ワルツの踊り方※探偵パロ泥庭 ピアソンの雇い主である、うら若き「探偵」――彼女が自らそう名乗る上、腕が立つというのか頭が切れるというのか、その職務遂行の場面を間近に見ることの多いピアソンに言わせてみれば、それは「イカれている」というのに近いのだが、兎角業績は確かに上げているため、「真理の令嬢」という二つ名までついている――は、珍しく安楽椅子に膝を揃えてちょこんと腰掛けながら、窓の向こうから差し込んでくる、秋めいた午後の日の光を一心に浴びつつ、インバネスコートを模したワンピースを通した腕で腕組みをしていた。可憐なぐらいのすらっと細い背中を丸めて、頬のそばかすに顎の輪郭の微かな丸みが幼気な印象を与える可愛らしいその顔を真面目くさったように硬くして、何かを考え込んでいる。
彼女が事務所の壁に立てかけられた藁のカカシ(この事務所を訪れる依頼人は必ず、事務所のインテリアとしては不気味の過ぎるそれを見るや否や、ぎょっと目を瞠る代物)を相手に話し込んでいたことを盗み聞きしたところによると、何でも、依頼人の領主の御婦人が、お忍び不倫のついでに近郊の村でやっているといういかがわしい催し――表面上は収穫祭の体を取っているらしいが――の現場を押さえる方策を練っているらしい。
「話し相手」のカカシを壁に立てかける程の事務所には「助手」を控えさせておくための椅子がないのもあってか、来客があるときには依頼人が座るソファにどっかり腰を下ろしていても咎めを受けたことのないピアソンは、だらしなく下がった口端に煙草を引っ掛けながら片膝に曲げた足を載せ、ブラシに靴墨をつけて履いている靴を磨きつつ(それは外見を整えることはそれなりに大事なのと言い出した彼女から渡されたものだったが、そもそもは彼女の主治医から彼女宛てに渡されたものらしい。たぶん、この女の靴を磨くためにあの女医が渡したもので、この女が「自分の靴を磨く」ということがピンとこなかったから、そのままクリーチャーに寄越してきたものだろうな、と、ピアソンは薄々察しがついているものの、他でもないクリーチャーが貰ったんだから、後であいつのブーツをどうにかする必要があるにしても、取り敢えず自分で使ってみるかというところだった。)、珍しく考え込んでいるようにも見える雇い主を横目で眺めてはいた。
しかし、それはあくまで「目の保養」として眺めていただけで、特段彼にアイデアがあるわけでもなかった。元はある程度「名の知れた」慈善家でもあった彼の副業は泥棒であって、「助手」として求められるのは、もっぱらその方面で培ったスキルである。他でもない雇い主が、クリーチャーにその場に潜行をしろと命じるならやってやるし、その分給料に色を付けろといったところだが、いずれにせよ、それは雇い主様のする判断であって、そこが決まる前から、私がとやかく言うことではない。クリーチャーは弁えている。
なので、彼が注意深く一方的に眺めていたところから、不意にエマが顔を上げて、目線がかちあったときはギョッとした。
「どうかしたの?」
鈴を転がすような声で尋ねられて、かえって安心する。『ピアソン君はどう思うの?』と、カカシを相手に話し込むときの声色で、意見を求められなかったからだ。この女は時々、クリーチャーになにか意見を言ってみるように言い出し、それが全く的を外していると判断すると、憐れむような目で私を見ながら溜息を吐くことがあって、クリーチャーはそれを不快に思っていた(彼女が言うことには、クリーチャーの反応を「普通はどう考えるのか」の目安としているらしいが、その度にこうも癇に障る真似をされるのも腹立たしい。)。
「なっ、な、なん、何でも、な、ないっ!」
た、たまたまだ、たまたま! 目が合っちまっただけだろ、と口籠りながら、ピアソンはトーンの明るくなった自分の靴を、仕上げにボロ布で磨くことに集中するフリをしたが、そろそろいいだろうかと恐る恐る顔をあげると、ニッコリと微笑んでいる彼女の青い目と目が合って、肋骨の内側で縮んでいる心臓がきゅっと跳ねる。これはよくない兆候だ。この女が、クリーチャーに向かって可愛く笑いかけてくるときは、ほとんどろくなことになった試しがない。
「ピアソン君!」
なんだクリーチャーに何か用か、そんなわけがないよな!? と言う具合に先手を挫いてやろうとピアソンが口を開いて二度三度酸欠の魚のするようにパクパクしているところで、淑女のようにというには稚いやり方で笑う雇い主が、先んじて彼を呼びつけた。
「ダンスはできる?」
彼女はそう問いかける口調で続けながら、ピアソンの返答を待たずに、それまで深く座っていた安楽椅子から弾みをつけて立ち上がると、出し抜けの質問に豆鉄砲を食ったような様子で目を丸くしているピアソンの顔に手を伸ばして、そこに手を添えるように彼の髭の生えた顎をじょりじょりと撫でて、「髭は剃った方が良いわね」と独り言ちている。
「いっ、居酒屋で、やるのなら……」
まあ、で、できなくも、なっ、ない、が、と、吃音のせいでどうにもたどたどしく続けながら、靴墨に汚れた布を握ったままの手で、さながら腰を掴むように宙を鷲掴みにすると、掴んだ宙に向かってへこへこと腰を押し付ける下品な動きをして見せれば、エマは一瞬目を丸くした後に、口をきゅっと噤むと、咎めるように首を振る。
「ステップは後で教えてあげるから、覚えてほしいの。」
「ほ、本気かよ……」
うら若い少女のような雇い主があくまでもピアソンを役に立てるつもりらしいことを見ると、彼は非難半分の溜息をもらす。これで見込み無しとなかったことにしてくれれば、それはそれでよかったようにも思う(そもそも、下層階級の出身に何を期待してやがる。という話だ)し、これの手を握って腰に手を回しても許されるというのなら、それはそれで役得だった。
「本気なの!」
ピアソンのため息交じりの声を揶揄うように高い声で続けたエマは、(ピアソンに言わせてみれば)頭の軽そうなくすくす笑いをしながら、事務所の奥にある自分の部屋に引っ込んでいく。そうと決まれば早速トランクでも取りに行ったのか。
それにしても、潜入先になるような如何わしい催しとはいえ、ペアで行かなければ目立つような畏まった場に行くのなら、「ウ、ウッズさんあんた、い、行くのはいいが、さ、先にさ、くっ、靴でも、み、磨いた方がいいんじゃないかい」と、ピアソンは文句を言うようにぶつくさと続けながら、煙草の火を来客用のローテーブルの天板の裏で揉みつぶし、吸い殻をシャツの襟の内側に引っ掻けつつソファから立ち上がると、部屋の奥に引っ込んだ彼女をいそいそと追う。
外聞もなく堂々と開け放たれている寝室のドアを、申し分程度にノックしながら入口に立って中を見ると、彼女はちょうどクローゼットから、ライトグリーンのドレスを取り出しているところだった。若く金に困っていない家の娘の着るように襟元や首元にフリルが施され、布地のなみなみと広がるようなスカートには黄色の薔薇飾りがあしらわれている。
ドレスを肩先に当てて見せながら、「前にね、先生が送ってくれたの!」と言う彼女を前に、ピアソンは微妙な顔をした――というのも、社交界との付き合いがどうのというには、手首足首の露出すらない、さながら令嬢のお出かけ向けのようなそれは、ピアソンが前に聞いているエマの年齢の割には、幼過ぎるのではないかと考えたからだ――が、田舎の収穫祭と言うのだから、夜会に出ると言う訳でもないんだろうと思い直す程度の能は彼にもあった。
一方のエマは、先生からの贈り物を見せびらかすのが随分楽しいらしく、助手が(一応ノックはしているが)寝室まで入ってきているのを咎めるでもなく、ライトグリーンのドレスをベッドの上に伸ばして見せると、「帽子と靴とね、日傘もあるのよ」と得意げにはにかみながら、花飾りが縫いつけられた鍔広の麦わら帽子と、スカートにあしらわれているそれと揃いの黄薔薇の模様が続く日傘、そして花飾りのついたエナメル靴を、白い箱の中から取り出して見せてくる。
あんたの年の割には幼いんじゃないか、と思うところを率直に口に出すかどうか暫く迷っていたピアソンは、それを見せびらかしてくるエマが得意げに笑い、いかにも同意しか求めていないように彼女の助手の目を覗いてくる様を承知すると、言いたいことを呑み込むように唾を飲んでから、「く、靴を磨く必要は、な、ないってこと、だな」とだけ言った。
エマの求めるようにその送り主を素直に褒めるわけでもない、何となれば無愛想なぐらいの助手の態度に、しかしエマはそう気を悪くした風もなく、「ピアソン君は、前に買ってあげたのを着てね」と何気なく返した。それが、「あまり薄汚いと悪目立ちする場面もあるわ」と率直に言う彼女が少し前にピアソンに買い与えた、新品であることがわかる労働階級のサスペンダーと、何の変哲もないチェックのスラックス、汚れのないシャツと形の整っているハンチング帽を指しているのだろうとピアソンにも理解はできた。
「そ、そそ、それは、かっ、構わないが……」
確か質に入れたりはしていなかったはずだと、不確かな記憶を思い浮かべつつ若干焦り気味に首を竦めるピアソンを見咎めるでもなく、エマは「ミラー夫人の“パーティー”は、仮面舞踏会の体を取っていると聞いているの。」と、話を続けた。
「だから、それにくり抜いたカボチャを被っておけば、少なくとも、ピアソン君だってことはわからないと思うわ!」
そうして、さもいいことを思いついたように、何の懸念もなさそうに微笑みながら続けるエマに、ピアソンは、いずれにせよ雇用主の考え次第であることを承知しつつも、「だ、だったら、ひ、髭を剃る必要も、な、無いんじゃないかい……」と、不満げに唇を尖らせた。