2Mr.ミステリーの探偵事務所に血相を変えて飛び込んできた巨躯の男はレオ・ベイカーと名乗った。改めて職業を聞けば工場経営だという。しかし、身なりからして彼の暮らしぶりは困窮しているのは明らかだった。
「軍需工場に変えてからというものどうにも上手く行かなくなったが、今はまだ我慢のときだということだろう……」と、自分でもその言い分を信じていない風に卑屈に笑うレオを相手に、Mr.ミステリーは(時期を見誤ったんだな)という程度のことを思うに留め、敢えてコメントはしなかった。
Mr.ミステリーが、かつて従事していた傭兵業を休止して私立探偵に勤しんでいるのも、まさに昨今の軍需産業の縮小による影響を受けてのことだというのは確かだが、それをわざわざこの依頼主に突きつけるまでもなく、それは、彼自身が一番良く理解していることだろう。
一人娘のリサと住んでいたという労働者向けアパートは、リビング、キッチン、洗面所、寝室と子ども部屋、それらをつなぐ廊下があるという間取りとしては平凡であるが、「人が住んでいる」にしては異様にがらんとして、一種の荒涼とした雰囲気さえあった。
色とりどりの督促状のちょっとした束が隅で雪崩を起こしている床の上には、かつて家具が置いてあった痕跡が目立つ。
その代わりに今の部屋に置かれているものは、机と椅子程度の最低限の家具のほかは、十字架を素地にした奇妙なシンボル、物々しい香炉。見慣れない意匠を拝んでいることからして、新興宗教に嵌まり込んでいるのだろう。
壁にはいかにもな額縁に入った奇妙なシンボルや救世主、取ってつけたようにそこばかりが典型的な聖母子の絵が、妻の顔だけがタバコの火によって消し潰されている家族写真や、子供の描いたのだろう絵と並んで、何枚もかけられている。
気が滅入るような内装に取り囲まれているだけでなく、事実、部屋の空気はむっとして淀んでいた。香なんかを焚く割に、換気には無頓着のようだ。絨毯にでもこぼした酒が染み込んでいるのか、アルコールと煙草、そして、そこに香のそれが煮詰まったような異臭が、部屋のどこにいてもうっすらと追いかけてくる。そこは有り体に言えば、部屋というより廃墟に近い、不快な空間だった。
電気はまだ止められていないようだが、キッチンとリビング以外の部屋の電球は切れていたり、そもそも照明が割れていたりする。
「部屋に強盗が入ったことはあるか?」
Mr.ミステリーがその部屋の有様を前に率直に聞くと、レオは顔を強張らせ、ここ最近のことはあまり覚えていない、というようなことをもごもごと返した。Mr.ミステリーは部屋の状況とレオの態度やその身振りから酒乱の気を見て取り、それ以上の深掘りはしなかった。
「これは?」
部屋を一通り見回っていたMr.ミステリーは洗面所に入ると、その奥、何枚もの木板に釘を打って執拗に、それも物々しく封じられた部屋――自然に考えれば、この奥は浴室だろう――の前で立ち止まる。
「ああ、それは…………」
彼からの質問に、レオはこれといって言い淀むでもなく口を開きかけたものの、続く言葉が出てこないことに自分でも驚いたように目を丸くした後、痛々しい火傷痕の残る手で、髪の薄くなった自分の額を擦りながら「すいません」と、自分自身に対する苛立ちの滲む声で呟く。
最近はどうにも記憶が飛んでいることが多く、故に、警察でも娘がいなくなった事実の他にははっきりとした供述ができなかったために、門前払いを食ったのだそうだ。
「そうか」
Mr.ミステリーは木板を何枚も重ね、やたらめったらに封じられている扉の前で目を細めた。
明らかな異常だが、工具もなくこじ開けるのは骨が折れるだろうし、ここについては後回しにするべきだろう。まずは依頼内容を精査する――もとい、娘について調べていくべきだ。