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    @t_utumiiiii

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    荘園から脱出した探偵オルフェウスと老修道女の会話 要素としてのイラゲキ ※日記のないキャラクターおよびNPCの言動の捏造 ※荘園に関する諸々の捏造(荘園の時間の流れ方は外部とは異なる/探偵オルフェウスは荘園内に囚われていたアリス・デロスと共に生還)

    monologue(探偵オルフェウスとゲキウ イラゲキ) 在りし日の姿は最早見る影もなくすっかり荒れ果て、誰もいなくなった荘園に残されていた記録を頼りに、人々の様々な日々を脳内で組み立て、物語を再構築する――そうして試行錯誤を繰り返した無数の推理の果て、遂に「事件の真相」というにはあまりに茫漠とした、しかし真相には変わりないそれを掴み、屋敷同様、かつて共に楽園にいた日々からは変わり果てた姿の――しかし紛れもなく、まだ息をしている往年の友人の手を取って、探偵オルフェウスは外界へと帰還した。
     そして、あまりにも長過ぎた荘園への逗留が様々な形で影響を及ぼし、身体の上にそれが現れている友人の身柄を、一旦病院に――かつて彼自身が記憶喪失に関するカウンセリングを受けていた診療所の医師から紹介を受けたそこに預けると、荘園での埃臭い逗留の記憶が浅くなりきらない内に、ダブリン行の定期船に乗り込んだのだ。

     船上にはじまり、現地でも引き続けて行った聞き込み調査は予想以上にスムーズで、「彼女」と思わしき人物が暮らす修道院の名前と住所は拍子抜けするほどあっさり判明した。彼女自身がかなりの著名人であり、その高名は特段調査に乗り出していない時分のオルフェウスの耳にすら入ってくるものだったから、ということもあるだろう。
     その日、彼がたまたま手に取った新聞の紙面では、ちょっとした、しかしカムデンストリートで発生した些細な交通死亡事故よりもやや大きな紙面で、「アイルランド全土からの崇敬を集める聖女」が今日、90歳の誕生日を迎えたことが報じられていたのだ。
     主は彼女を通じて幾度となく「先の物事を見通す」という、人知を超えた奇跡を人々の前で明らかにされた。主のご意向をその身に映す老修道女は文字通り「生ける聖女」として、その名声は旧弊として尚因習深いアイルランドに留まらず、各地のカトリック教国の人々、さらには、16世紀以降王を首長とする英国教会を国教とし、その中であくまで旧弊したカトリック教徒であり続けることは世紀を通して冷遇の理由となっているブリテン島内各地の人々の歓心をも獲得しているらしい。
    『そして君は、私が聞いた声を聞くだろう。』
     オルフェウスはその記事を通して、彼が長らく逗留していたあの荘園で目にした、紙切れに走り書きのように書きつけられたあの小さく読みづらい文字を、暗がりで解読したこと――誰も住まわず電気も通っていないあの荘園は常に薄暗く、手元のランタンだけが、あらゆる解読にあたっての唯一の頼りだった――を思い出したのである。

     今やカトリック教国を中心にヨーロッパに広くその高名を馳せている彼の修道女「マリア」へ直接の面会を求めることは難しいだろうとオルフェウスは踏んでいた。しかし、彼がまずは偵察がてら、石造りの荘厳な礼拝堂――イングランドの礼拝堂も見事なものであるが、重厚さという点ではこちらに軍配が上がるのではないかとオルフェウスは感じていた。それはこの地が清教徒達の洗礼を大して受けておらず、下々には旧弊としたカトリックが根深く残っているということよりも、むしろ、この辺境の地にあって主の教えを伝導するという古の伝道者らの熱意、そして、旧教どころかケルトの残り香さえ節々に残る辺境という地理条件が、壮麗ながら重々しく、厳かな礼拝堂の存続に一役買っているのだろう――を見て回っていたところ、それに目を留めた修道士の方から彼に歩み寄ってくると一言、「シスター・マリアのお導きで来られた方か?」と尋ねてきたのだ。
     その時、オルフェウスは流石に驚き、表情を俄かに強張らせていた。彼が件のシスターへの面会を希望してここに訪れたのは確かに事実である。それを事前に、それも、アイルランド全土から崇敬の手紙を受け取っているのであろう修道院に連絡する術を持たなかったにせよ……いや、待てよ、今この修道士は「お導き」と言った。今の彼女は恐らく、占い師に近い能力をその身に宿しているのだろうとオルフェウスは推測していた。つまりこれは、荘園を訪れたときと同じようなことが、ここでも起こっていると考えるべきか。
    「……私の名前はオルフェウス、探偵をしている。是非、シスター・マリアにお会いしたい。」


     俗世と修業の場を区切る、いかにも狭い黒鉄の門――実のところその表現はやや大仰で、それは近くから見るとちょっとした車庫の入口のような、礼拝堂の重々しさに比べると、拍子抜けするほど小さなそれだが――を、先導する黒衣の修道士の後について通り抜けたオルフェウスは、修道院内の石の廊下を右に曲がり左に曲がり、彼が最後に通されたのは、木造の小部屋であった。いつからこれを利用しているのかと思わず目を細めてしまう、中世の素朴な信仰を思わせる平面的でありながら曲線の続く扉の装飾は紛れもなく手彫りだった。
     扉を開けると、細やかな装飾が開けたような穴しかない――見るからに窓らしいそこには外から見えないような装飾の施された木枠が嵌め込まれており、それは窓というよりむしろ通風孔だ――部屋の内側はいかにも暗い。その小部屋は修道院内の隠者(修道院に籠もり信仰の生活を続けるもの)への面会のために設えられた空間であるらしいが、恐らくは、表の礼拝堂の方にも設けられている懺悔室と同じ時期に作ったものだろう。
     小部屋と一体化しているちょっとしたでっぱりのような卓とどう見ても一人用の木のベンチの間に、折り曲げた膝と身体を詰め込んでから、オルフェウスはドアを閉める。扉を締めてしまうと外のことは光がある他には何も伺いしれず、ここまで彼を案内した修道士の気配もその場で一礼をするような床擦れの音を立てたあと、控えめな足音と共に遠ざかっていき、後には静寂を是とする修道院内の息が詰まるほどの静けさ、そして、自分の息が反響して聞こえるほどの、暗く息苦しく空間が残されていた。
    「あなたが尋ね人ですね」
     そこに、これまで全く気配のなかった向こう側から突如、品良く老いながらも滑らかな、そしてやはり静寂を是としているような女性の囁き声を聞き、オルフェウスは初めて、そこにいた彼女、つまり、生ける奇跡と名高い修道女こと、シスター・マリアその人の気配を気取ることができた。
     長らく修行を続けることであらゆる所作が俗世を離れ、まるで彼女は音を立てずに移動できるかのような――或いは、彼女はオルフェウスの面会を待つという理由ではなく、それこそ女子修道院の発達以前、中世の隠修女がそうしていたように、長らくこの暗く狭い空間に籠もり、外界と隔絶されたここで、やがて来たる神の国への祈りを捧げ続けているのか――兎角、シスター・マリアはそこにいた。
     これが懺悔室と似たような作りの小部屋であるのならば、彼女は今、オルフェウスの正面に向かい合うようにして座っているはずだが、今丁度身を縮こまらせるように座っているオルフェウスの正面にある、ところどころ装飾彫りの入った木戸の向こう側を伺い覗くことは、とても難しかった――そもそも、懺悔室とはそういうものだ。ここの本分は面会ではなく、己の罪と向き合うことにある。
    「あなたは、ゲキウ・ヴァンダーゴーか?」
     オルフェウスはぶっきらぼうなほど簡潔に、そして、長年の修業によって不思議とくっきり聞こえるささやき声を話す彼女と比較すると、滑稽なほどにはっきりとした声でそう尋ねた。
     彼がそうやってぶっきらぼうな、ともすれば不躾なぐらいの物言いをしたのは、神に対して不可知論の立場を取る彼なりに、神の実存を信じ、それに仕えている信徒――少なくとも、今ここで神の国に祈りを捧げ続ける“生ける奇跡”――に対しては、この世のあらゆる世辞や虚飾は無意味だろうという判断もありつつ、彼が元来――小説家として随分羽振りが良くなるよりも以前から――言葉を上手く取り繕う方ではなかったということでもあった。彼はそういう本性を持ち、そのような魂をしている者なのだ。
     不躾なほど簡潔な疑問を向けられた方の老女は、ひどく気詰まりな沈黙の後、「随分と久しぶりなことです、その名を耳にするのは……」と、溜息めいて独り言ちたかと思うと、相変わらず囁くほどの声量ながら不思議とはっきりとした声で、「ええ、それは、かつての私の名前です。」と名乗りを上げた。
     それに応じてオルフェウスも、彼自身予想こそつけていたものの、実際にその姿を前にしていると思うと些か感慨深いという風に(或いは、リバーシの難しい局面に於いて、対戦相手が自分の望み通りの場所に石を置いてくれたことに対し、微かに感嘆するように)「嗚呼、やはり……」と、誰に宛てるでもない嘆息を溢した後、「私の名前はオルフェウス」と、見通す力を持つのであろう彼女相手には、それがさして“意味がない”ことを知りながらも、日頃の習慣からそう名乗った。
    「あの荘園から戻ったものです……“力”をお持ちのあなたには、既に知れたことかもしれませんが。」
     生真面目に続くオルフェウスの言葉に、老修道女は、老いとともに嗄れ当然の成り行きとして掠れながら、しかし不思議と滑らかな声で、祈りの場に似つかわしくもない、微かに笑う気配を漏らした。
    「……ええ、そうよ。これは“力”であって、そうね、こんなもの、奇跡ではないわ……駄目ね、こんなことを口にしては……ふふ、あなたはあの人に会ったのかしら……」
    「私と彼の間に、直接の面識はない。しかし彼は私の到来を予期してか、私宛の書き置きをいくつか荘園に残していた……私はそれを読んだ。そういった間柄です。」
    「ふふ、そう……そうよね、彼は、妙なことをする人でした。」
     老修道女からの、ささめくような笑い声――それは、長らく使われていないオルゴールを開くときのような、錆びついた軋む音を伴い、かつ極めてささやかな音だったが――は、老修道女という彼女の肩書に反して、背伸びをして世慣れたふりをする乙女のような可愛らしい無垢と、鈴を転がすどこか瑞々しい響きを未だに保った奇妙なもので、オルフェウスはそれに違和感を覚えるとともに、それこそが、彼女が「贅沢で人を魅入らせ、重々しい」とすら称された、あの「ゲキウ」であるという確信を深めるものであった。
     この道行きの前にオルフェウスが一通り目にした新聞記事曰く、「シスター・マリアはアイルランドのさる修道院にて50年以上に渡り祈りの生活を送っている」。ここに至るまでの街で耳にした逸話曰く、「その美しさ故に数多の求婚の声が掛かり、の親が決めた婚姻から逃れて祈りの生活に入られたシスター・マリア」。
    「あなたは、彼を愛していたのか?」
     オルフェウスをここに駆り立てたのはその答え合わせへの渇望であり、しかしそれは、一種の義憤に近しい感覚であったのかもしれない。

     予言の力を取り戻すため――それによって彼女との婚約を認めさせるために、彼の男はあの呪われた荘園を訪れ、そこで己の神の導きに従い、死の運命を迎えることとなったイライ・クラークとの“面識”を、勿論、オルフェウスは持たない。異なる時間に存在していた彼らの間には、相互の対話など有り得なかった。予言の力によって先を見通していたらしい彼にとっては、もしかするとそれは対話だったのかもしれないが、持つものと言えば人並みの洞察程度であるオルフェウスからすると、それはひたすら一方的な関係であった。まるで、用意周到で並外れて察しのいい小説家と、疑い深くひねくれた読者であるような――一方的な関係だ。
     オルフェウスに言わせれば、イライ・クラークが赴き、そして受け入れることとなった、おそらくは苦かったのであろう死の盃の運命というのは、彼の自業自得のようなものだ。彼の神から「そうしてはいけない」という警告があったにも関わらず、彼はゲキウの生家のために予言を役立てた。その罰として力を失った。人並み外れた力を再び手に入れるために、引き換えとして呪われた地を訪れた。その流れを強制されたのであればまだ同情の余地はあるが、オルフェウスが得られた情報の限りによると、彼の行動は全て、婚約者――本当にそれが、親の承認を得た正規の約束であったのかも、オルフェウスからしてみれば疑わしいが――恋しさのためだ。
     一連の流れを指して、ゲキウ、ひいては田舎のいち商家であったヴァンダーゴー家が、類まれな能力を持っていた彼の好意を利用し、彼の男を都合良く使い潰した、と、言えなくはないだろう。しかしいずれにせよ彼は、自ら望んでその轍の上に乗ったのだ……恋をする者の身の上には、同情を寄せるだけ無駄なことだ。
    (私は、彼女にどんな答えを望んでいる?)
     オルフェウスは往路の船の中で一瞬だけその疑問に行き当たったが、それについて深く考えようとはしなかった。質問には必ずしも答えが用意されているわけではないし、同じように、質問は必ずしも答えを目的としたものではない。いずれの質問にも、望みの答えがあるわけではない。
     むしろ、ここで問いかけることこそが、答えを得る以上か、少なくともそれと同等の意味であるのかもひれない。彼の男――記憶を失っていた探偵オルフェウスの長い荘園の逗留に際し、唯一、見せかけではあるが双方向の交流を演出し、彼の孤独と行き場のなさを、その異能という存在によって多少なりとも慰めたあの男が、確かにあなたを愛し、その凡庸な命を投げ出したということを、彼女に突きつけたかっただけかもしれない。
     とはいえ、オルフェウスはそこまでイライ・クラークに義理を感じているわけではなく、彼自身、義理よりも好奇心が遥かに勝る性質でもある。荘園で少なからず無聊を潰すのに役立った彼の男の物語が、果たして愚かな軽挙の果ての三文悲劇であったのか、少なくとも何かしらに一矢を報いるようなそれであったのか、己の裡にいずれにせよ好奇心があることもオルフェウスは否定できなかった。

     かつての婚約者を愛していたのか、と、見ず知らずの、それもそこまで身なりが良いわけでもない男(頭髪には白いものが混ざっているオルフェウスの顔には特にここ十年の苦悩がありありと表れ、若かりし頃の紅顔を大いに曇らせるとともに、彼な顔立ちを胡乱なものにしていた。また、かつての文筆業の稼ぎを食い潰しながら探偵業を細々と営みつつ治療を受け続けていた上、長らく廃墟とかした荘園に逗留していた彼の身なりはどれも擦り切れ着古されており、とてもセンスを感じられるようなものではなかった。)から唐突に問いかけられたシスター・マリア、もとい、老いたゲキウは「ふふ、」と息を漏らす笑い方をした。そこには上品ながらも、明らかに軽蔑めいた響きがある。
    「愛だなんて、そんな……」
     薄ら笑う吐息に浮かんだその軽蔑は、どこに向けられたものなのか、オルフェウスには判別しがたかった。質問をするためだけに海を超えてきた愚かな探偵相手に向けられたものか、過去の男の愚かな行動か、それとも他の何かか。オルフェウスは判断を留保し、待つことにした。何せ彼は大いに時間を使ったあとのことで、今更数刻程度でガタガタと言ったところで何も始まらないことを理解していた。時に推理には刻を掛ける必要がある――探偵としてのオルフェウスには、一言を垂れるほど褒められた功績はないにせよ。
     彼がそうやって辛抱強く続く言葉を待ち黙り込んでいると、面会室の板の向こう側にいるのであろう老女は、まるで彼の辛抱に対して観念したかのような相変わらずのささめき声で、「過去の私にできたことは、生みの父母の望みに沿うことでした。」と言って寄越した。
    「あの晴れた日にお屋敷に戻る途中、馬車の車輪が割れて、そこにあの人が通りかかって、親切にして下さいました。そうして出会ったのは勿論、偶然のことですけれど、彼の力は、父母にとって有用だった……」
     彼女はまるで、オルフェウスの忍耐を試すような長い空白を挟みつつ、実のところ、古い記憶をしまい込んだきり触れられないままになっていた物入れの一番奥、埃を被った棚からそれを引き出してきて、見れる形に整えるためにたっぷりと時間を使いながら、ささめく言葉を続けていった。
    「……私ね、それでも、イライを、可愛らしい人だと思っていましたのよ。」
     オルフェウスは言葉の空白に当たるたび、それを辛抱強く待った――否、実のところ、大した辛抱はしていない。この調査は依頼を受けたものでも、まして執筆の締切があるわけでもない。この質問をぶつけることだけが目的ですらあった。この答えがわかったところで、結末は何も変わらない。何にせよ物語は既に完結しており、オルフェウスには急ぐ理由がなく、彼はせせこましい懺悔室内の木の椅子に座り、のんびりと足を組めないことだけにうっすらと苛つきながら、腕を組んで待っていた。
    「例えばね、ある日、森からやってきた彼は……イライは、頬に泥を付けていて、先のことを見ることができるのに、鏡は見ないのねって、私、ハンカチを貸して差し上げたら、うふふ、目にあて布をしているのに、あの人、それでもひと目で分かるほど、真っ赤になってしまって。」
    そう言って少女のように、小声ながらも遂にはっきりとした笑い声を漏らしたのが最後だった。彼女がそれ以上、イライ・クラークについて語ることはなかった。奇妙な稚ささえ伴っていたやさしい少女の声からその可愛らしさが抜け落ち、「オルフェウスさん。」と連なっていく言葉はまるで、夢から覚めた後のような、こざっぱりとして老成した響きを伴った。
    「あなたがご存じのように、彼がこの地に戻ることはありませんでした。ある日から、彼が語り聞かせてくれた「声」が聞こえるようになり、私は悟りました……私に幸福と高貴とを約束したイライが、私の元に戻ることはないのだと。」
    「彼に慈悲を与えなかった〝土着の神〟のことなんて、考えるのも嫌でした。そうして耳を塞いだ私に、父母は早速新たな婚約者を宛がいましたが……ひとたび婚姻の約束をしていたのに、あっさり鞍替えして他人に嫁ぐなんて、みっともないことでしょう? そうやって新たに、パズルで遊びでもするかのように宛がわれた婚約者と、〝神の御名において〟一生添い遂げるだなんて、私にはまっぴらごめんでした。」
    「だから、逃げたのです。ヴァンダーゴーの家にはもういられません。ですから、神の家に入ることにいたしました。……後はきっと、村々の皆さまがあなたに語ってくださった通りだと思いますのよ。私は修道院に入り、それ以来、ここで祈り続けているのです、人々の上に遍く平穏のあらんことを。」
    そして言葉を祈りで締めくくったシスター・マリアは、これでおしまいと言うかのように溜息を吐いた。オルフェウスとしても、これ以上、それも疲弊しているように見える高齢の修道女から、絞り出すように聞き出したい話等はなかった。
     オルフェウスが簡単な感謝と簡潔な挨拶を述べ、高名な修道女の挨拶と祈りの言葉を聞き届けたそばから息の詰まるような小部屋を逃れるように出ると、ちょうど目に入った尖塔型の窓枠に、鳥のシルエットが写っていた。フクロウが一羽、向こう側から覗き込んでいるのだろう。

     彼は、理解していたのだ。恋は盲目だと言うが、彼が理解していなかった筈がない。彼は成就していた。報われていた。なればこそ、彼はすべてを擲ったのだ。惜しむらくは、彼女が憎からず想っていた――そしてこの期に及んでは、最早愛していると言って差し支えないだろう――のは彼だけであって、彼を取り巻く諸々ではなかったということだ。と、オルフェウスは思った。人知を超えた存在を名乗る諸々に対してオルフェウスは不可知論の立場を取っていたが、しかし、彼女が彼と同じ世界観を信じていたのならば、或いは、輪廻のめぐり合わせの中で、その魂が再び見えることもあるのかもしれないが、今の彼女は、きっとそうはならない。残された日々を祈り過ごした果てにはきっと、この世界の終わりの先、審判の日での、来ることのない再会を待ちわびているのだろう。
     オルフェウスの視点から言うと、愛しあうあの二人が再会することが最早ありえないことは明白だ。しかしかつて、確かに、互いに向い行き交った愛情はそこにあった。彼らはいっとき報われていた。それで十分と言うのはあまりに謙虚が過ぎるのではないかとオルフェウスは感じるが、彼の脳裏に浮かぶ二人のイメージ――壊れた馬車、道沿いに生えた木の根元に座り込んで微笑み合う若い二人――は、それで十分だと、互いに顔を向けあったまま微笑み、声を揃えてそう言った。
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    Replies from the creator

    @t_utumiiiii

    DOODLE弁護士の衣装が出ない話(探偵と弁護士) ※荘園設定に対する好き勝手な捏造
    No hatred, no emotion, no frolic, nothing.(探偵と弁護士) 行方不明となった依頼人の娘を探すため、その痕跡を追って――また、ある日を境にそれ以前の記憶を失った探偵が、過去に小説家として活動する際用いていたらしいペンネーム宛に届いた招待状に誘われたこともあり――その荘園へと到達したきり、フロアから出られなくなってしまった探偵は、どこからが夢境なのか境の判然としないままに、腹も空かず、眠気もなく、催しもしない、長い長い時間を、過去の参加者の日記――書き手によって言い分や場面の描写に食い違いがあり、それを単純に並べたところで、真実というひとつの一枚絵を描けるようには、到底思えないが――を、眺めるように読み進めている内に知った一人の先駆者の存在、つまり、ここで行われていた「ゲーム」が全て終わったあと、廃墟と化したこの荘園に残されたアイデンティティの痕跡からインスピレーションを得たと思われる芸術家(荘園の中に残されたサインによると、その名は「アーノルド・クレイバーグ」)に倣って、彼はいつしか、自らの内なるインスピレーションを捉え、それを発散させることに熱中し始めた(あまり現実的ではない時間感覚に陥っているだけに留まらず、悪魔的な事故のような偶然によって倒れた扉の向こうの板か何かによって、物理的にここに閉じ込められてもいる彼には最早、自分の内側に向かって手がかりを探ることしかできないという、かなり現実的な都合もそこにはあった。)。
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    @t_utumiiiii

    DOODLE #不穏なお題30日チャレンジ 1(2).「お肉」(傭オフェ)
    ※あんまり気持ちよくない描写
    (傭オフェ) ウィリアム・ウェッブ・エリスは、同じく試合の招待客であるナワーブと共に、荘園の屋敷で試合開始の案内を待っていた。
     ここ数日の間、窓の外はいかにも12月らしい有様で吹雪いており、「試合が終わるまでの間、ここからは誰も出られない」という制約がなかろうが、とても外に出られる天候ではない。空は雪雲によって分厚く遮られ、薄暗い屋敷の中は昼間から薄暗く、日記を書くには蝋燭を灯かなければいけないほどだった。しかも、室内の空気は、窓を締め切っていても吐く息が白く染まる程に冷やされているため、招待客(サバイバー)自ら薪木を入れることのできるストーブのある台所に集まって寝泊まりをするようになっていた。
     果たして荘園主は、やがて行われるべき「試合」のことを――彼がウィリアムを招待し、ウィリアムが起死回生を掛けて挑む筈の試合のことを、覚えているのだろうか? という不安を、ウィリアムは、敢えてはっきりと口にしたことはない。(言ったところで仕方がない)と彼は鷹揚に振る舞うフリをするが、実のところ、その不安を口に出して、現実を改めて認識することが恐ろしいのだ。野人の“失踪”による欠員は速やかに補填されたにも関わらず、新しく誰かがここを訪れる気配もないどころか、屋敷に招かれたときには(姿は見えないのだが)使用人がやっていたのだろう館内のあらゆること――食事の提供や清掃、各部屋に暖気を行き渡らせる仕事等――の一切が滞り、屋敷からは、人の滞在しているらしい気配がまるで失せていた。
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