たばこ※探偵パロ泥庭 床に所狭しと物が転がっていて散らかり放題というわけではないが、部屋の主人が思いつきのままに行動するだけして後片付けをしない(し、助手として雇用されている体だが実質雑用係か使い走りに近い身分のピアソンも、お世辞にもきっちりとした性質ではないので、主人に放り出されて床に転がっているものを、とりあえず上に上げておく程度のことしかしない)ことから、依頼人を通すというにはどこか雑然とした雰囲気の事務所は、今は無人だった。昼下がりの黄味がかった陽光が窓から差し込んで、卓上に積まれた諸々の書類や、厚手の本の表面を焼いていた。
出入口近くのコート掛けからは例のインバネスコートが消えているから、事務所の主人たる探偵は、どこかへ出かけているのだろう。ピアソンは昨晩の夜遊びが祟って、午後になってからようやく、屋根裏に置かれた彼のベッドから起き出してきたところだった。いつになく静かな事務所に降りてみると、そういえば、クリーチャーが一人で、この部屋に残されるのは珍しい(大概は連れまわされるか、そうでなければ、例の大家が憲兵か何かのように目を光らせているかのどちらかだった)。
あの娘もようやく、私を信頼する気になったのか。あくび混じりにそんなことを考えては、寝癖のついた硬い髪をばりばり掻き毟ってフケを落としながら、自分以外に人のいない事務所を新鮮な気分で見回したピアソンが、目をつけたのは小振りなパイプだった。彼の雇用主であるエマが、普段被っている鹿撃ち帽の上に引っ掛けているものだ。
それが今、彼女が普段使っている机の上に置き去りにされていた。なんだ、忘れ物か? というか、クリーチャーは常々疑問に思っていたことだが、あいつパイプ吸うのか? あの女が吸っている場面を、クリーチャーは見たことがない。なら、オモチャだろうか。それかアクセサリー? とはいえパイプ型というのは、ハットピンにするにしては可愛げがない形だ。ピアソンがそれを手に取ってよく見ると、サイズは確かに心許なくはあるが、木目は滑らかで、オモチャというには、よほど作りがちゃんとしているように見えた。宝飾品が埋め込まれている風でもない。
そこで、自分の上着のポケットを漁ってマッチの箱を取り出し、パイプに火を付けたのは出来心からだった。他人のものに口をつけるのに、今更躊躇するような上品な育ち方をしたピアソンではないものの、一応、雇い主のものを勝手に拝借するのだから、何より、まあ、バレないようにしなければ、という具合の心構えを新たにするために、ひとつ息を整えると、おずおずと躊躇いがちにそれを口元に持っていき、吸口を唇で浅く挟んで、吸い込む、と、激しく咳き込んだ。
タバコというより、砂糖掛けにした香辛料なんかを刻んで、中にたっぷり入れてるんじゃないかという風味があった。趣味の悪い香水、上品ぶったやつがやたらありがたがるが、口の中で下品なぐらいにべたつく異国の菓子の臭い、ゲーッ。ピアソンは甘たるい芳香を放つパイプを遠ざけながら、砂糖焼けした喉からあまたるい煙を追い払おうとゼイゼイとしきりに咳を繰り返していて、階下から登ってくる編み上げブーツの足音に気付かなかった。
程なくして、ガチャリと気取らない音を立ててドアが開き、出かけていたはずのエマが顔を出す。寝起きの格好で、片手に持ったパイプを自分から遠ざけながら咳き込んでいたところ、雇用主の予期せぬ帰宅を見てぎょっと目を剥かんばかりの有様になったピアソンに、「あら、起きてたの」と、彼女は普段通りの、見てる分には感じのいいぐらいの微笑みのままにそう言った。