Birthday Eve「そういえば、あんた来月誕生日よね」
秋も深まったある日に、歌姫はふとそう口にした。本当に何気なく、そこにはなんの他意もなかった。
でも五条の反応が、歌姫の予想以上だったのだ。
「……え」
驚いたように、五条はコーヒーカップをテーブルに置いて歌姫を見た。その日は二人で街に出て映画を見て、その後カフェでお茶をしていた。そんなふうに二人で出かけたり、何を話すでもなく一緒にいたりということが大分板についてきた頃だった。
「……歌姫、俺の誕生日知ってたの?」
「……いや、去年夏油とか硝子が祝ってたから……」
五条は目を見開き、口もとに手を当てた。
「……知ってると思わなかった」
心なしか五条の頬は赤らんでいた。歌姫はちょっと焦っていた。え、こいつなんでこんなに照れてるの。
「なんかすげー嬉しい」
五条は照れた表情のままそう言った。
「……いや、そんな嬉しいのがわからないんだけど」
「好きな人が覚えててくれたら嬉しいっしょ」
好きな人。
五条が何気なく口にしたであろうその言葉に、今度は歌姫が照れてしまう。自分が五条の「好きな人」で「恋人」であることが、まだなんとなくむず痒かった。
「……もしかして、なんか祝おうとか考えてくれてる?」
「……え?ええ、まあ、もちろん……」
まずい。今出すべき話題ではなかったかもしれない。歌姫は本当にふと思いついて口にしただけで、何か具体的なことを考えていたわけではなかった。しかし期待のこもった目で歌姫を見る五条を前にするととそうも言えず、
「……その、もし、何かあんたがしてほしいことがあれば……」
と、かろうじて口にした。それを聞くと五条は目をキラキラさせながら、
「ある。歌姫に、してほしいこと」
そう言った。歌姫は背中がひやりとするのを感じていた。五条がしてほしいこととはなんだろう。歌姫にできる範囲のことであればいいのだが。
「……誕生日の前の夜に、歌姫の部屋に行きたい」
五条が歌姫に「してほしいこと」というのは、それだった。
「前の夜?当日じゃなくて?」
そう訊き返すと、
「うん。前日の夜。日付が変わる瞬間に一緒にいたい。それで、誕生日になったら一番に、歌姫におめでとうって言ってほしい」
それ以外はなんにも要らない。五条はそう言った。
歌姫は少しホッとしていた。まあ、それぐらいなら。
「……いいわよ。じゃあ、そういう風にしましょ」
「本当?」
「うん。本当」
「……うわ。すげー嬉しい」
五条は幸せそうに笑うと、テーブルの上にあった歌姫の手をそっと握った。ああ、無理な要求じゃなくてよかった。歌姫はそう思った。それに、幸せそうな五条の表情を見ると、歌姫まで何だかほわりと胸のあたりが暖かく感じた。誕生日に恋人に望むことがたったそれだけなんて、なかなか可愛いところもあるじゃないか。
その瞬間は、本気でそう思っていたのだ。