邪魔をされない場所でじっくりと聞き出さなければならない話だと理解しているからだ。
なので、あえて普段通りの声色で煽るようにロナルドの腕を突っついた。
「ところで酒は飲んでないにしろ、あれだけ盛り上がってるなら退治人は誰も花びらの被害に遭わなかったのかい?私ですら涙した強烈な感情だったが」
近くに舞い降りた花びらをドラルクが一吹きしてみれば、大袈裟なくらいに腕を跳ねさせたロナルドが俊敏な動きで立ち退いた。
「んなわけあるか! 全員涙枯れ果てた後だわ!!」
「なのにあの大騒ぎなの!? タフだな君ら」
よくよく観察したロナルドの目元は、確かに赤くなっている。ポールダンスで頭に血が上ったものだと思っていたドラルクは、それならそうと早く言えとマスターに保冷剤を注文した。
「流石ですドラルクさん。こちらが言う前に動いてくださるとは」
「え?」
「あなたをお呼びしたのは、退治人たちの介抱をお願いしたかったからでして」
感情の読めない笑顔を向けられ、ドラルクは差し出された保冷剤も受け取らずカウンターから腰を浮かせた。隣のロナルドの手を掴むのは勿論忘れない。
「帰るぞロナルド君!!」
「VRCが来たらな」
「チクショーーー!!」
花びらに触れずとも喜怒哀楽の激しいドラルクは、このあと明け方近くまでギルド内を奔走させられた。